誘う

 筑紫狩り。


 入って間もない新入生を嘲る意味で『筑紫』と呼ばれるが、この騒動を道行く人はそう呼ぶ。


「ダアッーハッハ!!」


 吠える馬琴の声が耳に反響する。両手に新入生の首を携え消えていく姿もこの目にしっかりと焼き付いている。新入生はこれからどうなるのだろう。ほとぼりが冷めるまでどこかに埋められるのだろうか。騒動が収まった頃に掘り返して内省させるのが穏当ではあるが…。


 でも、私が一年だと知った時の馬琴、あの憎悪。人は一瞬のうちに、最も深い部分にその恐怖を植え付けられる。私は只々恐ろしかった。


 平和的な解決は期待できない、そう思わざるを得なかった。加虐性愛者に引き取られるのか、精神が歪むまで凌辱されるのか──虫喰いの領域で簡単に消されるか。




「千宏さん、その瓶とってください」


「あっ、はい」


 全く読書が捗らない。泉に呼びかけられた私は徐に立ち上がる。彼女は例のごとく実験の最中だった。日光を遮断した空間はカビ臭く、壁はところどころ変色している。机の上はこの世の終わりのように汚い。秤、瓶、薬包紙、ぶ厚い本が数冊、籠に入った虫、煮立った栗色の液体、立ちのぼる緑色の煙。泉の手にはキチキチと虫が鳴いている。


 私は机の中央あたりにコトンと置いた。


「…アリガトウゴザイマス」


 泉は気を集中していた。手に抱えた昆虫、もう片方の手には大きな針を携えている。


「ヒャッ」


 ──かけ声と同時にプスッと虫に突き刺す。背中を刺された昆虫は手足をバタバタと動かす。すると、背中から緑色の液体を分泌し始めた。


「ハッ!千宏さん!!瓶ッ!瓶ッ!」


 何となく察していた私はサッと手を動かす。あらかじめ蓋を緩めておいてよかった。瞬時に外し、どろりと垂れ始めたところを瓶の入口に招き入れる。


「ホッホッホッ」


 泉と顔を見合わせる。その笑顔が憎たらしかった。なんでそんなに楽しそうなんですか。


泉の怪しい実験は仕事ではない。これは彼女が好き好んでやってる趣味に過ぎない。本職の生態調査を行う暇にこうして人知れずコソコソと実験に励むのであった。


「アリガトウゴザイマシタ…」


彼女を咎める者は誰もいない。彼女の首をはね飛ばして一生地面に埋めておくことも咎められない。仮にそういう人間が現れたとしても。私たちは自由だから。






「聞き及んでおりますよ。新入生の悪行は」


 私はこの騒動について話を振った。


「私も年で言えばそんなに変わらないですしね…今までの経験から言えることとかは無いです」


 でも、と泉は挟む。


「そんなにでっかい事件でも無いと思うんですよねぇ。私が学生の頃だってたびたびこういう事起きてましたし。たまたま今年の新入生は荒っぽい人たちが集まってそれが偶然一つの事件みたいに扱われてるんですよ、きっと」


 泉は細長いさじを使って調合をしている。


 本当にそうだろうか…


 麻とか羊毛とか荒っぽい人間が原因なら話は早い。でも綿の一族が関わっているのだからそう単純な問題ではない。彼らはそんな無為な争いはしない筈だ。同郷として彼らの人となりは分かっていたつもりだが、これは私の思い過ごしだったのだろうか。


──そんな訳ないじゃない


──千宏よ、お前アイツらの面見てたのか?どうみてもラリってんだろありゃ


 周りの景色は時間を止める。動いているのは私の頭の中だけ。それは彼女達ミアとマカが現れる合図だった。


急に顔出して、どういう風の吹き回し?


──あなたが何もしないからよ


──目の前に転がってるだろ、どうみてもヤバいの


私には関係ない。


──そんな普通の反抗が通用すると思ってる?私たち三人に関係があることなの。あなただけの身体じゃない


勝手に住みついてるのに何言ってるの?


──まぁそうカリカリすんな。落ち着くまでこん中に好きなだけ居てくれて良いからよ


ふざけないで。


──ふふふ、私たちが出てきた意味は分かってるのね。マカと話し合ったんだけど、これから私たち三人で“自警団”を作ることにしたわ


──私たちが嗅ぎつけてお前が行動する。まさに究極の連携。奉仕活動だ。最高じゃね?


──考えれば考えるほど素晴らしいアイディアだと思うわ!この世の偏曲を私たちが根こそぎ解放するの!


そんなことしたくない。


──もう手遅れなのよ。それに私達が交信できる間にも歩み寄るべきじゃないかしら、あなたが


──拒絶するだけしてみろよ。舵取ってるのはこっちだけどな






 私は負けない。



「私だったら仲介してくれる人を探しますかね。当事者が当事者ですから…馬琴くんとか特に難しいでしょうね。でも、なんとなく手遅れだと思います。もう事は始まっちゃってるのでいまさら火消しをするのはとても大変で複雑なことですよ」


 ですから、と泉は続ける。


「いずれ収まることでしょうし、静観するのがベストですよ。私たちにできることは何もないような気がします」


「違うんです。


これは今解決しなくちゃいけない問題なんです。この先に待ってるのはもっと大きな悲劇です。ただのいざこざだと思ってたら別の何かだった、別の意味が隠されてる、これはそんな類の表出なんです」


 泉は顔を上げる。


「…千宏さんどうしました?」


「私は気になってるだけです。こんなことはうちの村じゃなかったので」


 泉はゆっくりと立ち上がった。くっついた身体を剥がすように。


「ちょっと外出てきます」


「はい」


「千宏さんも休憩しませんか?」


 ぶ厚い扉を開けて、泉は消えていった。


 何から始めたものか。

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