第6話 父の動機


「クビだ」

「え?」

「だから、お前はクビだと言っているんだ」

会社の社長室で、高級木材を使用した立派な机に、気だるそうに肘をついている男が和義にクビを命じた。

「なんで、僕なんですか?ミスを犯したのは竹中でしょ!?」

竹中とは、和義と同じ時期に入社した会社仲間であり、かつ優秀な社員だ。

和義は、そんなレベルの高い社会人に比べ、大した仕事ぶりでもなく、ただただ同じ歳の人間を引き立てる役を務めているようなものだった。

しかし先日、そんな優秀な男、竹中がシャレにならない仕事上のミスをしてしまったのだ。

それは、他社との間で起きたトラブルで、向こうの金銭に関わる重大な問題だった。

その問題を起こした中心人物が、竹中だったのだ。

もちろん意図してしたわけではなく、竹中にとっても想定外の出来事だった。

向こうの会社は、ただ詫びを入れるだけでは機嫌が戻らず、さらなる要求をしてきたのだ。

それが、こちら側の優秀な社員を1人退職させるという最悪な条件だった。

これを断る権利もこちらにあるわけもなく、従うはめになってしまったのだ。

「竹中は、今回こんなミスを犯してしまったが、この会社の中でいなくちゃならない逸材と言える。失うにはこちらにしては大きな損害だ。それに比べお前みたいなやつが1人消えたところで、こっちは痛くも痒くもないんだよ、だから悪いがお前には辞めてもらう」

「そ、そんなめちゃくちゃだ!」

和義にとって、あまりにもひどすぎる話だった。しかも、家にはかけがえのない大切な家族が3人、妻に長女の娘、下の息子、こんな時期にクビになってしまったら、どうやって3人を養っていけばいいのか、支えていけばいいのか。

頭の中が、怒りと焦りでめちゃくちゃになり、真っ白になっていた。

変な汗がこめかみ部分が流れてるのを感じ、正面に居座る人間は、もう和義にとっては憎き存在でしかなかった。

元社長はもう話すことはないと、既に目線を机に広がる資料を眺めていて、これ以上なにも聞いてくれないことを示していた。

その光景は、焦りより怒りが勝った瞬間ではあるが、腰抜けなことに和義は歯切れを悪くするだけで、なにも言い返すことはできなかった。

そのままゴクリと唾を飲み込んだ後、重い体で振り向き、部屋を出た。



食卓のカップラーメンの蓋の隙間から湯気が立ち上り、和義の視界を曇らせた。

それは、まるで和義の中を表すようだった。

なんて、話せばいいのだろうか。

目線をカップヌードルから、右手側のリビングの家の内装に似合わない昭和チックなこたつに目を向ける、呑気にそのこたつに入ってるのは、ドラマを見ている妻と、スマホの画面を器用にタッチする娘と、熱心にゲームをしている息子だ。

和義は、心臓がいつもより早く動いていることに気づくと、自分で告白するのが緊張してるのだと分かる。胸を撫で下ろし、大きく息を吸い込み、吐き出すと意を決して口に出した。

「なあ、ちょっと大事な話があるんだけど」

「.........」

虚しい和義の言葉が部屋中に響き渡るが、テレビの音とゲームの音がかき消し、2つに主導権を握られた気分だった。

まさか返事すら返ってこないことに、半ば寂しさや悲しみといった感情が込み上げてきたが、仕切り直してもう1回口にした。

「ちょっと、大事な話があるんだ。聞いてくれないか?」

「え?なに、今大事な所なんだから後にしてくれる?」

声を返してくれたのは妻だった。しかし、夫の大事な話より、ドラマの方が大事なのか、家族の危機とは1ミリも思わないのか、など心の中で愚痴を言ったところで妻に届くわけもなく、「わかった」と一言だけ添えて、黙り込んでしまった。

それから数日も経ってしまったが、あれから一向に和義の言葉を妻に遮られるばかりだった。息子と娘に関しては、返事すらもしてくれず、いつもスマホとゲームの世界に閉じ込められているようだった。

