第3話
一月十五日。成人の日で祝日。
下羽原長寿階一日定例会及び新年会。快晴、参加人数二十六名、例年通りの長寿会。
食事を取り手作りの宴会をはじめ和菓子あり。また鴻巣まささんがワインを二本持ってくる。
ビール缶も五・六本とおつまみ付き。会長は清酒一本を寄附し山崎常松さんの焼酎一本、それ等の飲み物は、婆さんたちが飲んでしまった。
一月十六日。起床五時二十分、快晴。
糖尿病・腎臓の病気が気になる。明日は、それらを済生会で検査することになった。
午後から京都駅伝を見、四時から角力観戦。正願寺の墓地の代金入金あり、十万円、城之内の大串さんの娘で城之内に住む瀬尾さんからの紹介であったという。
一月十七日。起床五時三十分。
瀬戸内海淡路島直下を震源とするマグニチュード六の地震が発生。淡路島及び北部神戸・京都等の建築物が壊れる大地震となり、高速道路が潰れ、各地に火災が発生。
震源地の州本ではマグニチュードが七だという。あちこちで火の手が上がっているのをテレビで見ていると、地震の威力は恐ろしい。
火の海の神戸市長田町の火災が激しい。死者九九六人行方不明者三千人以上という報道だ。空前の大地震である。
改めて、祖父常次郎の工場を潰した関東大震災を思い出す。あの地震が庄兵衛の家を貧乏にした根元である。
それで父は十歳で丁稚として他家に入り、尋常小学校に行けなくなってしまった。息子の私は、父の通知表に、全の科目が甲であったのを知り、どれ程努力しても中学校へ上がれなかった父の気持ちがどれほど悔しいのだろうと察知した。
それでも私の百科辞典がどのページも紅色になっているので、己の学のなさが悔しかったのだろうと思うと、父の頭の良さと、己の厳しさに頭が下がる。
一月十九日。兵庫県南部自身で二日目の朝も余震が続いている。
北部もどんどん焼かれ八百余人が犠牲になり、寒中で寝るところもなく、大きな建物の体育館などでは、かなり不自由だと思うが、何も出来ない自分が嘆かわしい。
父は、「神戸の現場へもいったことがある。」と言って苦しげな父の背中を見ていた自分の甘さを感じる。
厳しすぎる現場で生き続けて埋められて気の毒な人間を扱う方法を知らない。その他多数のろくでもない人間が、何もせずテレビに食い入る。
我々は、身の置き場所がわからない。地震に依る犠牲者は三千六百二十一名。けが人一四、六七二人となった被災者二十万人余に物が運べない。
今朝は肌寒く空気厳しい午前中正願寺さんへ昨日作成した檀家のコピーを取ったものを一部届けてきた。その後、わんちゃんを連れて城之内を散歩してきた。
こんなに犬と戯れていたのが信じられない。午後はわんちゃんを連れて、散歩に出る。その散歩時間は一時間である。
今日も一日中足が痛い。今日も日中兵庫の火災がニュースで流れていた。ビルの下敷きになっても生きている人の救出が行われている。
一月二十日(曇)、起床五時四十五分。
地震は、その後十回の余震が続き、被災者が四千人を越えている。
朝七時ごろは幾分苦しい感じがする。寒さが厳しいと余計におかしくなる。
病院へ行くべきだと思って午前中済生会病院へ行く。結果は心筋梗塞であるらしいが、済生会では手術が出来なく、筑波大学病院で手術する。八十三歳での手術は困難なことを、見舞いに行った私と姉が聞いている。
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