第二話 不可視の翼 ②

 長旅には足が不可欠となる。彼のたくわえは限りなく少なかったが、り好みさえしなければ駄馬だばくらいは買えよう、という程は残っていた。しかし彼の住むひなびた村にあって、商売と言えば通いの商人がたまに立ち寄る程度のもので、馬など到底買える筈がなかった。目当てのものを手に入れるため、まずは市場に行かなければならない。そのため、村から人の足で半日ほど、二人は移動を余儀なくされた。


 道行く者は誰しもが、この二人に視線を奪われた。襤褸ぼろの男と風雅ふうがなる女。正反対のものが並んで歩く様は、とても奇妙に映ったことだろう。

「気になりますか?」

 周囲ににらむような視線を返す男に向かい、琴弾きは問うた。

「大勢から目を浴びるのは久々のことだ」

 そう答えながら、彼はなおもせわしなく周囲に眼光をばらいていた。その表情には幾ばくかの動揺が混じっていた。それからしばらく何かを考えるように、あごに手を添え黙り込んだ。


「顔知れぬ、人の形に息あとう。弓手ゆんでに力、込めるわざなり」

 少し明るい調子で女がうたう。その視線は、はる彼方かなたを向いていた。

その詩に彼は無意識に己の右手を見つめる。てのひらを見つめて、ゆっくりと閉じる。これは自分にとって、刃を握る手だ。隣の女の手は琴を弾く手。多くの手がこの世にはあふれている。とかく他者の存在を忘れがちになってしまうということを、彼はまざまざと思い知らされた。もう一度往来に目を向ける。やはり道行く民草たみくさは、こちらを五分の好奇心と五分の恐怖心にてうかがっている。しかしそれは彼らが彼ら自身の手を守るための反応だ。名も知れぬ者たちだが、皆生を全うしようとしている一人ひとりの人間だ。そのことを忘れてはならないと感じた。


 先ほどよりも落ち着いた心持ちで道を歩いていくと、もう二度と動くことのない手もあるという事実も眼前に認めた。路傍ろぼうの一角に、縄と布とで無造作に作られた山があったのだ。それは隣の墓地に埋葬されるのを待つ者どもの、一時的な居場所である筈だった。しかし見たところ、それはつい棲家すみかとなりそうである。墓地には既に死者を受け入れる余地は無く、されどこの引き取り手の現れないむくろは、永久とわにそこに残り続ける他にない。布からだらりと垂れる手を、引く者はないのだ。その上なんともおぞましいことか、矮小わいしょうなる獣がその肉を食い荒らし、人の尊厳を亡きものにしてすらいる。中にはさぞ幸せだったろう、婚礼の衣に身を包んだ少女と思しき姿もあったが、彼の目には却って一層哀れに映った。


 戦火は確かに、其処そこにある。

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