不在の告白
「やあやあ親愛のマチ並びに鴉の諸君。せっかく逃げる時間を作ってあげたって言うのに、善良な市民を口説き落とそうとするなんて随分な御身分じゃないかね、えー?」
姿を現したのは決して強そうには見えない、この天空都市では珍しい四十代半ばのおじさんだった。
「あら、先程私の部下の悲鳴が聞こえた気がしたのだけれど、もしかしておじさんがやったのかしら?」
「まさかー。おじさん男を相手にする趣味は生憎持ち合わせていないのよ。どうせ相手にするなら、チミみたいな若い娘さんがいいねー」
謎のおじさんは飄々としながらも、武器を持った男三人に守られたあのマチに全く気後れすることなどない。
やがてマチはそのおじさんの顔を見て何かを思い出したのか、ハッとした。
「そういえばあなたの顔、見覚えがあるわ…………!? そうよ、あなたは今夜の私の標的、鷹の六翼……ヨーク!」
「こんなきれいなお姉さんにまで名前を知られてるとは、こりゃまだまだおじさんも捨てたものじゃないってことかね。いやー、年甲斐もなくテンション上がっちゃうなー!」
柏手を打ちながら大仰な反応をし、不埒で軽薄な男を演じるヨーク。しかし彼が本当に六翼だというならこれが本音ではなく舌戦の内の一つでしかないのは明らかだ。
しかし頭はキレるにしても、このヨーク一人にマチを守る三人を倒すだけの戦力があるとは思えない。実際ヨークは銃どころか刃物すら持たない丸腰だ。
そんな時ヨークの後ろから声が掛かった。
「……ヨーク様。御戯れもここまでにした方がよろしいかと。次の大事な会議の時間が迫っています故」
その人物の登場にヨークを除く誰もが驚きを隠せなかった。全身にこれといった特徴のない白髪の優男。右腰に拳銃、左腰に日本刀をさしているがこれといって特別強そうには見えないが、その男の接近に誰一人として気づかなかったのだ。
「芥くん! ……ヨーク様せっかくかわいいお姉ちゃんを口説いてたのに、最悪なタイミングで出てきてくれちゃって! どうしてくれるの!?」
「……どうせ親愛のマチは逃がす予定だったのだからいいではありませんか」
ヨークの叱責を、まるで子供でも扱うかのように受け流す芥と呼ばれた優男。そんなこの場にはあまりにもふざけた光景なのに、芥の行動一つ一つから天城は目が離せなかった。
見た目では強そうには見えない芥。しかし雰囲気で分かる……こいつは強いと。
そう確信した時、天城はアイの手を取りヨークと芥の方へ駆け出していた。
「俺たち二人はただ巻き込まれただけの一般市民なんです! 助けてください!」
不意を突かれたマチたち鴉は天城の突然の行動に反応できず、あっさりと鴉の包囲網から抜けることができた。
しかしアイへと繋がれた手はなぜか振り払われた。
「え……どうしてだよ?」
「……ずっと一緒にいたから分かるよ。やっぱりやっぱり、さっきの天城の言葉は嘘だったんだよね。でもね、私が鴉になるっていうのは本気なんだ。だからごめんね……私がこの世界を変える。私に来た凡職に就ける権利……あれ天城にあげる。だから、お願いだからそれまで天城は生きててね!」
アイは泣きそうになりながら天城に言う。しかしもうそれっきり近づいてこようとはせず、天城に背を向けた。
「おいアイ! このバカ! 鴉になるなんて……なに考えてんだよ!」
しかし天城の必死の呼び止めにも応じず、アイはマチたちの元へと歩いて行ってしまった。
そんな喪失感と共に天城が茫然としていると、ようやく事態を把握したマチが激昂をあらわにした。
「天城くん、あなた……私を騙したのね……私を騙すなんて悪い子……お仕置きしてあげないと!」
「待って……止めて!」
そしてアイの制止の声も空しく、マチのその掛け声と同時に、側近三人の内の一人が懐からサバイバルナイフを取り出し天城に襲い掛かった。
まるで忍者のような身のこなしで体を丸めながら、天城との距離を一瞬で詰める鴉。そして鴉はナイフを投げて器用に逆手に持ち替えると、その切っ先を天城の腹目がけて突き立てた。
しかしナイフが腹へと到達する寸前、天城の前を風が吹き抜けた。そして次の刹那、天城の眼前にはナイフを持った鴉の手とおびただしい量の血しぶきが舞っていた。
