無生物の声
「ごめんくださーい」
女は家の外から微かに響く声を聞き取った。
「はーい、ただいまー」
一応返事はしたものの、相手に聞こえているかどうかは定かではなかった。できれば聞き取って、待っていてほしい。何しろ、今いる場所から玄関まで行くには時間がかかるのだ。
やっとのことで玄関までたどり着き、引き戸を動かす。新鮮な空気が女の鼻を掠めた。 外にはスーツ姿の男一人で立っていた。
「見慣れない顔だね。私にどんなご用件だい?」
「あなたに紹介したい商品がございまして」
男は冷淡な顔つきで応えた。普通のセールスマンだとこの家は訪問しないはず、女はそう思ったが、よほどノルマだかに苦心しているのだろうと解釈した。
「こんな年寄りに紹介したい商品って何かしら。話し相手もいないことだし、良かったら家にあがって」
女は冗談めかして言った。よほどのことがない限りここでセールスマンは自粛するだろう。しかし、男は、失礼します、と言うと玄関の中まで入ってきた。
「私の家、せ、狭いから、私の後にちゃんとついてきてね」
女は驚きつつも、男を居間まで案内した。
女が床に腰を下ろすと、男も姿勢を正し、その場に正座した。そして、持っていたビジネスバッグから、何かを取り出す。男は取り出したものを女の前に披露した。
「こちらは、無生物の声を聞くことができるヘッドフォンです」
「む、むせいぶつ??」
「生きていないものということもできますが、少しわかりづらいですね。例えば、コップや時計、水、本などがそうです」
物の声が聞こえるなんてありえない・・・、女は年寄りをからかうセールスマンに苦言を呈そうとしたが、できなかった。男の真剣なまなざしと神妙な顔つきに、からかっている様子は微塵も感じられなかった。
「両耳にヘッドフォンを装着し、ジャック、つまりケーブルの先端に声の聴きたい無生物をあてると、その無生物の声を聞くことができます」
「本当なの?これ買った人、他にいるのかい?」
「いえ、いません」
じゃあ、はったりじゃないか、内心で思った女は顔をゆがませる。
「この商品はあなたのための商品なのです。あなた以外に紹介するべき人は今のところいないのです」
「私のため?」
「あなたは、物をとても大切にしていますよね」
男は女の顔を見ながら尋ねた。女のことは昔から知っている、そんな表情をにじませていた。
「そうだとも。わたしゃーそんじゃそこらの人とは違って、物にはすごく愛着がある。人間ってのはすぐ新しい物に替えたり、まだ使える物を捨てる。私はね、そんな物たちをみてるとすごく心が痛むんだよ」
「ええ、たしかにあなたの言ってることは一理ある」
「一理も、二理もないよ。ほら、そこの椅子。あれは40年以上前からあるかな。今だってちゃんと使えるんだ」
「やはりあなたは物に対する愛が大きい。そこで、この商品を使って、物の声を聞き、おしゃべりしてみてはどうでしょう」
「だから私に紹介したかったのね。私、物はこんなに愛しているのに、周りの人からはなぜか避けられていてね。ろくに話し相手もいなかったんだ。これがあれば、楽しく過ごせそうだ」
「申し訳ございません。この商品は一日限定の使い捨てなのです。なので、物とおしゃべりすることができるのは24時間までです」
「あら、そうなの。でも、ちょっとおもしろそうだし、買ってみようかな」
「ありがとうございます!あなたは特別なお客様です。特別価格、100円でご奉仕させていただきます」
「100円でいいのかい?年寄りには優しい値段だね」
財布はどこだっけな、と言いながら女は辺りを探す。男は正座したまま終始無言だった。
やっと見つけたがま口の財布から100円玉を男に手渡す。男は受け取ると、即座に立ち、そそくさと去っていってしまった。
(1週間後・・・)
「ごめんくださーい」
聞き覚えのある声が玄関先から響いた。
女は椅子から立ち上がり、玄関先へ向かう。引き戸を動かすと、やはりあの時の男が立っていた。
「先日買っていただいたヘッドフォン、お使いになりましたか?」
「ええ、使った使った」
「それにしても、お宅の様子が随分と変わりましたね」
「いやね、ヘッドフォンを使って色々な物とたくさんお話をしたの。感謝の言葉をたくさんいただいたわ。あなたみたいに物を大切にする人はそうそういないってね。でね、あることも教えてもらった。物は丁寧に使ってもらえれば、それだけで十分で、古くなったり、使わなくなったら手放していいんだって。それらはまた新しく生まれ変わってあなたの元にやってくるんだって。だから、安心して捨てていいよって」
女からは笑みがこぼれた。家の前を通り過ぎようとしていた人が女の姿をみて、こんにちはと挨拶をした。どうやら最近、話をするようになったらしい。
男は女に別れを告げると、来た道をゆっくりと戻った。道すがら、掲示板にこの町の壁新聞が貼られていることに気付く。見出しには『町唯一のゴミ屋敷、ついに清掃へ』と書かれていた。
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