文才のペン

 男はファミレスのテーブル席で一人座っていた。ドリンクバーだけを頼み、かれこれ5時間以上は居座っている。長年この習慣を続けているせいか、店員は嫌な顔せずに黙認してくれている。売れない作家にとっては非常にありがたかった。


 パソコンが普及した今でも男は手書きにこだわっており、テーブルは原稿用紙で溢れていた。白紙のもの、くしゃくしゃになったもの、番号が振られているもの。男は変哲もない原稿用紙が自分の手によって様々な個性を伴って生まれ変わることを好んでいた。しかし、一方で手掛けた小説は売れることはなく、男以外の者からみれば、どちらにせよ一枚の紙切れに過ぎないかもしれなかった。


 今日はこのくらいでお暇しようか、男が原稿用紙を中央にかき集めて帰る準備をしていたところ、見知らぬスーツ姿の女が正面の椅子を引き、ゆっくりと座った。男は動揺し、無意識にからだをこわばらせる。


 「突然すみません、あなたに紹介したい商品がございまして」


 女はそう言うと持っていたビジネスバッグを開き、中から一本のペンのようなものを取り出した。男は動揺を解くことができず、言葉を発することができない。


 「こちらは誰でも卓越した文章を書くことができる商品で・・・って聞いてますか?」


「ああ、はい」男はやっとのことで声を発する。


 「そ、そんなでたらめなものあるわけないじゃないか」


 「確かに見た目はごく普通のボールペンですが、これで書いた物語は読むときにとても魅力的な文となります。詠む者すべてを虜にするのです」


 女はおちょくっているのかと思ったが、顔はいたって真剣だった。しかしにわかには信じがたい。それにどうして自分なんかにこんなものを紹介しているのだろう。


 「あなたはいわゆる売れない作家ですよね」


 「えっ」


 男は単刀直入に言われた事実を飲み込むのに時間がかかった。さらに女は話し続けようとしている。


 「そして現在お付き合いなさっている女性にも愛想を尽かれそうになっている」


 男は反応することさえできなかった。女はなぜそんなことまで知っているのか。


 「まあ、今の話はどうでもよいのですが、つまるところ、あなたがこのペンを使って小説を書きあげれば、その小説は爆発的ヒットをすることは間違いなくて、あなたの抱えている悩みもすべて解決するのではないでしょうか」


 女が話し終えてから数秒の間があった。そして男はおもむろに口を動かし始める。


 「俺だって作家の端くれなんだ。そのペンの効果が本当かどうかわからないけど、本当だとしても、俺のプライドが許さない。そのペンで小説を書くことはできない」


 「では、彼女を諦めるということですね?」


 女の言う彼女とは、ちひろのことを指すのだろう。男とちひろは長年同棲していた。最初の頃は男も偉大な作家になることを期待し、ちひろもまた全力で応援してくれていた。男は仕事にも就かず、朝晩原稿用紙と向き合って、ちひろは二人の生活費を稼ぎ、家事をこなす毎日。ちひろは自分の前でこそ何も言わないが、薄々考えているのではないだろうか、自分といても幸せになれないのではないだろうかということを。ときどきみせる、もの寂しげなちひろの表情から男はそう感じ取っていた。


 「自分の作品が世に知られるようになって、筆一本で二人が暮らせるようになったら、ちひろにプロポーズを・・・」


 男が俯きながら言葉を発し終えると、女は持っていたペンをくるくると器用に回し、バシッと止めるとペン先でテーブルを強く鳴らした。男の意識がペンへと向けられる。


 「あなたがこの先どのような暮らしをしようとも、私にはあまり関係ありません。ただ、あなたは私にとって大切なお客様です。お客様には幸せになってもらいたい。それを踏まえたうえで、あなたにこの商品を紹介しています。使わずとも幸せになれるのであればこの商品は買う必要はありません。一本につき一つの名作を書くことができるペン、どのように使おうと、さらには使おうが使わなかろうが、あなたの自由なのです」


 「ん、今の話だと、そのペン一本では一作品しか完成しないということ?」


 「そうですね、このペンは物語の始まりから終わりまでを書いた瞬間にインクがなくなります。ですので、これはあくまであなたの作家としての場を提供させる道具でしかありません。二作目以降売れるか売れないかはあなたの才能次第ということになります」


 「才能次第・・・か」今まで男が目をそらしていた疑念、それは自分に書く才能がないのではないかということだった。才能がないなら、作家として残る道はない。ならばそのペンの使い道は・・・。


 「じゃあ、買うよ」


 「ありがとうございます!あなたは特別なお客様です!特別価格1万円で提供させていただきます!」


 突然溌溂とした調子でしゃべる女に男は驚くばかりである。


 

 (一年後・・・)


 

 男はいつものファミレスにいた。相変わらずテーブル上は原稿用紙で溢れている。

 

 今日はここまで、と男が帰り支度を始めようとすると、手前の椅子が引かれ、見覚えのあるスーツ姿の女が座った。また何かを売りに来たのだろうかと思ったが、どうやらそうではないらしい。女はどこかよそよそしかった。


 「あの・・・商品はもう使われましたか?」


 「ああ、使ったよ」


 「失礼なことを聞きますが、まだこれといった賞をとってないですよね」


 「まぁ、そうだね」


 「す、すみませんでした!」女が深々と頭を下げる。男は一瞬女が謝った理由がわからなかったが、すぐに気が付いた。


 「いやいや、実は何かの作品に使ったわけではないんだよ。結局あのペンを使って多くの人の心を動かしたとしても、自分に才能がなければ二作目以降は読まれない。だとしたら、一作目から自分の実力で臨もうと思ったんだ。だけど、この先自分のわがままがちひろに伝わるか、正直自信がなくてね、プロポーズの手紙にあのペンを使ったんだよ。やっぱり効果があったんだね。手紙を読んだちひろは涙を浮かべながら喜んでたよ」


 「あの・・・非常に言いづらいのですが、実はあの商品は不良品だということが判明しまして。私が売ったペンはただのペンなんです」


 「てことは・・・なぜちひろは?」


 「おそらく、あなたにはあるんですよ、人の心を動かす才能が。開花するといいですね」


 女はバッグから茶封筒を取り出すとテーブルの上に置き、もう一度頭を下げて去っていった。茶封筒の中にはペンが入っていた。このペンがどんなペンかはわからなかったが、男はペンをテーブルの隅に置くと、わざと忘れたふりをしてその場を後にした。

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