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「何かを待ち焦がれていると、ある日突然待ちきれなくなってしまうことはない?」
彼女は毎回雑談のテーマでも決めているんだろうか?意味があるとは思えない質問を毎度の如く繰り返す。文学少女にお喋り好きはいないという僕の偏見はどうやら改めなければいけないようだ。いや、彼女が文学少女かどうかは知らないけれど、毎日のように図書室に来る女の子を文学少女と定義する僕の感性は間違ってないと思う。
彼女は僕がその問いに対し、肯定を返すことを期待しているように見えた。無論それは僕の気のせいかもしれないけれど、気のせいと思うくらいには、彼女の表情が変化した。
「君はあるの?」
「どうかしら」
その期待の手前、無下に否定するのも何だか悪いような気がする・・・と、人間らしい気持ちになったところで、僕らは再三に渡る同じ会話を繰り返した。いや、再三どころではないのだが。
あんな具体的な質問をするということは、どう考えても自分に身に覚えがあるからとしか考えられないのだが、それでも彼女は答えようとしなかった。「どうかしら」というその言葉には、僕に答えを求めているようなニュアンスが含まれていた。いや、違うな・・・「あなたなら知っているでしょ?」というような感じだ。僕なら分かると、僕に自分のことを答えてほしいと、そう言っているようだった。
当然、僕は彼女のことなど何も知らない。そんな期待を向けられても、答えられることなど何もない。彼女が何を待ち焦がれていて、そしてそれを待ちきれずにどうしたかなんて、分かるはずもない。ついでに言えば知りたくもない。
僕は彼女の名前さえ知らないのだから。
・・・名前、か。
「名前は何て言うの?」
聞いてみた。もちろん彼女と違い、僕は一切期待なんてしていない。自分のことを何も話そうとしない彼女が、名前を教えてくれるとは到底思えない。というか思わない。きっと「さあ」とでも言って、はぐらかすつもりなんだろう。別にそれをどうと思うわけでもないが、自分の名前を聞かれて「さあ」と答えるほど、滑稽なものはないだろう。
しかし、僕の予想とは裏腹に、彼女は何も言わなかった。いつも僕の台詞を食い気味に「どうかしら」と言っていたというのに、やけに大人しい。それとも「さあ」と答えることすら煩わしいという、無言のメッセージだろうか。なるほど、それなら合点がいく。答える価値もないと考えたわけか。
と、一人で勝手に納得して本を読むことに戻ろうとした瞬間。
「千夏よ」
意外にも何の捻りもなく、彼女は答えた。いや、意外なんてものじゃない。驚いて思わず目を見開いてしまった。その目で彼女を見れば、薄く、笑みを浮かべていた。
単純に、いい名前だと思った。それは何か理由があってそう思ったわけではなく、自分の名前に似ているからという贔屓でもなく、ただ本当に単純に、いい名前だと思った。
かと言って、
「いい名前だね」
とは、死んでも言わないが。そんな台詞を吐けるほど僕の声帯は進化していないし、彼女に心を許してもいない。最も、それは彼女も同じだろうけれど。
彼女は・・・千夏は、僕に質問するのが好きなわりに「あなたの名前は?」とは聞かなかった。まあ彼女の名前を聞いたあとでは、僕は名前を聞かれても間違いなく答えなかっただろうけれど。
名前を聞く代わりと言うべきかは分からないが、千夏はこんなことを聞いた。
「夏は好き?」
それは自分の名前に引っ掛けた質問なのだろうか。それとも単に今の季節が夏だからだろうか。しかしどちらにしても彼女の名前を聞いたあとでその問いに肯定を返すと、まるで彼女のことを好きだと言っているかのように聞こえてしまうではないか。
・・・と、感じてしまう僕は感受性が豊かなのだろうか。それとも単なる考えすぎか。まあ、そもそもそんな心配をする必要は全くないのだが。
「いや、全然。早く・・・次の季節になってほしいよ」
