第一話 刃と琴弾き ⑨

「語り伝う道化どうけとして、あなた様のなさるべきことをお伝えしに参りました」

 目を見据えたまま、女は言った。

「この指輪、それはもはや意味を為さぬ。ただの飯のたねだ」

「異なる月に言は泣く。あなた様も、その腰の短刀も、居場所はここではありません」

「俺に戦えとでも言うのか。この国の為に」

 彼は怒るでもなく、女に聞いた。

「国の為ではなく、あなた様の為に。そしてそれが、民の為となりましょう。此処ここの者たちが必要としているのは、敵を打ち払う力です。その溝に差し込む刃は、あなた様をおいて他にありません」

 琴弾きの言葉は湯の泉が滔滔とうとうき出すが如く、質量と熱量を持って流れ込んでくる。


「だが、俺は家を出た者。それに一人だ。何も為せまい」

 彼はそれだけ呟くと瞳を閉じた。

「お労しや。長き苦難の日々により、多くのことをお忘れになりましたか」

「端から在ったかも怪しい」

 彼は久々に、自身の身なりをかえりみた。着衣はぎだらけの上色褪いろあせて、元の形が思い出せない。それにたとえ覚えていたとしても、彼自身が語る術を持たない。それは最早存在していないも同然と、そう思わざるを得なかった。


「名君は作ろう創ろうとつくろえば、史書のこうより出で来るものなり。歴史は真実、真実は正義。されど正義は弱者を語らず」

 その否定の句を斬り返すように、琴と言にて女が詠う。

「ですから、わたくしめがここにいるのです。故にあなた様は一人ではありません」

 もう一度、二人の視線が絡み合う。しかしそれは長く続かなかった。彼は女に背を向けた。

「そのような戯言ざれごとで意が固まろうはずもない。第一に、お前のことも何も知らぬのだ」

 背中越しに大きな溜め息が漏れる。次につむがれる言葉が拒絶でないようにと、女は祈るように待った。

「……だが、少しは音を聞いてみようという心持ちだ。ゆめきさせるな」

 その意志を聞き取り、女は深々と頭を下げた。その金色の瞳は、背中の影でうるんでいた。

 朝告げの鳥が鳴いた。空を分厚く覆いつくしていた雲が切れ、その間から差した陽光は、二人を明るく照らし出した。

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