第二話 不可視の翼 ③

 日が地平線の向こうへ消えかかる頃、ようやく少し大きな街が見えてきた。門からさほど遠くないところで市場が開かれており、数々の露店がのきつらねている。戦のせいか品数は薄く、日が暮れるのも構わずやかましく鳴るはずの客引きの声も、それ故か活気の色が少なかった。品書に記された価格には墨の線が引かれ、新たに元値の倍以上の額が刻まれている。財布の軽い彼にとって、あまり見たくはない光景であった。


 しばらく歩いていくと、歩廊ほろうの突き当りに馬をひさぐ者がいた。数は八頭、やはり値は他の店の例に漏れなかった。その中で一際目についたのは、一番端にいる葦毛あしげの馬だった。その葦毛はとても弱り果てた様子で売りに出されている。足腰もろくに立たず、よだれを垂れ流し悲しげにいななく葦毛に、興味を示す者は誰ひとりいなかったようだ。


「お前は、俺に似ているな」

 壮健なる商品たちの末席まっせきに並ぶ場所ふさぎ。そんな馬に、彼はたまらずあわれみの声を掛けていた。それを聞くなり、店主の男が彼をにらみつける。

「金がなければどっかへ行きな。そんなものでも商品には変わりねえ」

 店主は彼の身なりから、冷やかしに違いないと決めてかかっているようだった。寄られては他の客が来なくなり迷惑と、あからさまに不快そうな声を出していた。

「なら、いくらだと言うのだ」

 口をついて出た言葉だった。まるで自身を守ろうとするかのように、彼はほんのわずか身体を強張こわばらせた。

「本気で買おうってのか? その役立たずを。……おもしろい、十一だ」

 店主が提示した額は金貨十一枚。この馬の風体ふうていからは不釣り合いな値に、彼は店主から発せられる底意地の悪い、黒い炎を感じた。


 もう一度馬を見やる。馬は立てずに、くやし気に、足をじたばた動かしていた。あれは病気か何かで、まともに走るようには見えない。普通であればそう思うだろう。乗馬には勿論使えない。だから必要ない。この葦毛は誰にも買われずそのまま無為に老いて、または老いを迎えることすら叶わず死ぬのだ。それを考えて彼は瀬無せなさを覚えた。

「その馬にお決めになったのですか」

 沈黙を破って琴弾きが尋ねる。

莫迦ばかげていると思うか」

 彼は馬を見つめたまま問い返す。手には懐から出したなけなしの全財産。これを袋ごと渡せば、買うことは出来てしまう。だが食糧は買えず、宿にも入れず、馬が一頭と引き換えに旅の計画は総崩れとなる。それでもこれを実行に移そうとしているのだ。そうせずにはいられないと、そう思ってしまっているのだ。これを莫迦と言わずに何と言うと、彼は自覚もしていた。


「わたくしめに聞かずとも、もう鉄は固まっているのではありませんか?」

 女は彼の背中を見つめて言った。彼はその言葉にひとつ頷くと、店主に財布を突き出した。

「残らずくれてやる。この馬は俺が買った」

 その言葉の迫力に気圧され、店主はしばし動けなかった。彼は買った馬のもとに歩み寄り、葦毛を閉じ込める柵を開け放った。

「俺とともに来い。ここがお前の居場所だ」

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