第8話 鍾乳洞とカルスト台地

 時間はまだ午前10時だ。これからどうするのかなと思っていたら、翼君は土産物屋が並ぶ方向を指さした。


「秋芳洞にいこうぜ」

「それはいいけど、入場料が必要だよ」

「気にするなって。俺に任せろよ」


 そう言って、翼君は僕の手を引いて歩きだす。正面に『秋芳洞入り口』の看板が見えた。


 秋芳洞入り口へ向かう誘導路の両脇には所せましと土産物屋が並んでいた。石灰岩や大理石で作った置物とか、萩焼の湯飲みとか、海産物の干物とか、並んでいる商品が案外バラエティに富んでるのが面白かった。翼君はもみじ饅頭を二つ買って一つを口に放り込んだ。そして、残りの一つを僕にくれた。


「涼も食べるだろ」

「うん」


 僕は土産物屋の脇に設置してあったベンチに座って、包装フィルムを剥がす。そして、もみじ饅頭を半分にちぎってから口に放り込んだ。


「なあ。そ、その食べ方、乙女って感じで凄くいい……」


 いや、これは意識して、お行儀が悪くならないようにしてただけなんだ。この、女の子の格好でガブリと行くわけにはいかないだろう。でも、翼君に喜んでもらえたようで嬉しかった。


「あははは。いつも通りだとね、バレちゃったら困るから。だから、歩き方とか気を付けてるんだ」

「そうだろうなって思ってた。ああ、俺としては楽にしてくれてていいから。いつもの涼でいいから」

「気持ちは嬉しいけど、これは僕自身の問題なんだ。ホント、バレたら困る。ところで翼君は甘いものが好きなの」

「俺はこんなだから意外に思うかもしれないけどな。実は大好きなんだ。特に、和菓子系のお饅頭とかおはぎとか。こしあんより粒あん派かな」

「僕もそうだよ。粒あん派」


 甘いものの趣向が同じだった事で、翼君はものすごく喜んでいた。こんな他愛のない話で喜んでもらえる事が意外だったんだけど、異性とのお付き合いとはこんなものなのかもしれない。食べ物とかTV番組の話とか、そんな話をするんだろうな。

 僕はベンチから立ち上がって、もみじ饅頭の包装フィルムをゴミ箱に捨てた。翼君と秋芳洞正面入り口へと向かう。

 

 入場料は高校生が1300円、中学生が1050円、小学生は700円だった。


「高校生と小学生」


 翼君はそう言ってチケットを買った。窓口のおばさんは何も疑っていなかった。そりゃ確かに、学生証を提示させられたら僕は困るんだけど、小学生で通用してしまった事が少しショックだった。


 窓口のおばさんは、「可愛いわね。妹さん?」と聞いて来たんだけど、翼君はしゃあしゃあと「自慢の妹だよ。可愛いだろ」って答えてた。もう、ものすごく恥ずかしかったんだけど、女装がバレなかった事にホッとした。翼君は僕の手を引いて、鍾乳洞の中へと入っていく。


 ひんやりと冷たい空気に体が震える。翼君は着ていたパーカーを脱いで、僕の肩にかけてくれた。何かマントみたいになったけど、体が温かくなって嬉しかった。


「ありがとう。温かいよ」

「汗臭くないか」

「うん。大丈夫」


 鍾乳洞の中は薄暗いんだけど、あちこちに照明が設置されているので歩くのには困らない。幻想的ともいえる洞窟の景観には驚かされる。いたるところにつららのように垂れ下がった鍾乳石が見られるし、その下からはタケノコのように伸びる石筍もある。つららとたけのこがくっついたら石柱になるらしい。洞内には黄金柱と名付けられた巨大な石柱もあった。棚田みたいな形の小さな池もあった。ここは百枚皿と名付けられていた。


「ここは、大昔は海の底だったんだよな」

「そうらしいね。三億年くらい前かな」

「それが隆起して陸地になって、そんでもって地下水が石灰岩を溶かしてこんな洞窟ができたんだろ?」

「そういう話だね。ちょっと想像が追い付かないけど」


 翼君の質問に相槌を打っているんだけど、僕だってたいした知識はない。何億年もかけてこんな地形になるとか想像するだけでも大変だ。それを調べた人はどんなに研究熱心だったのだろうか。


 洞内を一通り見学した僕たちは、エレベーターを使って外へ出る事にした。鍾乳洞からカルスト台地まで一気に登ることができる。


 エレベーターから降りたら、少し暑くなった。僕は翼君に借りていたパーカーを返すと、彼はそれを腰に巻いた。


「ちょっと暑いな」

「うん」


 二人で展望台へ向け、階段を上っていく。数百メートルくらいだろうか。登り切った時には、僕は息を切らしていた。


「ちょっときつかったか? 涼も少しは運動したほうがいいんじゃないか?」

「ごめんね。僕は運動が苦手なんだよ」


 翼君はすまんすまんと謝っていた。僕は運動が苦手で、こんな程度の坂を上るだけでひいひい言ってる。対して翼君は平気のへっちゃらみたいだ。


 展望台に上がると、雄大なカルスト台地の風景が広がった。僕は、ポシェットの中に忍ばせていた小型の双眼鏡を取り出す。幅は10センチで重量は135グラムしかない。ニコンのミクロン7×15なんだけど、こんなに小さいのにポロプリズム式の本格派双眼鏡なんだ。


 僕はしばらく、双眼鏡で周囲の景色を見渡していた。


「涼、それちょっと貸してくれないか?」


 翼君に声を掛けられた。無視しちゃってた事に少し罪悪感があったんだけど、僕はニコンを翼君に渡した。


「これで目幅を調節するんだよ。このダイヤルでピント調整するんだ」


 使い方を説明する。翼君は良く見えるって言って喜んでいたのだけど、僕は不味い人物を見つけてしまった。それは、僕の家に居候しているララとミサキさんだった。


 


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