第二話 不可視の翼 ⑥

 しゃの国に対抗するため、月の大宰相が下した結論は至極しごく単純なものだった。

「ふうん。あの暴れん坊たちを解き放った訳ね。思い切ったことをするわ」

 占い師の女は感心した声を出した。

「別に博打ばくちのつもりはありません。勝算はあると踏んでいます」

「その心は?」

 ずいと身を乗り出して質問する。顔近いって、と、肩を押し止めながら大宰相はこう答えた。

「東部の総督ベイレルベイ縞鋼将こうこうしょうなら飼い馴らせると信じています」


 日々寄せられる報告は少しずつであるが、反攻のきざしを物語っていた。特に活躍目覚ましいのは、羽騎士率いる狂騎兵団アキンジである。既に大小含めて五つの都市を奢の国から解放した。と言っても、軍紀も何も無い集団であるから、その功績を手放しで喜べるものではない。

(理想を言えば、狂人デリたちが掻き回した後に正規軍で止めを刺したいところなのだけれど……)

 その指揮を執れるのは、荒くれどもからの信頼をも勝ち得た者のみ。その観点から言えば、縞鋼将こうこうしょうはまさに最適の人物というべき存在だった。



 時を同じくして、月の国東部国境付近にて。


「敵は必ず分進合撃ぶんしんごうげきにて侵攻を展開するはずだ。先んじて移動経路を封鎖ふうさせよ」

 陣頭じんとうで指揮を執るのは、縞模様しまもようの浮き出る鋼の鎧を身に纏う男、月の君主スルタンからの信頼あつき武人である。彼率いる東部方面軍はしゃの国の猛攻により西方へ一時退却し、ここ古の大商路スィヴァスにて迎撃戦げいげきせんの準備を進めていた。

 この地は単なる交易の中継地であり、守りに適した都市とは言えない。しかし多方からの商路が合流する場所である、という特質を利用することで、敵軍の各個撃破を容易に行えるであろうと踏んだ訳である。

「何としてでも亡霊にはお帰り願わなくては、民が安心して眠れぬのだ」

 縞鋼将こうこうしょうは精鋭を連れ、その行軍の容易さから最も早期に戦闘が激化するであろう古代道路、“王の道”に布陣した。ここより西にはかつて跛王はおう蹂躙じゅうりんした都市、墳墓と神殿の街アンカラがある。だからこそ、敵をこれ以上国の内部に通すわけにはいかない。国の軍事を預かる者として、縞鋼将こうこうしょうは必ずや守り抜くと剣に誓った。


 果たして将の予想通り、そこはすぐさま軍馬が押し寄せ、つか静寂せいじゃくを一瞬にして掻き消した。

「弓兵、放て!」

 号令に従い、矢の雨がしゃの兵に降りそそぐ。重装備故に一撃では死なずとも、二度三度と矢を重ねる度にしかばねの数は増えていった。しかし敵はそれでもこちらへ前進し、次第に両軍の距離は縮まっていく。

「歩兵、前へ!」

 軽装の歩兵が前線に躍り出る。その後ろに重装の古参兵を配置し、縦に厚い戦列にて敵の突撃を受け止める作戦である。騎兵は両翼りょうよくに分かれ、包囲の期を窺っていた。

 正面の軍勢は多くて五千程と見える。しゃの国は分進合撃、即ち別々の経路を辿って最終的に合流する作戦を取るであろうという、縞鋼将こうこうしょうが予想した通りの作戦を取っているようであった。

 対するこちらの兵力は倍の一万。しかも血に飢えた荒くれの連中である。更に言えば縞鋼将こうこうしょう自体も、一騎当千いっきとうせんと恐れられた猛将もうしょうであった。他の道の封鎖も首尾しゅびよく行ったようで、援軍えんぐんが現れる気配もない。それにたとえ伏兵がいたとしても叩き潰せるという自信もあり、月の兵の士気はこの上なく高かった。


 そしてついに両軍は衝突する。しゃの兵は月の兵を包囲しようと戦列を広げるが、月の兵は騎兵でそれを牽制けんせいしつつ、敵戦列を分断すべく突撃を繰り返した。圧倒的な攻勢により、戦局は月の国側優勢の運びである。会戦開始から暫くしてしゃの軍の兵数は当初の半数程に減っていたが、徐々に後退をしつつも粘り強く抗戦していた。

(何かおかしい……)

 歴戦の猛者もさたる勘か、縞鋼将こうこうしょうはこの戦況に違和感を覚え始めていた。こんな戦いは、これまで幾度もこちらの軍に大打撃を与えてきた兵のそれではない、と。

 丁度その時であった。伝令でんれい早馬はやうまを走らせ、大音声だいおんじょうにて到着を告げた。


「急報! 来見勝ゼラが落ちました!」

「何、それは誠か」

「はい、既にこちらへも追撃が――」

 その言葉を遮るように、伝令の喉が射抜かれる。遥か後方には、その矢を射た者が姿を見せていた。


「再び我が物にしよう。覚悟せよ、月の愚者ぐしゃ共よ」

 右脚を引きる男、月の国から跛王はおうと呼ばれた悪魔が、西方から全軍に突撃の合図を送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る