第二話 不可視の翼 ⑧

のどかわいた。持ってこい」

 ふてぶてしい催促さいそくの声が終わらないうちに、右手を怪我した少女は大きな杯に酒を注ぎ始めた。

「どうぞ」

「うむ、よし……おっと」

 羽騎士の猛禽類もうきんるいのような眼は、僅かな動きも見逃さない。差し出された杯を、その影に構えた短剣ごと叩き落した。少女は悔し気にくちびるを噛み締める。その顔を裏拳うらけん打擲ちょうちゃくし、無頼ぶらいの女は笑った。

「商人の娘なんて話、はなっから信じちゃあいなかったが、面白いことになってきたな。躊躇ためらわなければ届いていたぞ、臆病者おくびょうものめ」

 それを見た部下たちは感心したような声を出す。

「おそれいった。あの娘っこ、もうお頭に気に入られてやがる」

「残念なことだ、なかなかの器量きりょうだと、ひそかに狙っていたのだがな……」

 この荒くれ達にとっては、これも微笑ましい光景と映る。談笑する隊員に、羽騎士は斧を投げやる。それは味方の兜をかすめ、背後に接近していた敵の首に突き刺さった。

「聞こえてんだよ莫迦野郎共ばかやろうども。集中しな」

「へい!」

 隊長の号令によって和やかさは一瞬にして消え去り、雰囲気は本来あるべき戦場のそれへと変貌へんぼうした。


 海泡石の街エスキシェヒルにて。賞金首の引き渡しのため皇帝の都市カイセリを目指していた狂える騎士達アキンジであったが、しゃの国との戦闘により(また頭領の方向音痴も手伝って)、目的地よりもさらに北西に流れ着いていた。

 少女を自らの馬に乗せ、頭領の女は手綱たづなを取る。家々の壁を巧みに使って弓兵の射線をかわし、側面や後背からしゃの兵を蹂躙じゅうりんして回った。主が何も恐れなければ、馬もまた恐怖などない。急拵きゅうごしらえの馬防柵ばぼうさく馬蹄ばてい餌食えじきに過ぎず、その防衛線はことごとく破られていった。常識外れの強襲に敵の士気は崩壊し、今はただ逃げることしか頭にないといった有様である。

「しかし、防衛に回されるやつらは無能揃いだな。強いやつは前線にしかいねえのか?」

 馬を駆けながら、長柄ながえの斧で走る敵の脚をはらう。千切れた脚に恐れをなした兵に、部下が突撃していく。逃げる者はつかみ、迫る者は刺す。過剰に思われるかもしれないが、一人残らず殲滅せんめつすれば敵はこの惨状さんじょうを直ちに知ることは無く、作戦行動に大きな穴を空けることが出来る。これこそが狂騎兵団アキンジの唯一無二の兵法ひょうほうなのであった。


 一行は死骸しがいを掻き分け奥に進む。生き残りの月兵でまだ役立ちそうな者を途中で回収しつつ、敵軍の親玉を捜索していた。が、ある程度の地点に来ると、様相ようそうは大きく変わった。

「何て臭いなの……」

 血腥ちなまぐさい臭いに、少女は思わず顔を背けた。敵味方の区別なく積み重なった死体は、ひどく損傷し原形を留めていない。不可解なほどに捻じ曲がった腕、明後日あさっての方向に折れる脚。明らかに、ただの戦闘とは違う何かが起こったことを告げていた。

「お頭、その子怯えてやすぜ」

 部下の一人が気づかわしげな視線を送る。

「てめえら、ガキに優しいのは結構だがよ、まさか俺のすることに口を出そうってんじゃあねえだろうな」

 羽騎士は振り返りもせず言い返す。月軍の基地まで行って褒賞を受け取るという、当初の目的は果たせそうにはないが、そんなことなど関係ないといった風情である。しかしその足取りを不安に思うのは、仲間ばかりではなかった。

「お前たち……ここから早く立ち去るんだ……」

 道端の死体が喋る。正確には死にかけの兵士であるが、しゃの国の兵装に身を包んだ者が一行を見かけるなり語り掛けてきたのだ。それは、敵を先に行かせまいとするような口調ではなく、どちらかと言うとこちらを案じているような言い方であった。

 少女は迷っていた。やはり、この光景には既視感がある。この先に進めば、起こることには見当がついていた。だが、それを伝えるべきかどうか。この様子だと聞いてもらえるとは到底思えない。

(どうせ、私の言葉なんて……)

 少女を縛る思考が、沈黙を強要する。

 あと五歩、四歩歩けば――三歩歩けば彼らは、二、一。


 突風が吹き荒れた。と、気づくまでに、羽騎士は数え切れないほど地面に叩きつけられた。視界が滅茶苦茶に暴れる。馬の悲鳴が重なり合う。誰のとも知らぬ腕が飛ぶ。鈍い音が何度も身体に響く。赤い池に赤い雨が降る。壁に打ち付けられる。敵の姿が見える。腕が濡れる。耳元で叫び声が上がる。立ち上がる。同じく倒れた仲間を見やる。命令する。

「立て! 殺す!」

 知らないうちにかばうように抱きかかえていた少女を、近くの物陰ものかげに放る。折れた斧を捨て、無事な剣を抜く。隊長の命令によって部隊は戦闘の再準備を直ちに終わらせる。人は三割、馬は五割が死んだか。それでも構わず、殺すべき敵に突進するときを待ち望んでいた。

「敵は魔法兵、風のそうだ! 弓は仕舞しまえ、槍がある者は用意だ。騎兵は攪乱かくらんせよ、歩兵は全力で走ってついて来い!」

「おう!」

 簡潔な指令を受け、部隊に血が巡る。反攻の開始である。


 飛ぶように移動を開始する狂人デリたちを見て、少女はひとり自責の念に駆られていた。

(私が勇気を出していれば、こんなことには……)

 そこに丁度二人の男女が通りがかった。刃を持つ男と琴を持つ女。目の前に広がる惨状に、しばし言葉を発することが出来ずにいた。

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