第一章 2
驚きを顔には出さないように気を付けながら珠代は振り返った。思ったとおり、そこに立っているのは長谷川和紗だった。いつものように濃い目の化粧が目立つ。彼女は正社員だったが、お喋りが好きらしく、同世代の珠代の所へよく顔を出した。
「今の『ざしゅっ』って音さ、ラブデュエルのデフォルト音だよね? 珍しいよね、あれ使う人」
確かにラブデュエルのダメージ音に「これ」を使っている人間は少なかった。
当初、対戦ゲームとして開発されたラブデュエルでは切り裂かれるイメージの「ざしゅっ」がデフォルトの効果音として設定されていた。しかし今は「ピロリロリン」とか「タララララン」などの効果音、流行りの歌など好きな音を使う人がほとんどだった。
単なる遊びのゲームから真剣な恋愛のためのツールへと変わった現在のラブデュエルには傷付けるイメージの「ざしゅっ」という音なんて似合わないと考える人が今は多いのだろう。
それでも珠代がこの音を使っているのは自分へのある戒めのためだった。
「うん、まあ、私、こういう引き締まる音の方が好きなんです」
本当のことは言えず珠代は言葉を濁した。
「ふうん、ま、いいけどね。それにしてもさ、ラブデュエルって変な時に反応する時あるじゃない? 私もチョー恥ずかしかったことあってさ。でもラブデュエル使わないと『あいつは何か、やましい所があるに違いない。結婚詐欺師か?』みたいに思われちゃう風潮が今の世の中にあるじゃない? だからみんなが使ってる以上、自分も使うしかないんだよね。本当にこれって間違いない正確な感情を計測してんのかな?」
「ま、まあ、偉い学者たちのお墨付きが出ているんでしょうから」
「それでも怪しいもんよね。それにしてもちょっとショック受けたんじゃない? あんなおじさんに、ってさ。あんな中年に自分が好意を持つ訳ないって思ってるでしょ?」
図星だった。
「えっ、あ、まあ」
「気にすること無いよ。鉾本さんは特別。あの人はそういう人なの。女性がみんな不思議と好意を感じちゃうような雰囲気っていうか、フェロモンみたいなものを持ってる人間なんだよ」
「ええっ、そうなんですか?」
それは初耳だった。
「実は私もここに入社してきたばっかりの時にいきなりポイント取られてね。『えっ、私って実はおじさんフェチだったの?』なんてショック受けたんだけど、女性の先輩に聞いてみたら、みんな鉾本さんからはポイント奪われるんだって。私もびっくりしたわけよ、『ああ、生まれついてのプレイボーイって奴が本当にいるんだな』って」
「へえ、そうだったんですか」
まさか、そんなことがあるのだろうか?
「だからあなただけじゃないってこと。そういえば知ってたっけ? 鉾本さんの奥さんって私たちと同じくらいの歳なんだよ。親娘くらい歳が離れてるの。さすがよね」
「……ええ、ちょっとそんな話は聞きました」
そのことが実は珠代にとって重要なことだったのだが、それを和紗に話すわけにはいかなかった。
重大な機密事項だったのだ。
「ま、そういうわけだから気にしないで。そうだ、飲みにでも行かない? パーッと騒いで憂さ晴らししようよ」
「あっ、ごめんなさい、今日はちょっと用事があって……」
「何、ひょっとして、彼氏?」
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
隠さなくてはいけない本当の用事のために言葉が詰まった。
「はいはい、わかりました。バレバレだよー。楽しんでらっしゃいな。私は他を当たるからさ」
和紗はうまく勘違いしてくれた様子でにやにやしながら向こうへ行ってしまった。
ふうっと珠代は溜息を吐いた。そして和紗の言っていた鉾本のことを考えた。
女性全てに好意を抱かせてしまう生まれついてのプレイボーイ。
もしそれが本当なら彼は最強のラブデュエルプレイヤーということになる。自分が挑んでいるのはとんでもない相手なのかも知れない。そう思うと先程感じた怒り以上にちょっとした恐怖心が沸き上がってきた。
今の状態のまま鉾本と顔を合わせれば自分は怖気付いてしまうかも知れない。そう思った珠代は隠れるようにこそこそと帰り支度をし仕事場を後にした。
オフィスビルを出た彼女は目的の場所へ向かって歩き出した。
