第三話 月下の魔道 ①

 月の国の都は騒然としていた。猛き武人であり、この防衛戦の要と考えられていた総督ベイレルベイ縞鋼将こうこうしょう戦死の報を皮切りに、各地で有能な武将の訃報ふほうが次々と中央に届く。その度に被害規模の予測、次なる防衛線の検討、新しい将軍の指名、軍隊の再編成、補給路の確保、その他多くの調整事項が司令部を悩ませる。

 数多の識者たちが卓につき、紙面に筆を走らせ議論する。彼らはこの絶望的な状況を悲観する暇もなく、月の国を生かすみちを探していた。


 今や国土の東半分は、その実効支配権をしゃの国に握られている。そのため本来遊撃隊ゆうげきたいとして働くはずの非正規軍を中心に、散発的な反撃が各地で敢行かんこうされることとなった。それは国の死を遅らせるには十分な働きではあったが、流石に数の優勢をくつがえすには至らない。

 支配を失った地があるということは、単に陣地を取られたということを意味するだけには留まらない。東部には肥沃ひよくな穀倉地帯も多く含まれているのである。その影響は既に、食糧の供給もままならないという深刻な問題も引き起こしつつあることが、大臣の報告により判明した。


「しかしながら……敵軍の侵攻には合理性がない。戦闘行動自体に発揮される鋭敏えいびんさが、かえって気持ちの悪い程だ」

 各人の報告が一巡した後、国の基盤工事計画の一部を担う建設大臣は、細眼鏡の位置をしきりに直しながら呟いた。

「どういうことだ」

「敵は兵力の温存をまったく度外視している、と言わざるを得ない。それも、何の意味もなく。たとえばここ。しゃの軍はわざわざ隘路あいろを選んで進んでいる。近くに行軍に適した“王の道”があるにも関わらず、だ。その結果、兵のおよそ半数が戦闘不能におちいっている」

 彼は地図の一点を指差して言う。

「待ち伏せや奇襲きしゅう警戒けいかいしてのことではないのか?」

 臨席りんせきする識者に問われるが、細眼鏡の老人は即座に返答した。

「数日前にその先のとりでは占領されていた。既にそこは敵の支配地だったのだよ」

面々は顔を見合わせる。不気味な程に杜撰ずさんな用兵状況が指摘され、そこから何を読み取るべきか思案する顔である。戦況を覆す糸口が隠されているのではないか。

 細眼鏡の大臣はそれきり黙り込み、誰とも目を合わせず眼鏡をいじり続ける。それはまるで、まだ見えていない何かを探しているかのようであった。


沈黙が場を支配し始めたのを見計らい、この場にいない大宰相の、その代理の者が口を開いた。

月下げっか魔道まどう。それがこの戦の鍵となりましょう」

「月下の……魔道?」

「それは何かは知らぬが、何故関係があると断言できるのだ?」

占い師の意味深な発言に、各所で疑問の声が上がる。

(うふふ、みんな気になってますね。まさにこういう反応を期待してましたわ!)

聞きなれぬ言葉にざわつく面々を眺めながら、彼女は目以外を隠す覆布ヴェールの下で、人知れず得意げに微笑んだ。



君主スルタンの私室。月の皇帝は未だ病床びょうしょうに伏し、わずかばかりの面会が許されるのも大宰相をおいて他にない。


「忌まわしき跛王はおうよ。あれがはじめて我が国の地を擦ったのは祖父王の治世の頃だった。祖父王は捕虜とされ、ついに故郷に戻ることはなかったという……」

 戦場の報は当然ながら君主の耳にも入っている。日に日に悪化する状況に優れぬ体調も相まって、場の空気は鉄よりも重い。

「このままでは、講和の場を持つことも……考えなければなりません」

大宰相の表情もやはり、沈痛なものだった。

「その提案は敵にとって利がない。このまま押せば殺せる相手と、今更何を話そうと言うのだ」

 吟王ぎんおうは真顔で続けた。

「かつて彼が我が国に要求したことを知っているか?」

「主に三つ。領地の割譲かつじょう、彼の名を刻んだ貨幣かへい鋳造ちゅうぞう、そして……人質として、王子一人を彼のもとへ送ること」

 君主の問いに、大宰相は即座に返答した。しかし、その声は次第に小さくなる。話している途中で会話の雲行きの怪しさを感じとったが、しかしそれに気づくのはあまりにも遅かった。

「……そう言えば、お前は我がせがれ――あの末子ばっしを嫌っておったな」

対照的に、君主の表情に変化はない。大宰相はその淡々たんたんとした口調から、主の思考を見通すことが出来なかった。

「いったい、何をお考えですか?」

「我が国に王子は一人ではない。ひるがえって、国は一つしかない。……私が君主であることと、父であるということは、両立し得ぬようだ」

紡ぎ出される言葉は重々しい。大宰相は出来ればその続きを聞きたくはなかった。彼女に身寄りは無く、それ故に親子の情というものを何にも代えがたきものと捉えている。それが敬愛けいあいする主の言葉次第では、その信条しんじょうを捨てねばならぬかも知れない。

「まだ結論を出すには早すぎます。今しばらくお待ちください。すぐに何か策を――」

「よいか……必ず探し出すのだ。忌まわしき末子を。一刻も早く。この国がため、頼んだぞ……」

絞り出されるような懇願こんがん。長年仕えてきた彼女ですら初めて見るような眼差まなざしに射抜かれる。大宰相は最後までその真意を理解せぬまま、ただうなずくことしか出来なかった。

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