第4話
太陽が完全に昇った午後、私はノロノロと瞼を持ち上げた。
カーテンの隙間から日がサンサンと降り注ぎ、今日も快晴のようだ。
手元に投げ出された携帯をぼーっと見て、夜の記憶を呼び覚ます。…ああ、昨日私は世界の端っこに加わったのだった。
一応昨日登録したアカウントを見てみるが、当然の如くなにも変化はなかった。現実だろうとインターネットだろうと、自分から何かしらアクションを起こさなければ、ただそこにいるだけだ。
それは学生時代の自分と重なる。
小・中といじめられてきた私は期待するのを止めてしまい、高校では常に人と距離をおいていた。無理矢理内側に入ろうとして排除されるよりも、自ら外側にいることを選んだ。
そんな私に対してクラスメイトたちは大人だった。いじめることも積極的に関わることもせず、明確に線を引いてくれていた。
思えばあの頃が一番楽だったのかもしれない。楽しい面白いことは何一つなかったが、反面辛く厳しいこともなかった。
そこまで考えて私は苦笑した。人が死ぬときは人生が走馬灯のように甦るというが、振り返るほどもない私の人生においてもそれは例外ではないらしい。
改めてSNSを見てみる。プロフィールの欄に皆好きなものや出身、職業なんかを書いている。その何かがひっかかる人同士が繋がる、というところだろうか。
しかし、文字を打とうとした指がふと止まる。
私は誰かと繋がりたいのだろうか?
昨日検索したのは、「やりたいこと」を探すためだった。それが何故か思いつきで登録し、今「自分」をカテゴリ化して書き留めようとしている。
――どうせ消えるなら、なんでもできるじゃん。
ふいに頭の中で見知らぬ彼が囁いた。
そうだ。私は死ぬのだ。ここで誰かと繋がろうが外から眺めていようが、どうせ消えるのだ。
人生に先があれば、こんなことはしないであろう。でも、期間が限定されているのであれば。
私はなんだってできるのだ。
結局何も持たない私は、「何も持たない」ことを正直に書くことにした。
友達もいない、仕事もしていない。無理矢理当てはめるとしたらニートなのか、もしくは引きこもりだろうか。
ついでに他のSNSにも登録を試みる。あるサイトはカテゴリごとにグループのようなものがあり、そこで同じような境遇の人とコンタクトがとれるようだった。
『――余命残りわずかと言われたら、あなたは何がしたいですか』
全てに共通の問いを投げかける。一通り書き終えると、私はなんだか充実感を得て床に大の字になった。
ここ最近はただ寝て起きて、たまに食事をするだけの生活だった。生きる屍、そういう表現がぴったりはまるような。
しかし今日はどうだろう。こうしている間にも私の寿命はじわじわ減っているだろうに、そんなことを知る前よりもはるかに活動的だ。
そんな矛盾を、私は面白く思った。なにかを面白く思うなんていつぶりだろう。
興が乗ってきたので冷蔵庫にある賞味期限切れのロースハムを食べることにした。半年以上ぶりにフライパンを引っ張り出し、少しだけ油を引いて焼く。腹は丈夫な方とはいえ、さすがに賞味期限が気になったのでとりあえず火を通す作戦だ。
そのへんにあった醤油を適当にかけ、箸で口に運ぶ。久々の温かい食べ物に、私は思わず目を見開いた。
美味しいものが食べたい。死ぬ前に、そう思う人は多いようだった。私は食事に疎く、またお金もないのであまりそういう発想にならなかったが、これは死ぬ前にやっておきたいことのひとつかもしれない。
そしてそれをそのままSNSに書き込んだ。気恥ずかしいが、小さな一歩。
たいして美味しい訳でもない安物のハムが、今だけは素晴らしいもののように思えた。
それからはゴロゴロと床に寝転がり、たまに携帯を見ながら過ごした。残念ながら私の言葉は特に誰にも届いておらず、反応はなかったものの、気長に待つことにする。
その間にインターネットを活用して色々調べてみた。死ぬまでにやりたいこと、というのが少し広すぎるように思えたので、長い休みがとれたらやりたいことなどもっと身近なテーマで検索する。
そのなかですぐにやれそうなものや一人でも可能なものなど、気になったものは携帯のメモ機能に残していった。この作業がなんだか楽しくて、気がつけば長時間没頭してしまった。
一段落したところでメモを見返す。
図書館で一日中本を読む。カフェで好きな飲み物を片っ端から注文する。難しい料理を作る。電車で適当に旅してみる…。
お金のことさえ除外すれば、どれもすぐに実行できる。そして今の私に貯金は必要ない。未来のことなど考えず、その日一日のことだけを見ることができる。それは、紛れもない自由であり、人生で初めての楽しみだった。
アパートから徒歩5分のところにあるというのに、私は今まで図書館に来たことがなかった。「他人の」やりたいことリストの一番上、図書館で一日過ごすを実行すべく、私は珍しくちゃんと午前中に起床した。長らく着ていないTシャツにジーンズを履き、肩下まで伸びた髪を適当に結う。
図書館は広々としていて、空調も快適だった。思っていた図書館とは違う風景に、私は少しびっくりしてしまう。
とりあえず手前の本棚から見て回る。…情報をシャットアウトしてどれくらいだろうか。知らないベストセラーがところ狭しと並んでいて、私は失われた時間に思いを馳せた。
元々すごく読書好きな訳ではなかったが、いじめられていた小・中学校時代はしょっちゅう図書室に逃げ込んでいた。そこなら他学年の目があるし、騒いだら追い出されるのが分かっていたのでクラスメイトも追いかけてこなかった。
その時はなるべく分厚くて難しそうな本を選び、そこに集中することで現実逃避していた。
やっぱり走馬灯なのだろうか。今までほとんど思い出さなかった昔の記憶が甦ってくる。私は料理本のコーナーに移動し、難しそうなレシピを探した。実際に作るかは分からないが、知らない料理の工程を見るのはなかなか面白かった。
長いこと独り暮らしだというのに、料理らしい料理をしてこなかった。難しそうなレシピを見ても、まるで様子が想像できない。そもそも食材で見たことも聞いたこともないのが多すぎる。
それでもいくつか面白そうなレシピを見つくろい、図書館内でコピーする。アジア料理っぽい物からフランスのスイーツまで。死ぬまでに行くことはないであろう、未知の国々の食べ物だ。
小説のコーナーは作家順に並べられていた。青春物やサラリーマン系は心が辛くなると思ったので、吟味した結果手に取ったのは古い推理小説だった。
これが案外面白かった。推理なんてしたこともないので全く分からないのだが、そのぶん先が気になってついページをめくってしまう。同時に、考えている人はすごいんだなと素直に感心した。
時々休憩室でペットボトルのお茶を飲みつつ、私は一日中図書館に居座った。雑誌コーナーで表紙の美女たちにビビり、新聞コーナーで今の社会情勢を知る。視聴覚コーナーで聞いたCDは小学校の頃憧れていたアイドルのものだった。メンバーは入れ替り、誰も分からなくなっているが少しだけ心が踊る。
夕方5時の閉館時間になると、寂しげな音楽が流れてきた。一日中いたのに怒られず、眉をひそめられることもない。私はほんの少しだけ、今まで来なかったことを後悔した。
ボロアパートでふと思い出し、携帯を開いてみる。相変わらず着信はなかったが、サイトを開いてみると見慣れないアイコンが表示されていた。
心臓がひとつ、どくんと大きく鳴った。
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