6
夏休みを挟んで、夏の終わり。八月三十一日。最後に図書室に彼女を探しに行ってから、約一ヶ月。僕は再び図書室へと赴いた。人気もなく、人気もないこの部屋の扉を、一体何度くぐっただろう。無機質に並べられた本たちはずっと、触れてくれる手を捜していた。
今日も、彼女はいない。もうここへは、訪れないのだろうか。
そもそも彼女は、どうしてここに来ていたのだろうか。僕は彼女のことを、本が好きな文学少女だと勝手に思っていたが、よくよく思い出せば彼女は全く本を読んでいなかった。ただいつも、僕とくだらない話をしては、音もなくどこかへと消え去っていった。まさか僕と話をするためにこんなところに来ていたわけではあるまい。そんなことを考えるなんて自意識過剰もいいとこだ。
そもそも、彼女は本当に存在していたのだろうか。この学校に、千夏なんて生徒はいない。何度も何度も確認したから、見落としも見間違いもありえない。
今になって思うと、あれは全部夢だったんじゃないかという気さえしてくる。僕が無意識のうちに描いた空想か、妄想か。
或いは誰かと話がしたいという、僕の心がつくり出した虚構なのか。
どんな理由を考えてみても。
彼女の存在は、透明に揺らいだ。
彼女がいないことを認めたくないのか、僕は、彼女の姿を探すように歩き出していた。隣接するように並び立つ本棚の隙間を、ふらふらと。
あの日の、続きが読みたくて。縦横無尽に張り巡らされた本の結界に、目を滑らせる。背表紙を指と目でなぞっていくと、一度読んだことのある本が、順に目に入ってきた。
「心ここから」
「寒気と冷気の午前二時」
「四の五の言うのは六回目」
「すれ違いの友情」
・・・・・・・・・・。
ピタリ、と。足を止めた。止めて、見つめる。
次に読むはずだった、その本を。
次に読むはずだった、「せ」から始まるその本を。
途端、妙な違和感を感じて、さらにその隣の本を見た。その本のタイトルは「相対性の恋」だった。
それを見て、いつか彼女が言っていた言葉を思い出した。
「私も友達、いないから」
「仲間は沢山、いるのだけれどね」
瞬間、僕は彼女の言っていた言葉の意味を理解した。それも一つではなく、全て。
そうだ。彼女は待ちきれなかったんだ。そう言っていたじゃないか。だから、僕の前に現れた。いや違う。現れたのは彼女じゃない。彼女の方じゃない。
彼女は僕と話をするために、こんなところに来ていたわけじゃない。
彼女は、初めからここにいた。
会いに来ていたのは。
僕の方だったんだ。
友達。
仲間。
彼女が言っていたのは、強がりでもなんでもなく、ただの真実だった。確かに彼女には仲間が沢山いたけれど、「友達」は、一人も、いなかった。
そっ、と。本に触れる。おそらくまだ誰にも読まれたことのない、その本を。
どうやら、随分待たせてしまったらしい。しかし待ちきれなかったからと言って、まさかあんなことをするなんて。
そこまでして、誰かに読んでほしかったのかい?自分のことを、知ってほしかったのかい?
僕に自分のことを、話してほしかったのかい?
「『寒気』は訓読みなのに『冷気』は音読みだなんて、なんだかとってももどかしいわね」
音読み、訓読み。
そんなどうでもいいことであれこれ言っていたのは、こういう理由だったのかと、笑いそうになった。彼女は僕が名前を聞いてくることさえ、お見通しだったわけか。
本を手に、僕は、いつものあの席に座った。そこにはもう、僕を拒むような疎外感は存在しなかった。
優しく表紙を捲ると、今まで感じたことのなかった高揚感を感じた。それは至福感とも言えるし、陶酔感とも言えるし、或いは満足感とも言えた。
ただ単純に言うならば、わくわくした。
きっとこの中に答えがあるのだろう。
彼女が答えなかったことの、その全てが。
いつか、小説を書こう。
ふいに、そう思った。
彼女と友達になるために。
彼女ともう一度、話をするために。
タイトルはそうだな、僕の名前にちなんでこうしよう。
「千の秋」
夏の隣に寄り添う、前の季節。
季節を巡るお話 青葉 千歳 @kiryu0013
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