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「どうして本が好きではないのに、本を読んでいるの?」


 ついに、と言うべきかはさておき、ようやく彼女は核心を突いた話を振ってきた。いつかその質問が投げかけられるだろうと思っていた僕は、ほとんど間髪入れずに、その問いに答えた。


「友達がいないから」


「そう」


 と。「すれ違いの友情」という本を読みながら何の恥ずかしげもなく、寧ろ堂々と、己の恥ずかしき事情を公言した。


 そんな恥ずかしい告白をしたというのに、相変わらず彼女に感動はなかった。やっぱりそれは僕が何と返すのかが分かっていたような口振りで、じゃあどうして知っているのにわざわざ僕に言わせたのかと、憤りを感じたくなる態度だった。最も、今までの会話から察するに、彼女がそう反応するのは分かりきっていることだったけれど。


 しかし自分だけが恥ずかしい友人関係を暴露するのは些か不公平なのでは、と考えた僕は少し意地悪っぽい顔で彼女に問うた。


「千夏はどうしていつも、こんなところにいるの?」


「私も」


 答えたくない質問だろうから、黙り込むかはぐらかすかすると思ったのだが、僕が答えたときよりもずっと早く、彼女は答えた。


「私も友達、いないから」


「・・・そう。それは悲しいね」


 僕はその回答に満足したのか、何の含みもなく彼女に同情したのだが、何故か皮肉っぽく聞こえてしまった。おそらく年齢を聞くことよりもずっと失礼なことを聞いてしまったんだろうと、不公平を訴えた自分を情けなく思った。


「仲間は沢山、いるのだけれどね」


 その後に彼女は意味不明なことを付け足したが、友達がいないことを高らかに公言したことを恥ずかしく思って誤魔化そうとしたのだと勝手に解釈し、「それはよかったね」と適当に言っておいた。この場合、単なる強がりにしか聞こえない。いや、この場合じゃないなら一体どう聞こえていたのかと問われると非常に困るのだが、友達がいないと言ったあとに「仲間はいる」なんて言ったって強がりにしか聞こえないという僕の意見は、至極真っ当だと思う。


 しかし僕らは同じ穴の狢であると知ると、なんとなく、彼女に親近感を抱いた。友達のいないやつが「親近感を抱いた」なんて言葉を使うのは、なんとも馬鹿げた表現ではあるが。


「どうして友達がいないの?」


 仕返しとばかりに、彼女はなんとも挑発じみた質問をしてきた。それくらい自分で考えてほしい・・・というか、僕の考えが読めるならわざわざ言わせないでほしい。僕だって強がっているだけで実際はかなり辛いのだから。


「君が友達のいない理由と同じだよ」


「あら、それは突飛な理由ね」


 今度は皮肉を返したが、寧ろ彼女は嬉しそうに笑った。皮肉を言われたことよりも、同じ理由を持った人がいることを喜んだらしい。さっきは強がっているだけだと思ったが、どうも彼女は友達がいないことをあまり気にしてはいないようだった。そんな彼女のことを、羨ましく思った。


「羨ましいよ」


 思うだけでなく、声に出ていた。


「何が?」


「君が」


「そう。私が羨ましいだなんて、珍妙な人ね」


 今度は僕が皮肉を言われてしまった。この場合の珍妙はまさしく、滑稽な人を指す意味で使った言葉だろう。だが不思議と苛立ちを感じることはなく、寧ろ笑みが零れた。とは言ってもそれは、渇いた苦笑であったが。


 もしかしたら僕は、いつの間にか彼女との会話を楽しんでいたのかもしれない。相手を貶めるような態度を互いにとってはいたが、言い換えればそれは皮肉を言い合える仲であるとも言える。もちろん彼女のことを友達ように思っているわけではないが、考えている以上に僕は、僕の中に、彼女の存在を認めているのではないだろうか。