「は……?」
そうして自身を襲った鴉は天城の眼下で利き手を失い悶絶する。そんな鴉の背に、日本刀が突き立てられ、哀れな鴉は絶命した。
「君がナイフを取り出したから、僕も刀を用いて応戦した。君の得意分野で戦って、そして負けて命を落としたんだ。あの世で言い訳はできないよ」
冷徹な声でそう口にしたのは、いつの間にか絶命した鴉の後ろにいた芥だった。目の前にいたのに天城には目の前でなにが起きたのか全く理解できていなかった。
でも返り血一つ浴びずに決して弱くはなかったであろう鴉の一人を殺した芥の美技に、誰もが言葉を失っていた。
そんな沈黙するマチに止めを刺す様に、ヨークは言った。
「ブラーボ―! さっすが芥くん。さ、お姉さん。これでよくわかったかね。きっと残りの二人が束になって掛かっても芥くんには勝てない。おじさんはね、要人の暗殺だけで一般市民には害を及ぼさない鴉でも穏健派のチミは殺したくないんだ。それに娘である君を殺せば怒り狂った君のお父さん……皇がどんな行動をするか分からない。そりゃ部下二人をやっちゃったことは悪いと思うけどさ……ここはおとなしく引き下がってくれないかね?」
それは事実上の撤退勧告だった。
しかしここでの戦力差を見誤る程マチもバカではないだろう。それほどまでに芥の存在が絶対的なのだ。
「分かったわ……ここは引かせてもいますわ。アイちゃん……それに二人とも、今日の所は撤退するわよ……いいわね?」
そう言って未だ恨めしくヨークを睨みつけるマチだったが、それでもここで私情に流されて引き際を謝ることはしなかった。
そうして背を向けてこの場から立ち去ろうとするマチたち。しかしその中で剣を腰に携えた一人がその場に跪き、そして初めてマチの言葉に逆らう。
「……すみませんぼくはあの芥に用があります。ここはマチ様が逃げるまでの足止めということで、ぼくに残らせていただけないでしょうか?」
部下のまっすぐで真摯な願いに、マチは先ほどのように取り乱しながらも自分の主張を貫き通すようなことはできなかった。そしてマチは一瞬だけ寂しげな眼差しを見せてから強く一回瞬きをして、いつもの穏やかな口調で言った。
「……そうだったわね。私は親愛のマチ……ここであなたを止めることは、私の主義に反しますわ。優輝……あなたは優秀な部下でしたわ。今までありがとうございました」
「ぼくもマチ様の部下で幸せでした」
部下……優輝の最後の挨拶を聞くと、マチは残った部下一人とアイを連れて夜の闇夜へと足を進めた。
そんな主従の関係はとても美しいのかもしれない。それでも天城には自分の元から去り行くアイの姿しか眼中にはなかった。
「待てよアイ!? どこにいくんだよ!?」
アイはその天城の言葉に、一度だけ振り向いた。その表情は瞳一杯に涙の雫を溜め、天城との別れを心底惜しむ悲しみで溢れていた。
そんなアイの背中を追おうと天城は走り出そうとしたが、しかしそれは阻まれた。
「おっと少年。これ以上マチとことを荒立てたくないんだ。彼女が気になるのは分かるけど、ここは天空都市のために抑えてくれたまえよ!」
ヨークは後ろから天城の両脇に腕を通し、天城が追うのを阻んだ。ヨークがアイのことを自分の彼女と言ったが、今はそんなことに動揺する余裕すらない。
アイがどんどん遠くなっていく……
「おい待てよ! 俺はずっとお前と一緒にいたいんだよ!」
アイの姿が闇に紛れ、次第にその輪郭が薄くなっていく……
「なんでだよ!? 俺が大事な時に躊躇ったからか!?」
そしてアイの姿は完全に見えなくなった……
「だったら何度でも、どこでも、どんな時でも恥も外聞も無く言ってやるよ!? 俺はお前が好きだ!? だから行くな!? 俺を一人にするなよ!?」
もうアイの姿は影も形もないし、戻ってくる気配もない……
「もう一度言ってやる! 俺はお前が好きだーーー!」
そして天城の叫びは空しくも闇に消えた。
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