ミアとマカは彼女たち曰く、“鼻がきく”らしい。何の変哲もない風景もハッキリくっきりと異質なもの、訴えかけてくる気味の悪いものが眼前に浮かんでくるそうだ。それについて私から何か問い質すようなことは一切しない。彼女たち自身が私にとって異質で気味の悪いものだし、そもそも眼前に捉えたくないから。


 彼女たちが真っ先に嗅ぎつけたのが灰庭はいばでなければ、出来る限りの抵抗はしていた筈だ。なぜ彼の名前が上がったのか、まず彼女たちを疑った。私を何らかの策略に嵌めようとしているんじゃないかとまず考えた。でも、私はこうして灰庭のことを探るようなことをしている。彼女たちの言葉に説得力があったからではない。同郷のよしみか、私自身が疑っていたのか、“自警団”の初仕事が灰庭だったからなのか。とりあえず私は動いた。



 彼らの家を見つけた私は数日かけて様子を伺った。滝の裏に出入りしているのは灰庭を含めて十四人、ざっと見ても彼らの共通点は明白だった。新入生の中でもヒエラルキーの高い人間達だ。羨望の的になるような容姿、人を引き寄せる巧みな話術、学問でも修身でも常に上位、どこを見てもウザったいほど光を放ち、背中に喝采を背負っているような人種。彼らが同類として集まるのはごく自然なことだ。彼らはいずれ一族の権力者として名を残すことになるのだから既にお互いを意識しあっているのかもしれない。私には縁のない世界だが、他の人間たちとは違う異様な結束力を見せられるのはあまり気持ちの良いものでは無いし、少し物怖じする。その結束力に比例して排他的でもあるのが彼らだからだ。一見柔和そうでも境界は恐ろしくハッキリしている。


 そんな集団にこれから私は喧嘩を売りにいこうとしているのだ。彼らに何か後ろめたいことがあると証拠がある訳でもない。傍からみれば異常なのは私に決まってる。誰に何を吹き込まれてこんなことをしたのか、なんて問い質されれば精神を病んだ人間として扱われるのは目に見えてる。でも私にはやるしかない。永遠に自分の意識の中に閉じ込められるのとどちらが良いか、答えは明白だ。


 全員が滝の裏に入ったことを確認し、今日の決行を決めた。片手にはこの為に用意した鉈を携える。これは拉致だ。上手くいくかどうかは分からない。こんな粗暴な考えしか思いつかない自分を呪い、こんなの馬鹿げていると誰かに叱って欲しい気分だった。しかし気持ちだけは割りと落ち着いている。緊張感がないといった方が正しいのか、なんとなく遊びとしか思えなくなってしまった。


 姿を現したのは──“繭莉まゆり”だ。彼女は繊維を使ってゆっくりと巻き取りながら上昇していた。…彼女以外にこの手が通じる者はいない。私は滝の下から予め用意しておいた繊維を掴んだ。その繊維は私の身体に入ってくると同時に、身体が軋むほど猛烈なスピードで引っ張りあげる。


 目の前に彼女を捉える。私の存在は毛ほどにも感じていない。


「はぁ!?嘘ッやだ!!」


 彼女の絹で構築された身体に飛びついた。


 繭莉は突如としてパニックに陥った。腕を振り回し身体を剥がそうとするが、全くの無意味だ。私は間髪いれずに繊維を彼女の身体にあたり構わず突き刺した。繭莉の半狂乱の叫びが私の耳をつんざき、滝の激流がその声を掻き消す。彼女と私は蜘蛛の巣に引っ掛かった虫けらのように、ガチガチに固定された。


 繭莉の繊維に携えた鉈を入れると、あっけなく切れてしまう。その先端は目で追えなくなり飛沫の中に消える。


 二人の身体は滝壺にむかって真っ逆さまに落ちる。


「待ってなにも」


 ごぷっ


 彼女の言葉が終わる前に、周りの音は失われた。


 急流が身体を打つ。抗いようのない水の動きに支配される。うららかな陽気とはうって変わり、肌を突き刺す水の感覚を全身に受けながら、彼女と私はどこまでも急流に閉じ込められ、轟々と打ちつける質量が身体を弄ぶ。


 鉈を彼女の首にあてがい、ジョキジョキと奥に導いていく。繭莉の身体が爆発したように悶え苦しむが、構わず擦り切れる一本一本の繊維に集中しながら断頭を行った。視界が不明瞭になる中で、私には鉈だけが不動に思えた。


 抵抗は無意味だった。水の力に押され繊維は行く先を見失っている。


 私は引いた。必死に引いた。鉈が確実な感触を与えてくれることだけが頼りだった。


 案の定、首を断ち切るまえに彼女は静止した。


 やりきった、という感覚もあったが自分がいやに気分が落ち着いているのが不思議だった。信じられなかった。こんな事件でも、まだ私は何も感じないのだろうか。確かに突然首を刈られた彼女は可哀想だった。ただ、鉈が食い込んだ繭莉の首を見ると、笑いが込み上げてきた。格好が面白かった。




