第3話
審判の日は意外に早くやって来た。
家族の人とかいらっしゃいますか、という電話口での問いかけがもう答えのようなものだった。
頑張って最新治療を受ければ治るかもしれないけど、高額なこと。そのままにしておけば余命は一年くらいだということ。
テレビなんかで見たことのある深刻なシーンが、自分の目の前で繰り広げられている。
違うのは、泣き出すような人がいないことか。
とてもじゃないが治療費なんて払えそうにないので、丁重にお断りをして病院を出た。空は作り物みたいに青々としていて、それを清々しくさえ思えた。
快晴の昼下がりをとぼとぼ歩く。微熱は少しだけよくなっていて、それが皮肉に思えた。…どうせ死ぬのに。
しかし、私の心は凪いでいた。むしろ何かから解放されたような気分ですらあった。
一年間。それが過ぎれば、私は私を終える。
これがみんなに愛されているうら若き乙女だったら悲劇以外の何物でもない。しかしカテゴリー「無」の人間にとっては、やっと見えたゴールであった。長く生き続けたところで悲惨な未来しか描けないのだから、勝手に悲劇のヒロインとして仕立てあげてくれる病気には感謝したいぐらいだった。
ボロアパートは今日もテレビの音以外、静かだった。帰りにコンビニで買ってきたチューハイとスナック菓子を床に置き、私はそのままゴロンと寝転がる。
窓からのぞく青空には雲ひとつ見当たらない。
しばらくそのまま見ていると、急激に眠気が襲ってきた。
私はゆっくりと眠りに落ちながら、一瞬だけ過去を思い出していた。
夢を見た。
私は高校生くらいで、教室で弁当を食べていた。周りの楽しそうな声の中で、一人きり。
何故か夢の中の自分も死期が近いことを覚えていて、死にかけなのにこんな美味しくない弁当を食べるなんてもったいないななんて考えていた。
「そうだよ、もったいないよ」
すると突然横から声をかけられ、私は思わず振り向いた。
見れば、見知らぬ少年がニコニコと私の肩に手をかけている。
「どうせ消えるなら、なんでもできるじゃん」
そう言うと彼は私の弁当の中から卵焼きをつまみ、自分の口に放り投げてしまった。
私の卵焼き、と叫ぼうとしたところで目が覚めた。
…なんだこの夢は。
窓の外を見るとまだ明るい。そんなに時間は経っていないようだ。
横にはぬるくなったチューハイが転がっている。私はその「桃」という文字を指でなぞりながら、夢の中の少年の言葉を反芻していた。
――どうせ消えるなら、なんでもできるじゃん。
今まで私ができなかったこと。そんなのたくさんありすぎて、咄嗟に思い出せない。
楽しい、面白い、幸せと思えることなんてほとんどない人生だった。そう考えると何故だか笑えてくる。
私は無意識に缶チューハイに手を伸ばす。
例えば、誰かとお酒を飲んで楽しむこと。
他の人ならひとつひとつ思い返す必要もないくらいありふれたことだ。
空っぽの私は、死ぬまでに何をしたいのだろう?
甘ったるい桃味のチューハイは私を潤してくれるものの、答えまでは与えてくれなかった。
そこからまた寝たり起きたりを繰り返し、気がつけば夜の帳が下りていた。
私は一念発起し、ホコリをかぶったカバンから携帯を取り出す。
折り畳み式の、いわゆるガラケー。連絡なんてバイト先くらいしか取らないので私にはこれで充分だった。さすがに電池がないのか、電源ボタンを押しても反応はない。
ゴチャゴチャと絡まったコード類の中から充電器を探し当てると私は久々に充電をした。赤いランプが点り、真っ暗な部屋の中そこだけぼんやりと明るくなる。
しばらく経ってもう一度電源を入れると、今度はちゃんと画面が光り出した。
着信はゼロ。メールは、何かのメルマガと迷惑メールが数件。
持ってる意味もほぼないし、解約してしまおうかとも思った。けれど。
私はメニューからブラウザを選択する。地球のマークをクリックすると、検索エンジンが開いた。
私は驚くほどインターネットを使わない。通信費節約とか以前に、調べたいものも繋がりたい人もいないのだ。
とりあえず自分の知っている中で最大のSNSを開いてみる。
SNSは誰かと繋がるためのものだと思っている。現実の知り合いであれ趣味や気の合う他人であれ。残念ながらどちらも持ち合わせていない私には、最も遠いもののひとつだ。
しかしここでつまずいた。
何を検索すればいいのか?
変な単語を入れたら「いのちの相談ダイヤル」的なのが表示されるだろう。
しばらく迷った挙げ句、「死ぬまでにやりたいこと」を検索してみることにした。
私はそこで圧倒される。
表示されるたくさんのアカウント、たくさんの文字。こんなにもたくさんの人が、たくさんの欲望を持っているのだ。
今まで全く無縁だった世界の一端に触れた私はうろたえた。とりあえず上から読んでみる。
どこどこに旅行に行きたい、結婚したい、長い休みをとりたい、芸能人に会いたい等々がズラリと並ぶ。私はポチポチと十字ボタンを操作し、丹念に目で追った。
中には私と同じように、やりたいことが何もないという人もいるようだった。これだけたくさんの人がいれば、自分と似た考えの人もる。そんな当然のことに私は今更気がついた。
目が疲れてきたので私は携帯を閉じた。パチン、と軽い音がして一気に現実に引き戻される。
電気すらつけていないボロアパートの一室は真っ暗闇。ここが、私の現実。
桃チューハイを飲み干すと、私は眠りにつこうとした。そこで何を血迷ったのか、もう一度携帯を手に取る。
こういうのは勢いが大事だ。
そのまま慣れない操作を続ける。メールアドレスなんてもう忘れてしまった。四苦八苦していると、ようやく画面の表示が切り替わった。
「登録完了しました」
それを見届けた私はなんだか力が抜け、今度こそ深い眠りについた。
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