最初の曲がり角まで来ると珠代は建物の影に隠れ後ろをこっそり伺った。自分の後をつけてきている人間はいないようだ。一安心するとまた歩き出す。何度か同じことを繰り返した。面倒だがマニュアルにも載っている必須行動だ。これを疎かにしたばかりに失敗した仲間を珠代は何人も知っていた。
三十分ほど掛かって珠代はようやく目的地に到着した。繁華街の中のあるビルの前。真っ直ぐ歩けばもっと早く着いたのだろうが仕方がない。念のためもう一度背後に注意するとそのビルにすっと入った。外から見ても何の変哲もないその建物。一階にはラーメン屋、二階には居酒屋、そこから上は貸しオフィス。珠代が行くべき場所は三階にあった。小さなエレベーターを降り、目の前のドアを開けた。
「おっ、たま! ご苦労さん」
珠代がドアを開けるなり威勢のいい声が聞こえてきた。そこに立っているのはモデルのような外見の女性だった。一見派手な服が何の違和感もなく似合っていた。
「お疲れ様です。蓮野先輩、お久し振りですね」
「ああ、最近面倒な依頼が多くってね。若い子じゃうまくいかなくて、こんなおばさんに仕事が回ってきちゃうんだ。全くまいったよ。ほんとはそろそろ実戦を引退して部下の指導に専念したいんだけど。ハハハッ」
大きな口を開けて豪快に笑っているのに不思議と下品にならない。自分ではおばさんと謙遜しているが見た目は実年齢より二十歳くらい若くどう見ても二十代にしか見えなかった。
「先輩、相変わらずですね」
「まあねー。ところでどうなの、今の相手、ちょっと手こずっているみたいね」
「えっ、何か、聞いてるんですか?」
「ううん。でも、あんたの顔見ているとわかるわよ」
珠代はハッとした。
そう、あの時もそうだった。
六年前、当たり前だが珠代は今より六歳若かった。
しかしそれは単なる肉体の若さではなく精神が若かったということだ。その当時の彼女は同世代の女性たちと比べても明らかに恋愛の経験が不足していた。初めて付き合った男性。彼のためなら何でもできる、してあげたい、と珠代は本気で思っていたのだ。
出会いは大学生の時、初めて参加した合コンでだった。自己紹介が終わり、やがて周りでは自然とカップルとなった男女たちが会話を楽しんでいた。一方、珠代は友達に誘われて来てみたもののやはり自分には場違いな場所だったと内心うんざりしていた。帰るためのうまい言い訳はないか、そんな事ばかり考えていた、その時だった。「ざしゅっ」という音がどこからか聞こえてきたのだ。
「あれっ、俺だ。いや、君の考え事している顔が可愛かったからさ。参ったなあ」
そう言って珠代に笑いかけてきた男が彼だった。彼が差し出した腕時計型デバイスのディスプレイにはこう表示されていた。
(プレイヤーは鈴村珠代の物思いにふける姿に一目惚れし五ポイントのダメージを受けました)
私がラブデュエルで相手にダメージを?
初めての経験に珠代は呆然とするしか無かった。自分の名前が相手のラブデュエルのディスプレイに表示される、それはそれまでの珠代にとってありえない出来事だったのだ。そんな珠代の気持ちを知ってか知らずか、彼は気が付くと隣りに座り、ぺらぺらと話し掛けてきていた。ただただ、その質問に必死に答え続けているといつの間にか次に会う約束が決まっていた。
こうして二人の付き合いは始まった。
なぜこの人は私と付き合ってくれるのかな?
不思議に思った彼女は彼にこう聞いたことがあった。
「私みたいに地味で面白くない女のどこが良かったの?」
それを聞いた彼は笑いながらこう言った。
「俺さ、今まで派手でお喋り好きの騒がしい娘とばっかり付き合ってきたからさ。君みたいな思慮深い感じの娘といるとほっとするんだよね。『運命の人かな?』なんてね」
珠代はその言葉を信じることにした。何気ない自分の仕草や言葉に彼は反応しダメージを受けてくれた。月日が経つにつれ珠代も彼に惹かれダメージを受けるようになっていた。お互いのライフポイントがいよいよ一桁になった頃、彼がこう切りだしてきた。
「話があるんだ」
珠代の頭に「結婚」の二文字が浮かんだ。
「これ、見てくれよ」
見せられたのは初めて会った時に見たのと同じ腕時計型デバイス。その画面には(フォーリンラブ)の文字が浮かんでいた。ところがそこにあったのは珠代の名前ではなかった。
(プレイヤーは椎富美に一目惚れし百ポイントのダメージを受けフォーリンラブとなりました)
瞬殺!? 椎富美って誰よ!?
