Ⅱ 倶楽部「奏者」

積木崩

 あれから一月が経った。拍子抜けするぐらい普通の毎日だった。蛇が私たちの眼前に現れることも無ければ、合成繊維の悪魔が私の首をはねることも無い。私の中の双子もすっかり沈黙している。入学式の日から二十と七日、取るに足らない日常を私は謳歌していた。


 ここは第七球堂、躰心操術たいしんそうじゅつの座学が行われている。講堂の中央で教鞭をとるのは土門どもん教授。羊毛の一族特有の頭髪と厚みのある身体。シワの寄った目尻は朗らかなカーブを描き、鼻筋は真っ直ぐ通っている。良い歳の取り方をしているんだろうな、と感じた。


「まず基本中の基本から確認しておこう。ここに置かれているのは何者かによって切り落とされた腕だ。持ち主はこれを必死に探している。」


 土門は少しだけ繊維を放出、結紐けっちゅうさせ、腕の形にした。肘から指の先までのリアルな腕。土門は右手に左手にと弄ぶ。


「さて、この腕はどうなっていくと思う?新入生諸君」


 講堂が少しだけザワつく。後ろの席では高い声の四人組がけたたましく言葉を混ぜ合わせ、私の頭上の男の子二人組は大きな声で笑った。


 葉狗田には「球堂きゅうどう」と呼ばれる建造物があちこちにある。どういう経緯で作られたのかは知らないが、球状に何らかの植物の根を成形し、空洞が空けられている。曖昧な形の壁は隙間がたくさんあるので繊維が取り付きやすい。地べたや横壁に椅子を作ったり、丸天井に繊維を括りつけてぶら下がりながら受講する人も居る。


 私は壁のすぐ近くに椅子を作った。背もたれはいらない。


「そのまま朽ちるか、持ち主が回収すれば元に戻ります」


 前に座っていた生徒が答えた。


「うん、素晴らしい!ほぼ正解だ。君はそれをどこで知った?」


「本当に腕を失った経験は無いのですが、今私が座ってる椅子だとか、移動に使う繊維は全て回収されるので経験的にそうかなと」


「ありがとう。確かに実際にそんな経験をした人は少ないだろう。君たちは人間とヤツら、虫喰いの境界を超えたことは無い。ヤツらを殴り殺したり捻り潰した経験があるなら、腕を失うこともままあるだろう。自分からその境界を犯すような人間がいないことを私は願うばかりだ」


 土門は模造の腕を解き、自分の腕に戻した。


「以前も語った通り、これは我々の都合の良さを認識する講義では無い。学ぶべきは“我々の弱さ”だ。不死だからどうでも良い?違う。私達は殺される生き物だ。他の生物のごく短い寿命に比べれば緩慢な死には違いない。しかし、常に殺害される危険性がつきまとう限り、我々も彼らと同じく死の内にある。」


 土門の声はよく響いた。その声はただ真っ直ぐ球堂に満たされていく。自分の声を確認するように、奥の壁に向かって声を反響させていた。


 新入生の面持ちと言えば、全く緩みっぱなしだった。口がいつでも笑えるような角度を保っている。土門の顔を正視している人間はほとんどおらず、話し声にしても喝を飛ばされない程度だったが、常に絶えることはなかった。


 無性にイライラした。


「…とは言ってもだ。君達には死というものが理解できないと思う。ただ漠然と、身体を喰われて形が無くなればお終い、ぐらいのイメージしかない筈だ。そこで明確に、形を与えることから始めよう。」


 土門はそういうと、隣に背丈と同じぐらいの繊維を放出した。それは徐々に形を変え、人型に成形されていく。そして、土門と瓜二つの人間が現れた。表情は角張っていたが、体格や纏う空気感が本人そのものだった。


