第2話
なんとなく視界が歪んだまま歩道を歩く。久々の外気に体が拒否反応を示しているのか、熱が上がってきたようだ。スーパーに着くまでにどれくらいかかるやら。もしくは、その前に行倒れてしまうかも。
そんな馬鹿なことを考えていたら、なんだか凄まじい金切り音が響いて背中に衝撃を受けた。変な比喩表現ではなく、実際に。
気がつけば私はその場に倒れこんでいた。やけに背中が痛い。
「だ、大丈夫ですか!!」
「救急車救急車!!」
にわかに周囲が騒がしくなる。目をこらすと自転車が横倒しになっていた。どうやらこれが私にぶつかってきたらしい。
周りからなんのかんの言われるが、私には背中の痛みより微熱の方が問題だった。ボロアパートを出発したときより、明らかに頭が重くて呼吸が荒い。正直言って背中は大した怪我ではなさそうなのだが、そんなことなど露知らぬ通行人達には自転車に曳かれて意識を失いそうになっている被害者に映っているようだ。
やがてけたたましいサイレンの音が近づき、救急隊員が一目散に私に向かってきた。あっという間に担架に乗せられると、救急車のお尻部分から収納された。
名前と住所を聞かれ、荒い呼吸の隙間に答える。
図らずも病院へ行くはめに…。ラッキーなんだかアンラッキーなんだか。
またもやそんな馬鹿なことを考えていたら、突然意識が飛んだ。
無意識の暗闇は優しくて、私はずっとここにいたいだなんて思ってしまった。
今回も私は霧散することなどなく、問診の後色んな検査を受けた。
レントゲンやらMRIやら、各部屋をたらい回しにされる。
事故の後というのはこんなに手厚く扱われるものなのか。私は疑いもせずに、ただお金の心配はしつつ従順に従った。
最後にもう一度先生に呼ばれて診察室に入る。白を基調とした空間は、何故か少し緊張感が満ちていた。
「事故の件ですが、後遺症や怪我は大丈夫そうです」
白髪混じりの先生が頷きながら言う。私は小さく頭を下げた。
しかし、そこから謎の沈黙が続く。
私はしばらく待機したが、しびれを切らして彼の結論を促すことにした。
「えっと、他になにか?」
「…実は、検査で少し引っ掛かる点がありまして」
先生は厳かに私に告げた。私は彼の言わんとすることが分からず、首をかしげる。
「この部分、影があるの分かりますか?」
その瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を覚えた。それが悲しみなのか、それとも違う感情なのかは分からなかった。
先生が指差した肺のレントゲン写真には、確かにもやもやとした白が写っている。
「とりあえず、再検査しましょう」
事故の後と同じように色んな検査を受ける。注射針を刺されるのは学生以来だったので、思わず目をつぶってしまった。それ以外は淡々と進めていく。
このお金ってどうするんだろう、という不安だけはあったが、逆に言えばそれ以外はあまり気にしていなかった。というより考えていなかったというべきか。
もしも、これで即入院レベルだと言われたとして、その時自分はどうしたいのだろう。積極的に生きたくはないが死にたい訳でもない、宙ぶらりんな自分に治療を受ける権利などあるのだろうか?
一通りの検査を終えて古アパートに帰宅する頃には、すっかり日が暮れていた。事故だなんだが遠い昔のようだ。
何気なく冷蔵庫を開け、そういえば食糧買い出しに出たんだったけと思い出す。冷蔵庫にはいつかバイト先でもらった試供品の缶ビールと、賞味期限の切れたロースハムだけが入っていた。
一瞬考えた末にビールを取り出す。酒をよく飲む訳ではないのだが、構わずにプルタブを開けた。
プシュッと小気味良い音が響き、私はそのまま口をつけた。あまり美味しいとは思えない、ホップの苦味が舌に広がる。
生きているのか死んでいるのかわからない状態で毎日を浪費していた。進むのも留まるのも地獄だと分かっていながら、何もすることができなかった。
検査の結果はわからない。もしかしたら全然平気で、また昨日までと同じような生活になるのかもしれない。
それでもある意味人生の岐路に立たされ、何かひとつでもいつもと違うことをやっておこうと思った。それが、このビールだった。
隣からはバラエティの笑い声、それ以外は無音の空間。電気もつけずに横になりながら飲むビールに、私は幸福感を覚えていた。
死という絶望が私に希望を与えているのだ。普通に考えてそれはおかしいはずなのに、今の私にはそう思えてならなかった。
ゆっくり瞼を閉じる。今このまま目が覚めなかったら、最高かもしれない。
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