百年ぐらい孤独


 どうして動画の違いによって温度差が生じたのか。

 それは観察者がいたからである。夢の語り手とは別に夢の観察者がいたのだ。

 しかし、それは理性的・科学的ではないという批判もあるだろう。それでも、観察者の存在なくして現実に変化が起こるということを証明できないのは事実である。だがその観察者とは誰なのか?

(ここで語り手のザムザは口をつぐみ、何を喋ることもやめてしまった。代わって喋り出したのが榊であった。)

 観察者は私である、と主張することができる人は、この中にはいないだろう。何故なら、観察者は存在が示唆されつつも存在していることを表明する立場にはないからである。

 実験は動画の存在の有無に大きく影響されたのではない。またカオス理論的に、小規模の差異が大規模の差となって表れたために部屋の温度が違ったというわけでもないのである。むしろ、こういうべきなのだ。観察者がいなければ、差異は存在し得ない、と。

 もう少しはっきりと言おう。普遍的な法則が常に永遠に有効とは限らない。そのことはもちろん普遍的な法則そのものを否定する根拠にはならないのだが、亜空間物質転送装置の前では、空気の寒暖さえも転送することができるのだ。もはや亜空間物質転送装置はある主人公のように一人歩きし、様々な現象に影響を与えていく。それを記録可能な観察者がいなければならないのだ。しかし、観察というのは、百年ぐらいの途轍もない長い孤独感への忍耐がなければ、できないのである。温度差を生じさせる間仕切りのようなものがある、というのではないか、と考える人がいるかもしれないが、この亜空間物質転送装置というのには実体がないらしい、というのはここまで読んだ方ならなんとなく察することができるはずだ。実体がなければ、この装置はどんな働きをしているのか、という認識も難しい。しかし、それは容易に解決できる。何故なら、この亜空間物質転送装置じたいが、意識を持った観察者だからである。語り手があるのかないのかといった問題に拘わなくていいのは、こうした理由による。

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