甦りの紙

 男は公園のベンチでただぼうっと座っていた。狭い公園には誰もおらず、明るい陽射しが男を照らす。


 今日はこのくらいにしておくか。男がベンチを立とうとしたときに、公園の入り口から女が入ってくるのが見えた。女はスーツを身につけ、ビジネスバッグを肩に掛けている。女はまっすぐに男のベンチへと向かい、やがて男の隣に腰を下ろした。


 「仕事の休憩か何かですか?」男は女に問いかける。


 「いえ、これから仕事をします。実はあなたに紹介したい商品がございまして」


 女はそう言いだすとビジネスバッグの中をあさり、一枚の紙を取り出した。折り紙ほどの大きさで裏表とも真っ白の至って普通の紙切れだった。


 「これは何ですか?」


 「これは甦りの紙という商品です。この紙に亡くなった人の名前を書くと一人だけ甦ることができます」


 「そんなことあるわけがない」


 「皆さんそうおっしゃるのですが、本当なのです」


 厄介なセールスに捕まってしまった、と男はうなだれてしまう。商品も商品で明らかに突拍子もないものだから少し女をからかいたくなった。


 「亡くなった人でいいなら、織田信長って書いても甦らせることができるのかい?」


 「ええ、もちろん」女は笑顔だった。このような質問も度々されていたのだろう。


 「ただし、甦りの紙で甦った人は、今生きているとしたらの年齢でこの世に再び現れるので、織田信長は1534年に生まれてますので・・・」


 「かなりの年齢で生き返るってこと?」


 「左様でございます。しかし、甦った人間でさえ、自然の摂理には勝てませんから、織田信長がこの世に再び生を受けたとしてもこの世で生きることはできません。つまり、もし生きていたとしての年齢が寿命に到達していない人が望ましいですね」


 「なるほど」


「そんなことより、あなたは大切な方を交通事故で失っていますよね?その人を甦らせてはいかがですか?」


 男は目を瞠って女をみた。確かにこの女は初対面のはずで、過去に一度か会った記憶を忘れているとは思えなかった。


 「なぜ、それを知っているんだ」


 「そんなことは今はどうでもよいのです。この商品はあなたのような不遇を受けた人々が救われるように開発されたものです。まだ品数が少なく、あなたのような特別なお客様にしかご用意できていないのですが」


 女は一気にまくしたてようとする。


 「ちょっと待ってくれ。じ、じゃあ甦った人の過去はどうなるんだ。死んでいた期間の記憶はどうなる」


 「適当に形作られます。例えば交通事故で亡くなった方を甦らせると、その交通事故の時点で九死に一生を得たという人生へと変わります。もちろん、その方に携わった人々の記憶もその都合に合わせて変わります」


 「つまり、、、僕がその紙を使って交通事故の運命を変えた場合、今僕とあなたが話しているこの現実はなくなるということ?」


 「そうですね。なくなる可能性が高いでしょう。あなたはこの公園で亡くなった方と幸せなときを過ごしているかと思います」


 男は押し黙った。にわかには信用できない話だが、男の心は藁にも縋る思いだった。この公園に通って数年。いつも頭に思い浮かぶのはベンチに座っている自分を前に、屈託のない笑顔を振りまきながら遊ぶ姿だった。幸せなときを過ごしたい。


 「わかったよ。それで、その紙はいくらなんだい」


 「ありがとうございます!あなたは特別なお客様です。一人一枚までで、特別価格一万円でございます」


 「え、一人一枚までなの?交通事故で亡くなったのは妻と娘の二人なんだけど」




(数日後・・・)




 男はいつものように公園のベンチに座った。空は雲一つない晴天で、熱い日差しが肌を刺激する。公園の中は男一人だけのはずだったのだが、今日は先客がいた。先客はブランコを楽しそうに漕いでいる。


「お久しぶりですね。あの商品、使いましたか?」


「ああ、使ったよ」


「結局誰にしたのですか?奥さん?それとも娘さん?」


 女は男の話よりもブランコの方に夢中のようだった。


「どちらでもないよ。二人のうちどちらかを選ぶなんて、僕にはできなかった」


「あら。では一体誰に」


「二人を失った交通事故は車同士の衝突だったんだ。実はぶつかった車も家族で、両親は大けがで済んだんだけど、後部座席に乗っていた子どもが・・・」


「ではその子を?」


「ああ。実際どっちが悪いというような事故ではなかったんだ。神様のいたずらっていうやつかな。あの事故で僕たちの家族も相手の家族も失意のどん底に落とされた。だからこそ、お互いのつらさを知っている。そのつらさをこれ以上彼らには負ってほしくはなかった。こんな悲しみは、自分だけで充分だ」


「そうなんですか」


 女はひょいっとブランコから飛び降りる。もう一つのブランコに置いてあったビジネスバッグを肩に掛けなおす。


「それにしても不思議な人がいるものですね。自分の大切な人や親しい関係の人を甦らせるのが普通なのに」


「おかしいですよね」


「私にはわかりません。実はあなたに会う前にある夫婦を捕まえまして、同様に甦りの紙を売ったんですよ。その夫婦も赤の他人に使うって言ってましたね」


「えっ」


 そのとき、今まで吹いていなかった風がさっと吹き、公園の砂ぼこりが舞った。男はとたんに目を閉じ、目を開けた時には一人きりだった。


 「パパ!!」


公園の柵の向こう側から明るい声が聞こえ、小さな女の子が男の方に駆け寄ってくる。そのあとから一人の女性が付いてくる。


 「あなた、帰りが早かったのね。それにしてもどうして一人でベンチになんて座っているの?私たちがいなかったらただの怪しい人よ」


妻がからかう。娘が抱きつく。


「なんでだろう。だけど、この瞬間を待っていたのかもしれないね」


男は全力でおどけた。

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