 本人が(ウオッ、気持ち悪ッ)と小声で言う程度には出来が良い。


「…さて、コイツは誰だ?と問えば、皆一様に“土門”と答えるだろう。傍から見てる分には俺との差はない。コイツと俺の違いは何だ?人格があるかどうか?」


「だが、こうやって喋る俺は人格が無いのだろうか?」


 突然、土門そっくりの人形が口を開いた。


「自分の意志を持っているか?」


「いや、俺にだって意志はある」


 人形は歩き出し、生徒の横をかすめた。


「おはよう。やぁ、おはよう」


 大きな手はたまに生徒の頭に置かれる。ワシワシと髪を雑に撫で、笑みを浮かべている。私はその姿が恐ろしかった。


「まぁ、悪ふざけはこの辺にして」


 土門は人差し指を立てて、横にクルクルと回した。土門そっくりの人形は忽ち一本の糸となり、彼の元に帰っていった。


「これだけ似せれば見分けることはほぼ不可能だ。俺とコイツを区別するのは一つだけ、“記憶”だ。記憶がその人間を定義していると言っても良い。人格ないし個性は記憶に根差している。記憶のない人格はそれとして機能しない。瞬間の選択や感情の現れは記憶なしには成立しない、それはただの機械的な反応だ。」


 土門は握った拳を胸に当てる。


「その“記憶”は繊維の中に仕舞ってある。繊維が失われれば記憶もまた失われる。故に私達は繊維を守らなくてはならない。無尽蔵に生まれる繊維はその本質とはあまりにもかけ離れている。」


 彼は依然話を聞かない生徒に嘆息して、話を続ける。


「今の変わり身だって、卒業までに出来るやつがいるかもしれん。俺の授業をマトモに聞いてれば、の話だが。」


「土門さん!!それはこの俺に対しての当て付けですか?」


「…はい?」


 後ろの席から響いた声は快活だった。何処か聞き覚えのあるその声に私は「まさか…」とは思ったが…

 やはりそのまさかだった。あきらはこの学校に来ても変わらないのか。


「それはひと月経っても未だに鎧が完成しない俺に向かっての当て付けですか?と聞いています」


「鎧…まさか旅団長のことを言ってるのか?あのな、お前がたったひと月で完成させたなら、それは旅団の威信に関わる問題だ。現前衛部隊ですら、鎧を扱えるのは彼ただ一人だ。」


「イャハハハ!!!やっぱり馬鹿にしてますね!貴方達が出来ないことが俺が出来ない理由にはならない!何を勝手に評価してくれちゃってるんですか?驕りって言うんですよそういうのは」


 私は常にハラハラしていた。いつ晃が吠え回ってもおかしくない。そんな状態に思えた。


「…お前に一つ言いたい事がある。あくまで長く生きてきた者としての意見だ。この世には歴史というものがある。それは揺るぎない事実だ。そしてこれまで、鎧を完成させた学徒なんてのは一人も居ない。それは我々の一族も含めてだ。先達が何百年の時間を費やしたか分かっているか?お前に足りないのは知識、そして時間だ。歴史を知らないことは罪にはならない。だから、今は口を閉じろ」


 土門は表情を変えなかった。


「その驕りは生まれから来るんですか、なるほど。ぶ厚いだけの胸板がそんな価値を持ってるとは全く知りませんでした。…この細い腕は劣等の証拠」


 晃は真っ直ぐ土門を見据える。


「時間にしてもそうだ。俺の一族はそれすらも奪われて来たんじゃないんですか?その頭で何を考えてきたんですか?もしかして、他の一族を上手に日影に押し込める方法とかですか?」


「おいお前」生徒の一人が口を開く。「見苦しいぞ。羊毛が武功、修身共に頭一つ抜けるのは公然の事実。お前の言ってることは何の根拠も無い。ただの戯れ言だ。」


 晃はここでニカッと笑った。そして声高に叫ぶ。


「断言します!俺は卒業までに“鎧”を完成させる!そして俺の一族がNo.1だと証明する!」

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