猫と狸のラブデュエル

蟹井克巳

第一章 1




 (プレイヤーは鉾本由男の男気に惹かれ7ポイントのダメージを受けました)


「ざしゅっ!」という刀で切りつけられたような音と共にスマホに表示されたメッセージ。それを鈴村珠代は呆然と見つめた。


 心を斬りつける嫌な音。


 カチンときたが、その音を選んだのは自分自身だったので怒りの持っていく場所がなかった。


「あっ、今のラブデュエルの音ですか? まさか、また、私みたいなおじさんに?」

 

 やはり相手にも今の音は聞こえていたようだ。珠代は心の中で「チッ」と舌打ちした。


「ごめんなさい、私が余計なことをしたせいですね。ああ、気にしないでください。私はそんな『おもちゃ』は信じていないですから。古臭い人間なもので」

 

 本当に申し訳なさそうな顔でぺこぺこと頭を下げる鉾本の姿に珠代は一層怒りを覚えずにはいられなかった。それは目の前の気の弱そうなおじさんに、ではなく不覚な自分に対してだった。


「あ、いえ、ありがとうございました。かっこ良かったですよ、鉾本さん」

 

 珠代は訓練によって身に付けたお得意の完璧な作り笑顔でそう返した。彼の反応を見る限り何とか誤魔化せたようだ。満更でもない様子で照れ笑いを浮かべた彼は「あ、じゃあ、私は仕事があるので」と言って戻っていった。そんな彼の後ろ姿を見ながら珠代は考えた。

 

 ……なぜ、この私がこんな中年オヤジから一方的に17ポイントも奪われているの?

 

 これまでの経験から考えてそれはあり得ないことだった。


 ひょっとしたら自分は最近あまりに順調だったため、ついつい怠慢になっていたのではないか。


 こんな時は基本に立ち返り何が悪いのか検証することが大切だ。


 そう思った珠代は新人時代に受けた研修マニュアルの文章を思い出してみることにした。半年の間、肌身離さず持っていたおかげで丸暗記しているのだ。


 第一章「 ラブデュエルの歴史」……。


 いくらなんでも基本に戻り過ぎかも知れないとも思ったが、一応その内容を思い起こしてみることにした。


 



「人間のコミュニケーションによって変化する感情の動きを分析、数値化するシステム」、通称「ラブデュエル」は現実の恋愛の駆け引きを「持ち点減算対戦方式」にすることで数値としてわかりやすく視覚化する方法、およびそれを用いたゲーム、システムそのもののことです。


 この章では現在単なる遊びの範囲を超え社会に大きな影響力を有している「ラブデュエル」の歴史背景を学んでいきたいと思います。

 

 まずはハードウェアの部分から考察しましょう。


 ラブデュエルの歴史を語るに当たって外せない要素が二つあります。一つはコンピューターの小型化です。初期のコンピューターは一つの部屋と同じ大きさだったそうですが、インターネットが普及した二十一世紀初頭には家庭用のPCが当たり前になり、さらにはPC並みの機能を持ちながら携帯できるスマートフォンなどのスマートデバイスも登場しました。


 現在それらが更なる発展を遂げていることはみなさんもご存知でしょう。現在使用者が増えている眼鏡型デバイス、腕時計型デバイスなどが顕著な例ですね。


 それに対し、もう一つの重要な要素が脳波計測機器の進化です。脳が働いている時の電気活動の変化というものが知られるようになってから、それを様々な分野で利用する研究が始まりました。


 体の自由が効かず自分の意思を他人に伝えることが困難な障害者などが頭の中で考えるだけでコンピューターを操作出来る、そういった開発から始まった脳波利用の技術はやがて小型化し過ぎたせいで手で扱うことが困難になったコンピューターの操作デバイスとして発展してきました。現在、帽子型、ヘアアクセサリー型など脳波計測装置自体もかなり小型化しています。古くはマウス、タッチパネルなどで操作されていたコンピューターが触れずに考えるだけで扱える時代になったのです。

 

 次にソフトウェアの部分を見ていきましょう。


 ラブデュエルの骨格部分を考え出したのはロジェット大学で人間の感情について研究していたスルート・ヘンク博士です。


 その当時、彼は恋愛とは何であるかという研究を行っていました。恋愛という形のないものを数値で表すことでその正体に迫れないか、そう考えた博士はある方法を考案します。それは互いの恋愛感情のやり取りを記録するためトレーディングカードゲームの枠組みを利用するというユニークな方法でした。

 

 まずは知らない方のためにトレーディングカードゲームとは何かを説明しましょう。


 一口にトレーディングカードゲームと言っても数えきれないほどの種類があり、その一つ一つに違うルールがあります。そのためそれらを全て紹介していては百科事典のような厚さのマニュアルが必要になってしまいますので、ここでは大雑把に基本的な部分だけを抽出して説明します。


