第23話 お互いにウソをついていたようなものだ。
夕暮れ時の河原は開けているせいか、地平線に沈もうとする日が当たり、眩しかった。俺は手で防ぎつつ、佐々倉がどこにいるのか探す。場には、犬の散歩をする中年の女性や座り込んでぼんやりそうに過ごしている老人などがいる。
その中で佐々倉は、川面近くの手すりに寄りかかり、対岸の方へ顔を移していた。
堤防となっている草むらの斜面から見た俺は、ゆっくりとした足取りで近づく。
「雨、上がったわね」
彼女はちらりと目をやるなり、ぽつりとひとり言のように声をこぼした。お互いの距離としては、後数歩ぐらいといったところでだ。
「そう、だな」
俺は学校の鞄とともに手にしていた傘へ視線をやりつつ、答える。佐々倉のものであろう傘は手すりにかかっていた。
「誰から教えてもらったのかしら?」
「まあ、噂で」
「ここにいることが噂になるようなほどのものとは、わたしは思えないわね」
「同感、だな」
「でも、その噂を聞いて、ここまでやってきたのよね?」
「それは否定できないな」
「まあ、いいわ」
佐々倉は言葉を漏らすなり、俺と正面を合わせた。
彼女の瞳からは、なぜか、涙がこぼれていた。
「佐々倉さん、その、目……」
「ああ、これね」
佐々倉は何事もなかったかのように、指で涙を拭い取った。
「目にゴミが入ったというべきかしら?」
「それはあまりにもウソっぽ過ぎるような気が」
「なら、何かいいウソを知っているのかしら?」
「いや、そういうのはすぐに思いつかない」
俺は申し訳なく言うと、佐々倉は笑みをこぼす。
「噂を聞いて、ここまでやってきたのなら、何かわたしに聞きたいことでもあるということよね?」
佐々倉の問いかけに、俺は首を縦に振る。
「佐々倉さんの出身中学、じゃない」
「出身中学を知りたいのかしら?」
「いや、それは本当に聞きたいことを知る前に知っておきたいことというかさ……」
「混乱してるわね」
「そうだな」
俺は頭を掻きむしり、どうにか本題に入ろうと頭を巡らす。
「前にさ」
「前に?」
「ああ。佐々倉さんは覚えてないかもしれないけどさ、今日みたいな夕暮れ時に教室へ忘れ物を取りに行ったことがあってさ」
「そうなの」
「で、その時に、佐々倉さんが教室にひとりでいるところを見てさ」
「そうなの」
佐々倉の相づちは淡々としていた。
「覚えてないよな、そんなことさ」
「覚えてるわよ」
佐々倉の言葉は曖昧でなく、はっきりとした調子だった。
「ということは、見たのね」
「な、何のことだ?」
「そこでとぼけて、何か意味があるのかしら?」
佐々倉の眼差しは鋭く、俺は思わず後ずさりそうになった。
「悪い……」
「その謝罪は、実は立ち聞きしていましたという意味でのことかしら?」
「そういえば、あの時、『さっき来たばかりだからさ』とか、ウソをついたな……」
俺は当時を思い出すなり、自然と佐々倉に頭を下げていた。
「悪い。あの時、ウソをついていた。本当は佐々倉さんが電話している話し声を聞いていた」
「そうなの」
佐々倉は大したことではないかのように言うと、組んだ両腕を手すりに乗せた。
「わたしにはね、兄さんがいるわ、いえ、いたわね」
対岸の方へ目を向けた佐々倉の横顔には、陰りが走っていた。
「兄さん、一年前に交通事故で亡くなったのよ」
俺はただ、黙って耳を傾けることしかできなかった。
「今日の午前みたいな雨の日だったわ。大学行く途中に、横断歩道で信号無視の車に跳ねられて。即死だったわ」
「だから、雨が嫌いとか、言っていたのか……」
「そうね」
佐々倉は淡々とうなずく。
「わたしは兄さんの死を受け入れられなかったわ」
「じゃあ、俺が教室で見たのは……」
「兄さんと電話するフリをするわたしね」
佐々倉は乾いた笑いを浮かべた。
「滑稽よね。スマホで耳を当てても、誰の声も聞こえない。けど、わたしは死んだはずの兄さんが電話に出てくれて、近況を話してくれていると想像して、会話するフリをし続けたわ。そしたら、長倉くんが現れて……。正直、焦ったわ」
「焦ったのか? 俺には全然そう思わなかった」
「そういうのは得意だから」
佐々倉は手すりから両腕を離すと、俺と正面を合わせる。
「それからね。放課後、ここにいて、兄さんと電話するフリをするようになったのは。いえ、最近では、そばに兄さんがいると想像して、立ち話するようなフリもするようになったわ」
「俺のせいってことか……」
「そうと言いたいところだけど、いずれはああやって、誰かに見られるようなことは起きると思っていたわ。だから、それを知りながら、教室であんなことをし続けていたわたしが甘かったというところもあるわね」
「で、今も変わらないのか?」
「兄さんの死を受け入れられないことかしら?」
「ああ」
「そうね。今は多少なりとも受け入れられるようにはなったけれど、完全にではないわね」
「そうか……」
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