プリンタのように構造物を出力できる技術が上がれば、情報としてのデータと原材料の価値が重要視されて、造りあげる職人の価値はなくなっていく。
その場合芸術作品がどうなってしまうのか、興味深いお話でした!
美や芸術とは何なのかという話になってしまいそうですが、人は埋もれた中にある変わったものや他にないものに価値を見出しますし、そうした刺激に知的興味や発露がある以上、形を変えていきそう。
AIの出力したものも視る事で刺激を得られるのなら、作品は作品として評価され、そうして伸びた伸びしろから新たな創造をすれば可能性は広がっていく……、と考えた方が素敵だなぁと私は思います。
はてさて、未来はどうなるのやら。
作者からの返信
芸術そのものは、AIすら道具にして模索を続けそう。
是非そうなって欲しいです。
ただ、受け手の側が、高度に抽象化した美術を理解できない、良いと思わないとなると、ちょっと寂しい。
専門家だけが理解できればいいのか、という課題は、近代以降ずっと続く難問ですね。
純文学も似たところがあるし、音楽もそうだし……
「コピー」が一番書くのに難儀した短編でした。
薄々気づかれてそうですけど、本職に近い話題なんですよ。
そういうのは、サラッと書きにくい……
リプロダクターが安価に完璧なコピーを作るようになったからといって、新作の原画の値段が下がるんだろうか? という疑問はともかく、全てのデータを参照してそこにないものが「真なる新しい技法」だというのは、あまりにも皮肉な心理。
でも創造とは真逆な方法ですよねおっしゃる通り。
消去法が生み出すものの行き着く先に待っているのは「終焉」だというのも、あまりにも心理。リプロが自身の生み出したものを参照し始めた時には、確かに残りはゼロになってるわな。
しかしこの坂澤さんという男、巨万の富を築いていそうなものだけど、何が本職なんだろう。巨万の富を得たあとで道楽で開発を続けていたのだとしたら、一人の老人の道楽が結果的に創造性に終焉をもたらしたという、これもまた皮肉な話ですね。
まあこれは、この物語の本質とは関係ないけれど。
なんか書いてて虚しくなってきました。
私が今書いていることにだって、オリジナリティのカケラもないわけで……。
というわけで、少しは役にたつかもしれない話。
「今日、この冷えた会場に似た、寒い部屋の出来事だった。」
これたぶん、「今日(の)この冷えた〜」って意味なんですよね。
一瞬分かりにくかったけどどうしたらいいのかも分からない。
あ、やっぱり役に立ってないや(>_<)
作者からの返信
まさか、いつもお世話になっております。
ということで、ご指摘部分を修正。
ついでに、原画の需要が減るという表現に改めました。
価値はともかく、わざわざ高い金を払う一般人が減少するという流れです。
今回は厭世的な小話にしましたが、私自身は実は楽観視しています。
人間の嗜好って常に変化して行くものですし、それに機械が付き合うのは大変だと思います。
正解があるものには、強いでしょうけども。
もし、機械が人の嗜好まで把握して、新たな価値を創造できるのなら、もうそれは人の扱いでいいような気すらします。
第6話は、テーマが難しくて、色々と難産でした。
別に機械が芸術を生み出したっていい。
それが人の作り上げたものよりも素晴らしかったとして、何の問題があろうかと思う。
恐ろしいのは、それを見る側の心。
ゴッホだから素晴らしい。
そこら辺の素人が描いたものだからくだらない。
メディアが褒めそやすから、良いものに違いない。
価値観の崩壊さえ招かなければ
どんなに機械が素晴らしいものを生み出そうとも、このような未来は訪れなかったはず。
けれども価値観の崩壊は、
もう起こっているのかも――。
作者からの返信
現実でも、人の意思を排した芸術、なんてのを志向する人もおられましてね。
機械制作が悪いわけじゃないんです。
価値観の変化が、作家の在り方に影響するでしょうし、作品の表現形態も変わるでしょう。
それがどういう未来に繋がるかは、ちょっと分からないです。
今回の話では、バッドエンドにしておきました。