 繭莉が目を覚ますまで私は彼女を観察していた。彼女の首筋に出来た大きな裂け目がぷつぷつと繋がっていく。横一文字に開いているそれは巨大な口から唾液を垂らしているようで何だか気味が悪い。上から垂れ、下から昇っていく。二つの先端がぴったりと重なったと思えば既に一本の繊維になっている。動物の肉もこんなふうに出来ているのだろうか。こうやって繊維が繋がっていくぐらい動物の血はグロテスクだ。汚くないと言えば嘘になるが、仮に自分から血が出てそれを私は汚いと思うだろうか。


 目を覚ました繭莉はあっけらかんとした目で私を覗いた。それから数時間前のことを思い出して慄然とし、怒声を浴びせた。


「貴女が最後の話し相手になるのかしら?一つ言っておくけど指図なんて絶対に受けないから。私は黙って殺されるわ」


 繭莉は想像よりずっと大人しかった。彼女が暴れだした時の策もいくつか用意していた。が、暴れ出したり私に何かを嘆願するようなことは一切しない。ただ私を睨みつけたまま獣のように眼差しを向け、脱力していた。


 だが、ここで繭莉は何かに気づいたように一瞬身体が強ばった。私の顔をまじまじと見つめ、何かを考え込んでいる。私の顔には何もついていないし、まだ全身がぐっしょりと濡れてはいるがその程度のことだ。


「あははははは!私あなたの顔知ってる!灰庭と喋ってた子でしょ!晃とかいう奴の隣にいた!」


 繭莉は破顔し、掠れた笑い声で続けた。


「はははははは、どっから見ても絹の人間じゃなさそうだし、いよいよ及ばぬところは無しって感じね。本当に気色悪いわ」


 どうやら私の存在と被る対象が、彼女の周りには存在している。やはり“彼女ら”を取り巻くのは異常であって、そこに私が踏み入ることは決して有り得ない。姿は見えないが、それが浮かべる表情が何となく想像して、経験した事のない恐怖が襲った。


 私はここぞとばかりにありったけの笑顔を作ってやった。怖気を催すように、相手の記憶に残るように、あの顔を再現するように。彼女のバックボーンなど知る由もないが、それはあっちも同じだ。繭莉は一瞬たじろいだが、また先の調子を取り戻して笑い始めた。


 私も一緒に声を出して笑ってみた。すると自分でも驚く程に良い笑顔が作れた。それもこの場に限ってのことだが。役に徹するのは何とも楽しく、なんで自分が笑ってるのか分からないのが妙にしっくり来た。繭莉とひとしきり笑いあった後に、先に彼女のほうが我に返った。まだ笑っていた私に向かって、馬鹿みたい、と呟いて何も言わなくなった。


「ねぇ」


 私の呼びかけに繭莉は身を硬直させた。もはや彼女は私の目を見ない。俯き、唇を噛んで震えていた。何かを噛み殺そうとしているのが目に見えて分かる。彼女の身体はもはや言うことを効かずにかぐがくと震えていた。これから訪れる辛苦を想像してついには耐えきれなくなり、出来損ないの獣のように息が漏れ出す。


「あのことは誰にも言わないであげる。私が報告しなければそれで丸く収まるようなことだし、繭莉にはこれからもやって貰わなくちゃいけないこと沢山あるの。これまでとは別に、ね?あくまで保留にするのは私個人の庇護によるものであって、全体の意志じゃない」


 ここまで踏み込まないと駄目だ。私は直観的にそれを理解していた。ここで下がることは逆に自分の身を危険に晒すことになる。あくまで自分の立ち位置は不可侵でなければいけない。彼女にとっての守るべき対象にならなくては意味が無い。私が楔を打ち込むべきなのは彼女の内側である筈だ。


「…意味わかんない。何のメリットがあるのよ」


 繭莉は私に憤怒に近い眼差しを向けている。


「あなたを利用したいからよ。そんな事分かりきってるじゃない」


 場の雰囲気に流される。この異常な空間に飲み込まれる。自分が作り出した空間なのに、その中ですらまともに歩くこともままならない。自分の中にまた別の自分がいるみたいに、真っ白な頭の中の裏側で「反射」にも似た、根拠のない言葉が口をついて現れる。


「…レーム様を裏切るつもり?」


「知りたかったらまず生き延びることね」


「…」


 繭莉に考える暇を与えてはいけない。この違和感に飲み下される前に“彼女ら”の真相を暴かなければいけない。


「乗り気じゃないなら仕方ないわね。もう満足?十分に生きた?…これはもうOKってことなのかな」


「待って!!待ってよォ」


 私がやりたいこととは何だったのか、何に向かって歩いているのか分からず、ただ自分のことを守る為にミアとマカに従っている。彼女らに悠久の時間を突きつけられ、身動き取れずに連れ去られる。


 目的があった筈だ。私は灰庭に会いたい。彼がいま何を考えていて、何処を目指して歩いているのか、怖くて仕方がなかった。既に呑まれてしまった私だからこそ、灰庭を救わなければならない。灰庭さえ、灰庭さえ無事なら私はどうなっても良い。この女がどうなろうとも、灰庭だけは。

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糸人 悔乃 @kyashino

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