狂人の房

 いつものように、今日の座学を終えた私は球堂脇の道を歩いていた。繊維を走らせて球堂上を移動するのも良かったが、私はなんとなくいつも歩くほうを選んでいる。それについてどうしてとか考えた事は無かったが、周りの人間は何に急かされているのかすごい速さで宙を舞っている。私もあの人達もそれぞれが好きなんだろう。どうやらとぼとぼ歩く人間は少数派のようだ。宙を舞う人間のほうが密度は高い。


 ──またやってる


『新入生と上級生の小競り合い』。

 それはもう見慣れた光景だった。道のど真ん中で二つのグループが衝突する。へらへらと相手の顔を覗く新入生と、いくばくか背丈の上回る上級生。その小競り合いはほぼ毎日、私の目にとまる。終業の鐘が鳴ると同時に、備えつけられたかのようにどこかしらで勃発していた。


 間に一人ひとを挟んで、横を通り過ぎる。


 耳に入ってくる怒声に私はいつも違和感を覚える。


 どうやら小競り合いの原因は新入生のほうにあるらしい──こういう場面では往々にして上級生が居丈高に、遊び半分で絡んでいるのだと勝手に思っていた。だが、実際は新入生が上級生に楯突いているらしかった。事故を装って殴打を加えたり容姿をなじってみたり、発端をみればどちらに非があるかは明白だった。それはほぼ無差別に、一つ上の代から最上級生にまで及んでいた。


 これだけではない。以前、とある新入生のグループが第十四球堂でとんでもない事をしでかした。十四は主に生物学の講義が行われる場所だ。また、それと並行して小動物の飼育および研究が行われている。


 新入生は球堂に押し入り、檻、籠、全てを開け放った。可愛い小動物だけならまだ良かったが、両生類爬虫類とうの独特なヌメリを携えた生物や、壁や本棚に衝突しまくる小鳥、顔面を直撃する昆虫など、それはそれは凄惨な現場だったようだ。よく分からない液体が飛び交ったり、発情期の小動物がここぞとばかりに異種姦を始める様はまさにこの世の終わりである──そのただ中に閉じ込められた人間がどうなるのかは…お察しの通りだ。幸いにも泉は当事者とはならなかったようだが。


 笑い事では済まされない。人間はともかくとして飼育された生き物の一定数が死んでしまったのだから。


 理不尽な暴力に憤りを覚えながら、私は泉の元へ歩いていった。




「おぉーい!!危ねぇぞー」


 ふと、後ろの方から声がした。振り向くとよい笑顔が。それは首から下がなかった。猛スピードで飛んでくるのは、生首だった。


 ──バァンッ!!!!


 こめかみに直撃。のけぞり、その場に倒れ込んだ。


「おぅおぅスマンスマン!!無事か!」


 地に伏した私に駆け寄ってきたのは、異形だった。肩周りが瘤のように肥大して、身体はアンバランスにヤジロベーのようになっている。


「…大丈夫です」


「ダアッーハッハ!!お前さん丈夫だな!!」


 なんだこの人。


「そうだそうだ、ワシが飛ばしたアレはどこだ?」


 これですか、と頭を差し出した私は、その顔にどこか既視感をおぼえた。


 それは新入生の頭部だった。


「おっ!これだこれ、助かった。あまりに軽いもんで飛ばし過ぎたわ」


馬琴ばきん!!そっち行った!!」


 遠くから別の声が聞こえた。


「はーいよっと」


 球堂の屋根には新入生がいた。へらへらと笑いながら繊維を走らせる。


 馬琴と呼ばれたその人は、新入生に向かって繊維を放出した。それは恐ろしい速さで突き刺さり、体内で拡散した。まるでハリネズミだ。馬琴は人形のようになったそれを目の前に引き寄せる。


「ゥン!!!!」


 発破、爆裂。


 殴り飛ばされた頭部は、放物線を描いて飛んでいく。


 その頭部は呼びかけた仲間の手元に収まった。馬琴は至極満足げだった。


「ナァイスピッチーィン」




 球堂の前には人だかりが出来ていた。それは馬琴が仲間と入っていった場所だった。中からは怒声と叫声の入り交じった騒音が響いていたが、それもいつの間にかなりを潜め、やがて上級生と思われる一団が出てきた。


「ダアッーハッハ!!そうだ!こんなことなら三日で尽きてしまうわ!!」


 馬琴はなかでも一際目立っていた。仲間に囲まれ、身体をバシバシとはたかれながら、笑顔で人の波を抜けていく。その野獣のような声と体格も然ることながら手に携えたものの量が違った。


 上級生の一団がこちらに向かって来る。私は少しだけ身構えた。


「オッ、先ほどの少女!!…はっはっそうか、貴様も新入生か」


「……」


「コイツらなぁ動きはトロいわ周りが見えてないわ、そりゃあ酷かったわ。まだ一年じゃからな、無理もないわ。やっぱり持つべきは仲間じゃな!一人でやっても退屈で飽きてしまうわ」


 馬琴は私に向かって、まるで収穫した作物のように両腕を差し出した──気味悪い笑顔の集合がこちらを覗く。顔は石のように固まっていた。


 馬琴は私の前に進み出た。と、同時に腕を高く上げ、生首となった新入生を私に擦りつける。生首の房を上下左右に揺すりはじめる。


「ハッハ!ハッハ!ハッハ!」


 四方を覆う生首が私を撫でつける。まだ温かい鼻が顔をつつく。


「血気盛んなのはよいことじゃあ。私を殴り殺す度胸とはなかなか大したもんだ。だがな、貴様らは気色悪いんじゃ。ニタニタ近づきよって。不良やるなら頑とせんかい!!」


 新入生の顔をどけて、巨大な馬琴の顔が眼前に現れる。


「浄化じゃあ」

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