珠代は呆気に取られた。今まで互いに愛を育み、時間を掛けて少しずつ減らしてきたポイントを、たった一回、一瞬にしてこんなにもあっさり追い抜かれたなんて。
「そういうわけでさ、君より好きな人が出来ちゃったから別れたいんだよね」
悪びれることもなく彼はそう言った。ラブデュエル世代の若者がそういうものであることは珠代だって頭では理解していた。自分だってその世代なのだから。
それでも彼が去った後、どうしても我慢できず彼女は泣いた。泣いても泣いても涙が枯れず、気が付いた時にはなぜか駅にいた。
電車が入ってくる。そうだ、いっそのこと……。
不意にそんな事を考えたが決心は付かなかった。
ぼうっとしたまま、次に気が付いた時、珠代はどこかの歩道を歩いていた。すぐ横の車道をライトを付けた車がびゅんびゅん走っていた。
ほんの数メートル飛び出せば……。そう思っても体は動かなかった。
意気地なしの自分に嫌気を覚えながらふらふらと最後に辿り着いた場所は歩道橋の上だった。真ん中の辺りで立ち止まり下を覗き込む。引っ切り無しに明るいライトが通り過ぎていく。ここしかない、そう思った時だった。
「あらあら、暗い背中ねえ」
驚いた珠代は後ろを振り返った。そこにはドレス姿のスラリとしたモデルのような美人が立っていた。
「おや、死にたいけど勇気が出ないって顔しているわね、あなた」
「えっ、ち、違います。そんなんじゃ……」
「顔見るとわかっちゃうのよね。で、どうした? 男にでも捨てられた?」
怒りなのか恥ずかしさなのかはわからなかったが自分の顔がどんどん赤くなっていくのを珠代は感じた。初対面にも関わらず、ズケズケと話し掛けてくる女に面食らい返事が出てこなかった。
「しょうがないよね、男ってさ。いつまでも子供っていうか……、あっ、そうだ、こんな所で話すのも何だからさ、どっかでご飯でも食べようよ。私、今日は給料入ったばっかりで気分良いからさ。好きなもの奢ったげるよ」
有無を言わさず誘われるままに連れて行かれたファミレス。そこで女は自己紹介を始めた。
「私、蓮野早希、年齢は企業秘密ね。それでどうしたのよ? あなた」
不思議な誘導尋問とでも言ったらいいのか。初めて会った相手なのに珠代は自分のことや今日の出来事を包み隠さず早希に話していた。その間、彼女はニコニコしながらウンウン頷くだけでずっと聞き役に回ってくれた。やがて興奮気味に話を終えた珠代に早希はこう言った。
「ふーん、なるほどね。それでその男を取り戻したいの? だったら私が力になれるけど」
「えっ、取り戻せる? どういうことですか?」
「私ね、実は『ラブマジシャン』って所で働いているの。あっ、言っとくけど、いかがわしい店とかじゃないからね。恋愛トラブル相談所っていう感じかな」
珠代も話には聞いたことがあった。ラブデュエルが恋愛に使われるようになり、お互いの気持ちが記録されるようになったために起き始めた新たなトラブル。それを解決するために探偵事務所などから発展した恋愛相談専門職が「ラブ~」の類の会社だった。
そこには心理学などを応用して相手に応じて戦略的にラブデュエルを使いこなす「プロのラブデュエルプレイヤー」が存在しているという噂だった。
「どうすれば好きな相手を落とせるか、それは片思いした人間にとって最大の問題でしょ? 昔はこまめなアプローチくらいしか方法が無かったんでしょうけど、今はラブデュエルがある。ラブデュエルって言うのはトレーディングカードゲームをヒントに作られたものだから、つまりは統計学的に研究された戦略があるってことなの。普通のカードゲーム以上に複雑な駆け引きが必要だけど、その都度ベストな選択をしていけば勝率はぐっと上がる。そのアドバイスを恋愛相談に来た方へするのが私たちの仕事よ。……表向きの、ね」
「表向き、ってことは裏が?」
「好きになった相手にもう恋人がいる、でも自分では奪い取る自信はない、そんなことはよくあるわけよ。そこで暗躍するのが私たち。ラブデュエルを駆使して後で揉め事が起きないような形で相手を恋人と別れさせる。いわゆる『別れさせ屋』っていうのかな?」
その後、早希は具体的な方法を説明し始めた。
依頼人が好意を持ったある男性がいるとする。しかし彼には恋人がいる。するとラブマジシャンの男性工作員はその恋人の方へ偶然を装って近付く。ラブデュエルの達人である工作員は巧みに相手にダメージを与えフォーリンラブに追い込み、彼女を男性から奪い去る。ラブデュエルに残った記録は女性の方がほぼ一方的に工作員に惚れてしまったというものだから、万が一、後からトラブルになっても正当性を主張できる。
「無事ターゲットが一人になったらラブマジシャンの表の仕事、恋愛相談を行って彼を依頼人にゲットさせる。本当は本人が正々堂々戦って奪い取ってもらいたいんだけどね」
それから早希は愚痴を言い始めた。
「普通の『好きだ、付き合いたい』っていう依頼ならまだいいんだけど、中には奥さんと有利な立場で離婚したいとか、恨みのある相手を困らせたいとか、そんなのもいるんだよね。私はそういう依頼断っちゃうの。私たちの本来の仕事じゃないもの。会社からは怒られるけど嫌なもんは嫌だから」
「あ、あの、料金って高いんですか? ……あっ」
珠代は慌てて口を押さえた。自分でも思わぬことを口に出していた。
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