 さて、このゲームは基本的には二人のプレイヤーの対決方式で勝ち負けが争われます。プレイヤーには予め設定されたライフポイント(生命力)というものがあり、「ターン」と呼ばれる自分の番の時に手持ちのカードを使い、相手のライフポイントを先にゼロにした方が勝ちとなるのです。


 まずゲームが始まるとコイントスなどで先攻後攻を決めます。先攻のプレイヤーはシャッフルされた自分のカードの山(デッキ)から一定枚数カードを引きます。次にその手持ちのカードから自分の場にカードを出すわけですが、そのカードには様々な種類があるのです。


 モンスターカードなどと言われるものはゲームの基本になるもので攻撃力や防御力といった数値が記してあります。それによって相手本人や相手のモンスターに攻撃をしたり、逆に自分の代わりに相手のモンスターの攻撃を受ける役目をするのです。魔法カードと呼ばれるものはモンスターの攻撃力を上げたり自分に有利になるような効果を場に付けたり出来ます。


 先攻がこれらのカードのセット、攻撃を終えると、次は後攻のターンになります。後攻も同じような手順で相手への攻撃を行ないます。最終的にどちらかのライフポイントがゼロになったら相手の勝利というわけです。

 

 さて長い説明となってしまいましたが、このゲームをヘンク博士はどのように恋愛の研究へ応用したのでしょう。周知のことでしょうが改めて説明したいと思います。

 

 まずあなたがラブデュエルプログラムを携帯デバイスにインストールすると(現在ほとんどの機器にプリインストールされてはいますが)ライフポイントが100ポイント与えられます。


 注意したいのはこれは一対一の相手に対してのライフポイントであるということです。つまりAという人間とBという人間がいた場合、あなたはAに対してのライフポイントとBに対してのライフポイントを別々に持っているということです。


 さて、プレイヤー同士が一定の距離に近づくと自動的にゲームが始まります。そう言っても別に構える必要はありません。コンピューター同士が自動でデュエルモードに切り替わるだけであなたは普通にしていればいいのです。


 さてあなたはAと会話を始めました。彼(彼女)はあなたにとってどんな人間でしょうか? 初対面の相手か、顔見知りか、友達か、そんなことは問題ではありません。会話の途中であなたは彼(彼女)にある感情を抱いたとしましょう。それは怒りでしょうか、嫌悪でしょうか、もしそれが好意である場合、ラブデュエルシステムは即座に反応するのです。


 脳波測定装置によって検出されたデータはラブデュエルシステムによって詳細な分析が行われます。ヘンク博士の研究によって分類されたデータと検出されたデータの比較が行われ、あなたの感じた感情が何であるかの判定がされるのです。それがいわゆる恋愛に繋がる好意であると判定されれば、次にその感情の強さが数値化されます。するとそのポイントが自分のライフポイントから引かれてしまい、そのことが自分と相手のディスプレイ機器にデュエル結果として表示されてしまうのです。

 

 よくわからないという方のために具体的な例をあげてみましょう。あなたは女性であり(別に男性でも構いませんが)Aという男性と初めて会いました。するとあなたの心の中にある思いが芽生えました。

 

 あら、この人、かっこいい。

 

 ラブデュエルシステムはあなたの一目惚れを検出し、効果音と共にあなたの携帯デバイスのディスプレイにこう表示します。


 (プレイヤーはAに一目惚れし、23ポイントのダメージを受けました)

 

 あなたのAに対するライフポイントは残り77になったわけです。一方相手のAのディスプレイにも同じような表示がなされます。


 (○○はあなたに一目惚れし、23ポイントのダメージを受けました)

 

 つまり相手にもあなたの気持ちがその強さと共にばれてしまうわけです。


 二人は一緒に食事に行くことになりました。あなたは彼という人間を知るたびに一層好意を覚えるかもしれません。


 その時はどんどんライフポイントを削られ、やがてゼロになります。その時はゲームオーバーではなくこう表示されます。


 (プレイヤーはAさんにフォーリンラブしました!)

 

 ヘンク博士は「ラブデュエルは半分洒落で作ったものだ」と後に明かしていますが、現実はそんな博士の思惑を遥かに超えていました。

 

 ラブデュエルは人付き合いが下手でコミニケーション能力に欠けていると言われていた当時の若者たちに受け入れられ、次第に社会に不可欠なものになっていったのです。


 それまでの恋愛は見えない相手の気持ちを探りながら自分の気持を相手に伝えるというものでした。しかしラブデュエルを使えば相手が自分に対して好意を持っているかどうかすぐわかりますし、自分の気持ちも口に出すことなく相手に伝えることが出来るというわけです。


 恋愛すら機械任せかと嘆く上の世代の言葉など、どこ吹く風、ラブデュエルを当たり前のものとして使いこなしたその当時の若い世代が働き盛りの歳になり今現在を迎えています。


