第一話 刃と琴弾き ③

 月の国北方の沿岸都市、英雄座する港ゾングルダクにて。


 軍楽隊メフテルの調べも止む頃、月の国の兵士たちは戦後の処理に当たっていた。

「北の野郎ども、戦場にこんなもの持ってきやがって……」

 戦利品は早い者勝ちである。顎髭あごひげの伸びきった老兵はやや大きめな酒瓶を一つ、死体から取り上げた。

「まあ、確かに酔わねばやってられんが」

 自嘲じちょう気味に口の端が歪む。瓶の口を一切の躊躇ちゅうちょ無く叩き割り、透明な液体を喉に流し込む。焼けるような心地よい痛みが鼻に抜けた。


「どうして……そのように平気でいられるのですか?」

 その落ち着いた様子を見て、鰐皮鎧さめがわよろいまとった新兵がたまらず問いかけた。

「慣れ、だな。今やもう、自分の命すら大事に思わない。それだけだ」

 不安そうな顔を尻目に、老兵は酒を呷る手を止めない。

「あの捕虜ほりょたちは、戦に負けた者たちは、これからどうなるのでしょうか?」

 新兵の視線を追うと、捕虜となった敵兵の列が遠目にあった。彼らは皆一様に右のてのひら穿うがたれ、そこを貫く太縄によって束にされている。後ろから槍兵に追い立てられながら馬にかれ、彼らは為すすべもなく歩かされていた。

「いいか、余計なことは考えるな。俺たちは目の前の敵を討つだけだ」


 老兵の目の前の若者は、泣き出しそうな赤子のようにも、疲れ切った老人のようにも見えた。どうやら連行される捕虜の姿に、明日の自分を重ねて見てしまっているらしい。此度は自国の大勝であったにも関わらず、新兵は明らかに戦意を喪失していた。

「でも、あなたもあの噂をご存知でしょう? わたしたちが次に繰り出される戦場には……その……」

 質問の意味するところは明白だった。老兵は忌々しげに鼻を鳴らした。

「ああそうだ。あの悪鬼が待ち構えているかもしれない訳だ」


 海を渡って侵攻してきた雪の国、北方の雄とも呼ぶべき大国に対する防衛戦争。その大勢が決した後、戦線を展開していたこの部隊には、強行軍にて東部国境へ転戦せよとの命が下された。重装の騎兵スィパーヒーを主軸とする彼ら一団は、これまでも連戦連勝を収めてきた、言わば戦場のかなめであった。しかし今は、炎のごとく盛んであった士気にもかげりが見えた。

 度重たびかさなる戦闘による疲弊ひへい勿論もちろん影響しているだろうが、この新兵が――実を言えば、半数近くの兵たちが同様に、静かに心を絶望に染めているのは、次なる敵についてまことしやかに語られる、あるうわさのためであった。


 死したはずの“跛王はおう”が再びよみがえった、という、にわかには信じがたい噂の。


 重苦しい沈黙の中、老兵は再び酒瓶を傾ける。そしてさかづきを新兵に突き出して言った。

「呑まれるくらいなら飲め。俺たちは騎士であり、そしてそれ以前に男だったはずだ」

 新兵はその言葉に、華奢な肩をびくりと震わせる。そして神妙な顔つきをして酒を受け取った。恐る恐る口を近づけ、ごくり、ごくりと、自身の意を確かめるように喉を鳴らして飲んだ。

「それでいい。それでいいんだ。我らが月の威光を信じることだ……ああ……」

 老兵は東の空を見上げた。光など届かぬような、底知れぬ暗闇が広がっている。

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