「早く秋になってほしい」と言いかけて、秋という単語に過剰に反応してしまった僕は急遽、別の言葉を差し替えた。しかしはっきり言って全く意味のないことで、彼女が「じゃあ秋が好きなの?」と聞けば結局秋という単語が出てきてしまう。反射的に反応してしまった以上仕方がなかったので、どうか僕を責めないでやってほしい。とはいえ夏が好きかという問いを否定したいが為に、言わなくていいことまで言ってしまったと、少し後悔した。
しかし、僕が「次の季節」という言葉を使ったがばかりに、彼女は意味不明なことを言い出した。
「じゃあ春が好きなの?」
「・・・・・・・え?」
おそらく疑問ではなく、「何を言っているんだ」という感じの声が漏れた。怪訝な顔で彼女を見る。一瞬僕の聞き間違いかと思ったが、彼女は同じ言葉を繰り返した。
「じゃあ春が好きなのね?」
「・・・いや、春は夏の前だろ?」
「いいえ、夏の前は秋よ」
「・・・・・」
ここでようやく秋という単語が出てきた。が、すっかりそんなことはどうでもよくなっていた。
「ちなみに冬は春の次よ」
「・・・ああそう」
呆れた表情を隠すように、僕は顔を背けた。そして彼女に気付かれないように小さくため息をついた。
今までは、彼女と話をしても会話が弾まない程度に思っていたのだが、どうやらそれは間違いだったようだ。会話が弾まないわけではなく、会話にならない。たとえそれが何らかの謎かけだったとしても、それを僕に出題するのはあまりに勝手だ。会話のキャッチボールができてない。そうだ、キャッチボールと言うならば取れない剛速球を投げているようなものだ。誰だってそんなもの投げられたら普通かわすだろう。何度も言うように僕はそこまで彼女のことを理解しているわけではないし、頭もよくない。彼女の無法の会話に付き合っていられるほど、暇でもない。・・・いや、暇はあるけどさ。
これ以上は付き合っていられないと、僕は会話を放棄して本の続きを読もうとした。しかし、彼女はそれを許してくれない。
「恋愛小説、好きなの?」
「・・・君と会話するよりは好きかな」
「でも面白くないでしょう?恋愛小説なんて」
「君が恋愛小説の何を知ってるのかは知らないけど、とりあえず恋愛小説好きの人に謝るといいよ」
「ここには誰も、恋愛小説が好きな人はいないじゃない。あなたが好きだと言うなら謝るけれど?」
なかなか言ってくれる。僕が好きだと言ったら本当に彼女は謝るのだろうか?少し見てみたいような気もするが、わざわざ嘘を吐いてまでやろうとは思わないので、自重した。
「読んだことあるの?恋愛小説」
「いいえ、一度も」
「一度も?」
「ひとつも」
「・・・それでよく四の五の抜かせたね。尊敬するよ」
「あら、それはどうもありがとう。もっと褒めてくれると嬉しいわ」
はー、と今度は彼女に聞こえるようにわざと大きなため息をついた。
「それで、好きなの?恋愛小説」
「・・・・・」
なんだか一周回って寧ろ面白いような気がしてきたが、このまま彼女のペースで会話を続けると負けたような気分になりそうなので、僕は彼女の存在を視界の外に遺棄した。そして質問を投げかける彼女を無視して、本を読み始めた。
本を読むことに没頭していくと、次第に辺りから音が消えていった。もしかしたら彼女がまだ四の五の言っているのかもしれないが、既に僕の耳には入っていなかった。
やがて完全に音は消え、世界は無音に附した。その世界の中で、物語の登場人物の声だけが、頭の中に響いていた。
読み終わりパタン、と本を閉じると、途端冷房の音が鼓膜を震わせた。同時に、えもいえぬ充足感を感じた。本が好きではない僕でも、この瞬間だけは好きだった。
本を棚に戻し、まだ時間があるな、と僕は何も考えずに隣の本に手を伸ばした。
「四の五の言うのは六回目」
そのタイトルを見たとき、奇しくも、四の五の言っていた彼女の姿が、脳裏に蘇った。
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