 それと共に社会も変革が求められてきました。


 二十年ほど前からラブデュエルの記録が裁判の証拠として認められ始めたこともその一つです。


 離婚調停でもその記録は重要視されていますし、ストーカーなどの問題が起きた時も双方の記録を調べることで一方的な愛情の確認が取れ、それによって警察が昔より早く動くことも出来るようになったのです。

 

 このように上げれば切りがないほどラブデュエルは現在の生活に深く根付き……。





 キーンコーンカーンコーン。


 定時を告げるチャイムが鳴り響いた。


 ハッと我に返った珠代は目の前のディスプレイに意識を戻した。研修マニュアルを思い出しているうちにすっかり自分の世界に入り込んでいたらしい。

 

 やっぱり第一章なんて思い出しても参考にならないか。

 

 珠代は溜息を吐いた。今、彼女が思い出していた第一章は単なる予備知識、基礎の基礎の部分であり、やはり本当に実戦で必要なのは第二章「ラブデュエルを使いこなすための心理テクニック」という部分だった。


 「まずは相手がどんな人間なのか、冷静に分析しましょう」

 

 第二章にあったそんな文面がふっと頭に浮かんだ。珠代は自分の知っている限りの鉾本の姿を思い起こしてみた。

 

 五十歳後半。肥満気味の体。背は決して高くない。やや薄くなっている頭頂部。常に柔らかな口調。気が弱いのか、年下にも敬語を使う。仕事の実力は普通。すごい業績もなければリストラの対象になるほどの失敗もしない。邪魔にはならないけど代わりがいないというほどでもない、そんな人間。

 

 ……一体どこに好意を持つ要素があるっていうの?

 

 基本に返ってみたもののかえって混乱しただけのような気がした。


 「ポイントを相手に奪われた時はその状況を反省してみましょう」

 

 今度はそんな言葉を思い出す。珠代は半ば自棄になってそれに従い、つい先程のやり取りを思い返した。




 ……今日の午後から私は主任に頼まれた書類の作成をしていた。


 派遣社員である自分にでも充分可能な仕事だった。ましてや自分はある事情で特殊な訓練を積んでいる。正社員どころか、課長クラスと今すぐに交代しても違和感なく仕事をこなす自信があった。


 ところがそんな簡単な仕事をなぜかしくじった。提出した書類に不備があったのを主任に見つけられてしまったのだ。彼はどすどすと音を立てこちらに向かってきて説教をし始めた。どうも何かご機嫌斜めだったらしく怒りはなかなか収まらなかった。内心うんざりしているとそこに割って入ってきたのが鉾本だった。


「一ヶ月前に派遣社員として入ってきた彼女に仕事を指導したのは私です。私の教え方にも問題があったのかも知れません。もう一度しっかり指導しますので今回はこの辺でお許し願えませんでしょうか?」

 

 未だに平社員ではあるが自分より年上の鉾本が急に頭を下げてきたため、主任の怒りの熱も驚きのあまり下がってしまったようだった。「まあ、次は気をつけてくれよ」と捨てぜりふを吐いた彼は自分の机にどすどす戻っていった。

 

 どうしてこの人はわざわざ頭まで下げて助けてくれたんだろう?

 

 そんな疑問を感じた、その時だ、あの忌々しい音が鳴ったのは。


 確かに反省すべき点が幾つかあった。それを珠代は痛感した。

 

 まず一つは仕事をミスし主任に注意を受けたこと。訳あってミスをわざと犯したことは今までにもあったが、今日のミスはしなくてもいい余計な「本当のミス」だった。


 つまりミスしなくてもいい時に本当にミスをしたという二重のミスになってしまったのだ。


 原因はわかっている。その書類を作っている時に鉾本のことを考えていたせいだ。なぜ彼から二度もポイントを取られたのか、それを考えていた。結果、二度あることは三度あるになってしまった。

 

 もう一つの反省点はラブデュエルのダメージに繋がった「疑問」を持ってしまったことだ。なぜ鉾本が自分を助けてくれたのか。ラブデュエルの無かった昔ならこう考えることも出来ただろう。

 

 鉾本は私に対して好意を持っていて良い所を見せようとして助けに入ってきた。

 

 しかしそれはありえないことだった。もしそうならラブデュエルが即座に反応していたはずだから。「いっそのこと、その方が良かったのに」と珠代は心の中でまた舌打ちした。それなら先に鉾本がダメージを受けてくれたはずだ。そうすれば自分がダメージを食らうなんてことはありえなかったのに。


 下心もなく相手を助ける。


 いったい彼が何を考えているのか、珠代には理解出来なかった。


「鈴村さん、今、鉾本さんからダメージ受けてたでしょ?」

 

 考え事の途中で突然後ろから声を掛けられ珠代はぎくりとした。






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