「うううっ…気持ち悪い」


 金鵄に助けられた泉は鳥の巣でぐったりしていた。私はまじまじと彼女を見た。小麦の肌に私よりひと回り小さな体躯と眼鏡、膝まで伸びた白衣は愛らしかったが、五右衛門風呂に浸かるような姿勢は年増を感じさせた。


「ぐぇー。ひぃーっ」


「何でまぁ、こんな事になったんです。」


 金鵄が問いかけた。


「正直よく分からないんですよね…。なんか突然のこと過ぎて。ビックリしてるんですよ。本当に一瞬でこんなとこに居るんですから、テンペストですよ~。青天の霹靂って私みたいなのが由来なんですかね?」


「そうですね…まさか運び鳥から落ちたんですか」


 はい、そうです、と泉は答えた。


 運び鳥とは糸人にとっての空路だ。ある程度大きな施設には2~3羽常駐している。ちょうど雀を50羽ぐらい合体させたらこんな具合だろうな、という体躯だ。糸人二人が定員の小さな飛行船だ。風に乗ればそれなりのスピードは出るが、地上を動く糸人と大差ない為あまり重宝されない。


「落ちたと言われるのはなんか嫌だなぁ…。まぁその通りなんですけど」


 私は前を通り過ぎた真っ白い小さな鳥を目で追っていた。すばしっこく飛び回り、葉の屋根を突き抜けてどこかに消えた。


「金鵄居て良かったですね、私だと多分無理でした。でも、運び鳥はよっぽどの事が無ければちゃんと飛びますよね。図太さで出来てるような鳥だし」


「そうです、あの子には何の罪も無いんです。私は元々生態調査にやって来たんですよ~。今どの辺にいるのか分かりませんが、もう一二眠りしてから着く予定でした。」


「泉さん寝ちゃってたんですか。」


「寝ていた訳では無いんですよ!!夕べ遅くまで起きてただけです。でも本もかなり読んでたし猛烈な睡魔が来てたんです。そこでどうしても眠りたい、ただ生態調査は私の生きがいですから、どうしても行かなくてはいけなかった。


しかも今日という日は尚更外せなかった!特別ですから。そこで、あの子の背中で一眠りさせて貰おうと思い立ちました。」


「あの上で寝るのはさすがに命知らずというか無鉄砲というか」


「寝相は良いほうだったのでそこは心配ご無用ですよ!そこまで私は馬鹿ではありません。と、まぁ運び鳥に乗るところまでは平常運転でした。久々の遊覧飛行ですからね。降りしきる陽光を浴びて、広がる森の上を駆ける私はまぁ良い気分でした。そして、さっと寝返りを打ちました。そこで落ちました。」


 沈黙が流れた。そこで泉の話は終わっている。私は一連の流れを読むのに時間がかかった。


「…?」


「…なるほど」


 と、金鵄は言った。その辺りで私も泉という人間について把握し始めていた。どうやら彼女は「起きている間に寝返りを打ち、そしてそのままずるりと天空に放り出された」と、こういう事だった。


「寝返りを打ち」「そのまま」「天空に放り出された」「起きている間に」。


「あの衝撃は二度と忘れられませんね。何が起こったんでしょうか、あの時」


 金鵄は彼女がとても真面目に話していることがショックな様子だった。それでも尚彼女はその事について真面目に考えている。泉が所謂ドジっ子である事は理解出来た。しかし彼女の場合、思考すらドジっていた。


 私は矢も盾もたまらず、


「つまり、『あの時何故、自分は寝返りを打ったのか』という意味ですか?」


 と切り出した。


「いえ、それについては良いんです。そこに疑問を挟む余地は無いでしょう。私が言いたいのは『何故私は落ちてしまったのか』、この一点に尽きます」


「…寝返りを打ったからでは?」


 泉は瞑っていた目をパッと開いた。そうか、そうか、そうか、と言わんばかりにバフンバフンと身体をバウンドさせながら、次第に曇っていた表情が晴れやかになっていく。


泉の寝そべる金鵄の鳥の巣に、猛烈なスピードで齧歯類が突っ込んでいった。齧歯類はいつまで経っても出てこなくなった。

「そう言えばそうでしたね」


 金鵄が切り出した。


「当初の目的は何だったんですか?生態調査ですよね」


「生態調査といっても、そんなに難しいことはしませんよ。新種の発見です。サルでもできます。サルは新種見つけて喜んだりはしませんがね。」


「千宏、泉さんに付いて行ったら?」


「え?」


「ホントにぃ~?それは有難いなぁ…」


 一瞬だが、彼女は露骨に嫌な顔をした。慌てて隠したようだったがそれは全くの無駄だった。


 いつもの私なら向こうが拒否するまでも無く回避していたことだろう。だが、生物学の権威である泉の活動に立ち会える機会など二度と訪れない気がした。私の中で能動的になれるものは生物において他にない。


「泉さんが良ければ、よろしくお願いします」


 多少のドジっ子要素ならなんとか補ってやるつもりだった。手に負えない可能性も見え隠れしているが、この際そんなことはどうでも良い。私の待っていた世界がすぐそこに見えている。

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