 呆れたり、憤りを感じたりはするけれど、少なくとも僕にとってはこれが、唯一、誰かと話のできる時間だった。


「友達がほしい?」


「・・・まあね」


 素直に答える。


 嘘じゃない、本心だった。


「じゃあ友達ができたら、もうここへは来ない?」


 と。彼女はそんなことを聞いた。それは、いつか僕がここへ来なくなることを危惧した言葉だろうか。そう考えるなら、彼女もまた、僕との会話を、楽しんでいたのだろうか。


 表情は相変わらず読み取れない。だけどその表情には、今にも感情が露になってしまいそうな不安定さを感じた。僕が答えを間違えてしまえば、あっさり崩れてしまいそうな、そんな危うさを。


「来ないよ、こんなところ。絶対に」


「・・・・・・・そう」


 案の定、と言うべきか、僕の予想通り彼女の表情は崩れた。彼女が返した、相も変わらぬその言葉。だけど、その言葉から今までで一番強く、彼女の心を感じ取った。

 寂しさだった。寂しさと、悲しさ。


 それだけじゃない。誰かを、何かを思う気持ち。思いやる気持ち。この場合誰か、は僕だった。だけど分からなかった。


 何を。


 彼女は僕の、何を思っているのだろう。


 分からない。


 強がりだった。たった一人でここにいたとき、そのときは確かに、そう思った。「友達がいたら誰が好き好んで、こんな場所に来るものか」と。


 でも今は違った。その言葉に偽りがないのは確かだけれど、少なくとも、あんな絶対的な否定をする必要は、どこにもなかった。彼女との会話が楽しいと、気付き始めていたのだから。


 だから、強がりだった。この場所を好きになってしまうのは、友達のいない自分を、肯定することになってしまいそうで。この場所を、否定しなければいけないような、そんな気がしたんだ。


 気付いていたはずだった。


 彼女といることを楽しいと思っていたことも。


 きっと、本の魅力にも。


「ねえ」


 呼びかける。


 彼女が僕を。


 千夏が、僕を。


「本は好き?」


「―――――っ」


 心を見透かされたようだった。今までにも何度も似たような感覚は感じたけれど、今回ばかりは気のせいとも、偶然とも言い訳できなかった。


 誤魔化せなかった。


 それは、既に一度しているはずの質問。出会って初めて、最初に聞いた言葉。


「どうして、そんなことを聞くんだ?」


「聞いたらいけなかった?」


「その質問にはもう答えたはずだけど」


「あら、そうだったかしら?」


 忘れたようなふりをして。


「そうね、確かにそうだったわ」


 すぐに言い直す。


「でももう一度聞いたら、違う答えが返ってくるんじゃないかと思って」


 思って、とは言うがしかし、彼女は絶対の確信を持っているかのようだった。僕が、違うことを答えると。


 僕が、本が好きだと答えると。


「ねえ、あなたは本が好き?」


「・・・・・いや」


 うん。


「全然」


 とっても。


「好きじゃない」


 好きだよ。


「・・・そう」


 落胆することもなく。


 消沈することもなく。


 失望することもなく。


 やっぱり彼女は、何も、感動しなかった。さっき感じたはずの寂しさも悲しさも、今は、何も感じられなかった。


 僕の心を見透かした上でなお、僕が嘘を吐くと分かっていたのだろうか。僕にとってこれは、人生で初めての嘘だったというのに。


 流石に嘘だ。そんなわけあるはずもない。だけど少なくとも、自分の信条を捻じ曲げてまで嘘を吐いたのは事実だった。どうして僕は吐きたくもない嘘を吐いてしまったのか、その理由は、自分でも分からなかった。


 何かを言わなきゃいけない気がして。でも、何も言えなくて。結局、僕らがそれ以上会話をかわすことはなかった。それは何も今日だけの話ではなく、これから先、ずっと。


 もう二度と。


 もしこれが彼女との最後の会話になると分かっていたのなら、僕は、何かを、言うことができたのだろうか。

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