和義はもう家族に打ち明けるのは諦め、独自で解決する道を考えた。しかし、新たな仕事先を探しても中々上手くいかず、面接で落とされるばかりだった。その理由が大半がクビになった原因だった。和義は事実では完全なる無実なのだが、社会的には竹中がしてしまったことを和義がしていることになっていて、どこの会社もそれに引っかかり、中々上手くいかなかった。

やがて、貯金だけが消え失せていくばかりで、借金、挙句の果てには闇金までにも手を出してしまった。もちろん、このことは家族の誰一人知らず、明日も明後日も普通の日常がやってくると呑気に感じている。

「お前、可哀想なやつだな」

小汚いソファの上で頭を抱えてる和義に声を掛けたのは、紫色のスーツを着こなし、目付きが悪い闇人の者だった。

「え?」

ゆっくりと疲労しきった顔を上げ、目の前に足を組んで座るヤクザの男を見た。

「こんなにお前が辛い思いしているのに、家族の誰もお前の言うことに耳を傾けてくれないんだろ?」

「ええ、まぁ...」

「お前の家族、クソみたいな奴らだな」

何も言い返せなかった。愛する家族を馬鹿にされたのにも関わらず怒りさえ生まれず、むしろ肯定する気持ちさえ生まれつつあった。

「そ、そうですよね...確かにすごく辛いです」

相手がヤクザだろうがなんだろうが、初めて自分の気持ちを理解してくれた人が現れ、自然に涙が出てしまった。

何年ぶりに泣いただろうか。

「俺は、お前が新しい人生を歩んだ方がいいと思うけどな」

「新しい人生?」

そう聞き返すと、男は胸ポケットからセブンスターを取り出し、一服し始めた。

「今の家族とは縁を切って、新しい道を歩くってことだよ」

「なんだって?」

考えたこともなかった発想だった。

今まで家族のために闇金にまで手を出したのに、そのヤクザに愛する家族と縁を切れと言われ度肝を抜かれてしまった。

「もし、俺の話に乗るってなら、借金をチャラにして、更に俺が新しい立派な仕事を紹介してやる」

和義は、どんどん膨らんでいく話に、ただ目を丸くすることしかできなかった。

新しい人生...?

その言葉だけが、和義の頭の中の螺旋階段を永遠と昇り降りをしている。

「でも、さすがに家族を見捨てると言うのは...2人の子供もいますし...」

「家族がお前のために何かしたか?喜ばしいことをしてくれたことがあったか?」

一瞬間が空いた後、再び男が喋り続けた。

「お前は家族に対して怒りを覚えるべきだ。甘すぎるんだよ」

男の口から煙がもくもくと現れ、鼻にタバコの臭いが染み付く。

その煙が、まるで和義を洗脳するかのように気持ちを変化させた。

確かに...よくよく思い返してみると、あいつらは何一つ俺に良くしてくれたことがない...

幸せだった時期は、まだ子供が幼い時だけで、大きくなったら息子と娘はまるで、和義を空気のように扱った。俺がお前らを生かしてあげてるというのに。

思えば思うほど、ヤクザの言う通り、怒りがこみ上げてきた。

あんなやつら、家族でもない。俺は新たな道に行くべきなんだ。

「その話、詳しく聞かせてくれませんか?」

男は灰皿にタバコの燃えカスをトントンと先端から落とすと、ニヤリと口を歪ませ、わかったと言った。


男の話はごく単純で、かつ残酷だった。

和義のやり方で、家族3人を殺すことだった。

しかし、そのやり方に自分にも死ぬリスクを負わなければならないという条件付きだった。

流石に人を殺す、しかもその殺める相手が家族だと考えると、躊躇いが生まれたが、男から一丁の黒い拳銃を手渡されると、それに男の感情ものしかかるように和義の躊躇も潰してきた。

初めて握る本物のハジキを吸い込まれるように見つめていると、ふと昔の懐かしい思い出が蘇った。

それは、家族4人みんなで爛々とババ抜きをしている幸せな光景だった。

こうして和義は、かつての幸せをJOKERに奪わせる結末を選んだ。



いつもと変わらないゴミみたいな日常がやってきた。

でも今日で、そんな日常とはおさらばだ。

「なあ、ババ抜きしないか?」

この父の悪魔の言葉は、数年ぶりに家族を振り向かせることが出来たのだ。

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