第6話

現代の連絡手段というのは私が学生時代の頃より格段に進化していて、例えばメールなんかは今はビジネス向けでプライベートな連絡はメッセージアプリやらSNSやらを使うらしい。ガラケー使いであり尚且つ連絡する相手のいない私には関係のないことだったが。

…まさか、今になってこういった手段を使うことになるとは。

私は見慣れぬチャットのような画面に戸惑っていた。メールよりも手軽で、短い文がすぐに返ってくる。しかも複数から。

私は先日、ひとりぼっちのサークル(?)に入れてもらっていた。何人が登録しているのか、どんな人達がいるのか正直全く把握していなかったが、かなりの人数がいるようだった。

私はずっと、「世界」に入れないと思っていた。目の前の世界、それが全てだった。だから他の可能性は最初から全て捨てていたのだ。私には無理だ、私の居場所などないのだと。

…外には違う世界があるかもしれない、そんな簡単なことを思いもしなかった。それを、死に面して知るなんて。

私はあまり話には入れなかったが、それでも満足だった。普通の人に近づけた、そんな気持ちだった。

昼に起床した私は近所のスーパーに向かった。麗らかな陽気の中を、のんびり歩く。

自転車に引かれて気絶したあたりに差し掛かり、私はあの日を思い出していた。死にたくて、消えたくて、それでも生きていかなくてはならない。あの時と比べれば、今は幸せな毎日を過ごせている。

絶望から生まれた希望。この矛盾について、ここ数日何回考えたことだろう。

私は少しだけ咳き込んで肺を押さえた。今日はあまり体調が良くないかもしれない。確実に私は死へ向かっている。

平日昼のスーパーは平和な空気が漂っていた。親子連れやお年寄りが多くいて、自分が浮いていないか多少心配になった。

カートを押しながら、私はポケットの中にしまっていた紙を取り出す。数日前、図書館でコピーしてきたレシピだ。

最近やたらとパクチーなる香草がもてはやされていることを図書館で知った。それはタイ料理に多用されるらしく、ならばと今回はタイ料理を作ってみることにしたのだ。

トムヤムクンとカオマンガイ、揚げバナナ。大見得切ったわりにはわりと普通のメニューだが、これまでグルメとも無縁だった私にとっては新たな挑戦であった。逆に言うと、ほとんど食べたことのないジャンルのため自分が食べきれるのか不安でもあったが…。

聞いたこともないようなスパイスとにらめっこし、草にしか見えないパクチーもカゴに入れる。やたらと重くなってしまったレジ袋は耐久性に不安があったため、下から抱えるようにして持ち上げた。

スーパーを出てふと道路の反対側を見ると、大きなリサイクルショップがあることに気づく。今までスーパーに来ることはあっても、目的を済ませてさっさと帰ることしかしてこなかった。私はどれだけ周りに注意を払っていなかったのだろうか。あるいは、どれだけ余裕がなかったのか。

帰り道は家にある売れそうなものを考えながら歩いた。洋服は数着、しかも古ぼけたものしかない。アクセサリーの類いは皆無、本も食器も家電もない。あるのは消耗品と、生きるのに最低限必要なものだけ。

私は苦笑いした。ガランとして、ボロボロのあの部屋は何も持ち合わせなかった自分そのものだと思った。物があれば幸せという訳ではないだろうが、死後にあの部屋を見て私が幸せだったと思う人はいないだろう。

そのボロアパートに着いて冷蔵庫に食材をぶちこむと、私は携帯のブラウザでマップを開いた。

仮想旅行。インターネットで出会ったうちの一人が教えてくれたものだ。行き先を入力し、実写の地図を眺める。

私は片っ端から知っている観光地を入れてみた。温泉街、お花畑、海水浴場にテーマパーク…。旅行とも無縁の人生だったので、かなり在り来たりな場所ばかりだったが、何故か胸が踊った。

遊園地の観覧車を見つけた時、私はふと中学時代の遠足を思い出した。

当時は絶賛いじめられ中だったため、余り物グループに入れてもらったもののその中ですら浮いていた。自由行動になった瞬間、蜘蛛の子を散らすようにいなくなったグループの子達の背中を妙に覚えている。

やりたいことも行きたいところもなかった私は、集合時間までショッピングモールで時間を潰そうと考えた。そこで目に入ったのが観覧車だった。

ショッピングモールというより小さな街のようになっているそこは、親子連れやカップルの幸せそうな笑顔で溢れていた。私はなるべく彼ら彼女らを視界に映さないようにして、観覧車の行列に並んだ。

乗り込んだ観覧車はさほど大きなものではなかったが、それでもだんだんと地面が遠くなり人が小さくなっていく。私はそれをじっと見て、なんとなく自分がどこかに隔絶されるような不思議な感覚に陥っていた。

こんなに楽しそうで幸せそうな人達がたくさんいても、私はその輪に入ることができない。思えばこの頃から私はそのことを知っていたのだ。

なんで観覧車に乗ろうとしたのか、今では上手く思い出すことができない。私はそこで物思いから覚め、今度は遊園地に行ってみるのもいいかもしれないと思った。


またいつものように眠ってしまったらしく、私は夕方に目覚めた。咳き込みながら窓を開けると、夕焼けが街を真っ赤に染めている。

どこまでも広がる空は誰にでも、どこにいても平等だ。私のような死にかけの無人間も、未来ある子供たちの上にも等しく広がっている。

これから何回夕焼けを見ることができるだろうか。最近は少しだけ、そんなことを考えてしまう。

永遠と続く毎日に絶望していた私は、タイムリミットを手に入れた。それは自由の切符であると同時に、自分の内面に向き合うことでもあった。

しばらく夕焼け空を眺めていると、聞き慣れないメロディが室内に響いた。私は思わず部屋を見渡し、ようやくそれが携帯の着信音であることに気づく。

小さな画面に届いたメールは、私の自由の一欠片と引き換えに、大きな何かを与えてくれた。


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