へいしきのじ

 私は既にここに居た。ここは小さな湖だ。ちょっと身体を引いて見渡せば、端から端まで収まる。その程度の水が集まる小さな湖。私の足は水に浸ってふらふらと揺れる。湖面に映る日も同じ具合に揺れた。だが、普段訪れる水の感触が、後ろに手をついた時の濡れた土が、淵に打ち付ける波の音が、全く訴えかけて来なかった。


 訴えかけて来ない感触に驚きは感じたが、疑問は浮かばなかった。それが当然である気がした。何故なら、これは一つの映像で既に次のシーンが始まっていたからだ。


「なぁ、ホントにこいつで良いのか?」

「まぁ…思ってたのとは違うわねぇ」


 私が足を浸すちょうど反対側に、先客がいた。一人はうっすらと笑みを浮かべてこちらを見やり、もう一人は私に正対しようとせず、身体を横にして何か私に聞こえないように話している。私に見えるだけの横顔はキツい目をしていた。手は重ねられ、何か言葉が交わされる度に浮いたり、また重なったりした。


 双方共に純白の髪を揺らし、背丈は異様に小さかった。


「なーんかパッとしないよねー、もっとグイグイ行けるヤツじゃないとダメでしょ」

「私は好きよこういう人、何考えてるか分かんないもの」


 あなた達は、誰?


「ウチら、名前なんてあったっけ?」

「いや、そんなもの無いわ。そうね…じゃあこの柄悪そうなのがマカで、天女の私がミアで」

「…マカだ」

「ミアです、よろしく」


 私は、何?


「おお、意外と積極的だな。コイツ」

「そうね、その姿でちゃんと口がきけるのはこっちとしても嬉しい」

「お前はお前だよ、まぁ少なくとも『千宏』では無いな。前のお前はとっくに死んでる」

「マカの口が汚いのはいつもの事だけど、こればかりは本当のことだから、私からは何も言えないわね」

「オオ!哀れな冒険者よ!お前の物語はここで筆を置くことになった!たった一人の勇者の下に埋もれる数千万のモブがお前の器量だ!!」


 本当に死んだの?


「あぁ、虚空の彼方でドロドロになってる」

「私達があなたの記憶を取り出して直接話しかけてる、あなたの疑問は記憶が勝手に反射で動いているから成立してる」

「今のお前は木偶って訳だ。黙ってウチらの話聞いとけ」


 彼女達は引きずり込まれるように水の中へ入った。手を握り合って、こちらを見つめながら。飛沫一つ立てなかった。


「お前も来い」


 私の身体も引きずり込まれた。足に縄をかけられ、地面もろとも連れていくようにゆっくりと、重々しかった。


 引きずり込まれた先は空だった。上は重々しい雲、灰色の空、眼下には地平線まで森が続いた。


「さっきも見ただろ?あれが私達だ」


 広大な土地の中に、集落があった。人間の叫声が響き渡る。その集落は蛇の寝床になっていた。集落一つ使っても身体が余るその体躯は、人間を引き潰しながらのたうち回った。その寝相の悪さは凄まじく、叩きつけた腹は二十の家屋を潰し、裂けんばかりに開かれた口は避難所と思わしき巨大な建造物を、その内に収めた。隙間からボロボロと人間がこぼれ落ち、蛇が叫んでいるのではと疑うほどの悲鳴が轟き、喉の奥に消えた。


「ウゲェー、なかなかエグいな」

「なかなか楽しかったわね」

「お前マジか」

「詫びを入れて許されるならそうしても良いわね。いっそ楽しむのが私達の務めよ」

「うーん…振り切れてんな」

「そうよ、申し訳なさそうに蹂躙するバケモノとか私見たくないもの」

「ムカつくからな」


「つまりだ、私達はもう目覚めちまった。このまま行けばあの惨劇が繰り返されるってワケだ」

「私達としてもそれは避けたい。そんな気持ちもあるんですよ。でも、私達が生まれたのはつい最近の話。蛇の私達が生まれたのはもっと昔です。途方も無い、遥か昔、憶測すら無意味なぐらい。」

「こんだけ生きてればやっぱ起きるんだよな、進化ってやつ?」

「『私達』と『蛇の私達』、表では繋がってても、根っこが違う。『私達』は自分で思考し、悩んで、面白可笑しく行動する。『蛇の私達』は違う。あれは良く出来た糸繰り人形ね。如何にも生命の神秘って姿だけど、それは裏にいる人間がそう見せてるだけ。」

「私達にしか分かんないけどさ、なんかカクカクしてるんだよ、アイツの動き。暴れるっていうよりはなぞってるって言った方が正しい」

「私達が生まれて来たことに何か意味がある筈、そう考え出したのもまるで最近の話」

「単刀直入に言う」

「私達が何なのか、教えて欲しい」

「お前をまた、元の世界に戻してやる」

「ただ戻すだけじゃないわ。あなたの身体の組成を変えて、別の生き物を被せる。『千宏』という記憶は残るけど、生物としての『千宏』はもう忘れてくれて結構よ。」

「これが精一杯の餞別だ」


「ごめんなさい、もう時間が無いのよ」

「あぁ、しばらくは顔見せること無いだろうな。私達もアイツも」

「まぁ私達を忘れることは万に一つも出来ないから、そこは安心してくれ」

「言ってしまうと貴方はもう既に」


 ニタニタ笑う。


『呪われているのよ』

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