第三話 月下の魔道 ②

 黒い煙が辺り一面を覆う。物々しき戦の匂いに支配されたこの地は、月の国北岸、黒海に臨む小港の村イネボルである。

唸りを上げて海風が、飛沫しぶきとともに吹き込んだ。爽やかな潮の香りが、瞬く間に視界を晴らす。


 その時を微動びどうだにせず待っていた者が、ついに口を開いた。

「三射目、装填そうてん用意!」

 幼さの残る掛け声に、屈強くっきょうな兵達が従い動きだした。膝丈ひざたけ程もある石の球を四人がかりで持ち上げ、未だ黒煙くすぶる青銅の筒に押し込む。

「装填、良し!」

 その報告の後、今度は発射を命じる掛け声が上がる。男の一人が火縄に火を付けた。それを合図に、その場の全員が近くの岩陰いわかげまで退避する。

 しばしの間を置いて、腹を打ち破りそうな程の轟音ごうおんが大地を揺るがした。



「三発しか保ちませんでしたか……」

 赤髪の少年が報告を聴き、項垂うなだれる。しかしすぐに気を取り直して、設計図に書き込みを始める。

 その熱心な様に心打たれ、肩を優しく叩く者がいた。

「しかし、あれは並の投石機やおおゆみよりも遠くを穿うがつ。しかも球の落ちた地点は大きくえぐれていたと聞くぞ。星でも落ちたかと見紛う程だったと」

 華美なる兵装の男――獅子狩将ししかりしょうは、将の立場として彼を称賛した。

「喜ぶには早すぎます。しかし、悲嘆ひたんに暮れることもしません。着実に目標に近づいている実感がありますので」

「最初出会ったときは、ただの迷子だと思っていたが……まさかこれ程の切れ者であったとはな。して、現時点での問題は」

 質問を受けると、それまで図面に釘付けとなっていた少年の目が嬉しそうに輝く。紙から視線を外し、将を見つめる。そして赤髪の小さな技師は、こう豪語ごうごした。

「耐久性、射程距離、命中精度、連射速度、移設の困難さなど。改善点はまだ沢山あります。しかしそれらが解消されれば、しゃの軍など壊滅に追い込むことは容易い。そればかりか、彼の国の千年城壁でさえ……」

「よもや、神の国の、不落の城塞コンスタンティノープルを指して言っているのではあるまいな?」

「そのまさかです。貴方方あなたがたの歴代のおう達が目指し、未だ叶わなかった城攻めの日々。それももうすぐ終わります。この石吐く獣の咆哮ほうこうによって」

「おお、えるではないか、まさに。今や我ら、しゃ軍によりてこの地に押し込められ、動くことすら叶わぬというのに……」

 将は自身の口の端が吊り上がるのを感じた。

「そのおかげで、こうして腰をえて開発にのぞめるのではないですか。幸い、ここは良質な石と銅がよく採れる」

「これはこれは。我も、弱気でいてはならぬな。期待しているぞ、西の技師殿」

 そう言ってもう一度、少年の肩を叩く。熱意を込めて、すこし強めに。

 将の目には、初めて会った頃の頼り無げな彼と、自信と才気に溢れる彼が重なり映っている。しかし、その二つの影は一つにまとまることがなかった。

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