第二話 不可視の翼 ⑦

「隣街もついに、戦に負けてしゃの国に取られちまったみたいだ。最近じゃ珍しくもないが」

「ああ、知らねえ言葉を話す奴らが、そこいら中を我が物顔で歩いてやがる。軍は何をやってるんだ」

「知らないのか、この国で一番強い将軍さまってのが死んじまったらしい。首が来見勝ゼラに飾られてるってよ。見に行くか?」

「莫迦言うんじゃねえよ、月の国ももう終わりだって時に、暢気に物見なんかしてられるかい」


 刃を持つ男、琴を持つ女。東に流れるように移動し、一月の半分が経った頃。

 二人は、出会う人々の話題が次第に暗いものになっていることを感じていた。拾い聞いたところによれば、縞鋼将こうこうしょうと呼ばれる総督ベイレルベイが、しゃの国に討ち取られたとのことだ。

「彼は優れた武将だった。俄には信じがたい」

 男は首を振った。

「その強さを直で見たことがおありなのですか?」

「ああ。俺とはりが合わない男だったが、実力は確かだった」

 琴弾きの問いに、男は遠くを見ながら答える。


 十年以上も前のことであるが、刃の男は一度月の国の君主スルタンとして即位したことがある。当時十二歳の頃であった。

 父である吟王ぎんおうは政治的手腕もさることながら、文化面でも類稀たぐいまれなる才能を持つ人物である。そのため政治は早々に後継に任せ、自身は芸術の探求に晩年ばんねんを費やそうと考えていたようだ。しかし忠臣である大宰相をはじめとして、宮中には子供同然の若き皇帝を快く迎える空気などなかった。

 そしてその動静を見破ったかのように、日没する処ヨーロッパからの侵攻が月の国を襲う。短い刃の少年にこの対応は不可能であると誰もが考え、吟王ぎんおうは戦争の期間に限定してではあるが復位した。戦いは勝利に終わったが、若き君主はその後何かにつけ実力不足の誹りを受け続け、その声が彼を苛むこととなった。


 縞鋼将こうこうしょうもその声の中にいた。慇懃いんぎんな態度を崩すことはなかったが、お前では国を護れない、と言いたげな雰囲気をまとい、心からの忠誠を誓っているようには見えなかった。しかしそういった者に限って有能揃いであり、彼らの力によって月の国は動いていた。少年にとってそれは到底受け入れられないことではあったが……。

 大きな反乱を父が鎮圧した後、少年はついに正式に帝位を返上した。そして翌日に消息を絶った。これが王宮における男の全てである。


を、のみ見るものか、我が瞳」

 琴弾きは詩を詠み、続けて言う。

「この世には、避けられぬ悲劇がついて回るものです」

 悲劇、とは何を指しているのだろうか。心を覗かれたような気分になり、男はたまらず女から目を逸らした。

「そうは言っても、失うにはあまりにも惜しい傑物けつぶつだった」

「噂話とは得てして尾鰭おひれの付くもの。悪い方にばかり考えすぎるのは得策ではないでしょう」

 琴弾きはこの状況にあっても、冷静さを崩すことはなかった。


 その後も群衆の暗い話題を聞きながら、日に日に高くなる食糧を買い足し、汗して路銀ろぎんを稼ぎ、夜には琴弾きの語りを聴いた。

 この間 にも何人も死んでいるのだろう。繰り返しの毎日の中で、男には次第にあせりが出てきた。今の自分には何一つ国の益になることが出来ていない。何故か。近くにしゃの兵がいるのなら、行って一人でも多くを殺すことの方が余程国のためになるではないのか。

 その思いが強くなったとき、昔の記憶が呼び覚まされた。それは子供ながらに君主の責を果たそうとし、しかし誰からも必要とされなかった悲しき日の思い出。

(この俺は、これでも国に何かをしようと考えていたのだな……)

 ふと考えたことだったが、男には驚くほど合点がいった。気が付いたのだ。琴弾きと出会って考え方が変わったと思っていたが、実ははじめからずっと、この国の役に立ちたかったのだということに。


 そして、その記憶にはまだ続きがあった。当時唯一味方をしてくれた、何処どこぞの生まれとも分からぬ子供との奇妙な関わり。それがむくわれぬ日々のいやしになっていたこと。現在の彼を形作ったと言っても過言ではない程の、得難えがたき友との交友である。

「あの者、今は何をしているか。生きているだろうか」

 生きていてくれ、と、彼は友の身を案じた。それと同時に、死んでなるものかと、破滅的な思考に偏りがちな自身の心にむちを打った。

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