秘め事

 今、私の周りには多くのモコモコが溢れている。私はそのモコモコの一部に跨って彼らと共に歩みを進めている。


名は「サイトウ」と言う。見ていてウザったらしくなる程の毛量を備えている。生命を感じさせるどころか少し不健康な面持ちですらあるのがサイトウの毛量だ。


この毛量に対して、頭や手足は完全に隠れてしまっている。傍から見ると毛そのものが地面を這いずり回っているようだ。見えないから中身がどうなっているか私には分からないが恐らく不健康な顔つきをしているに違いない。


「うふふ~、こいつもなかなかですねぇ~」


 泉は先程から一匹一匹の背中に顔を埋め、品評会を催している。各サイトウは毛の質感も色合いも若干異なっており、私達はカラフルな毛玉に囲まれて行進していた。


毛玉の行進は木もまばらな森を脇目に、川沿いをゆっくりと遡っていた。川から流れてくる軽い冷気が心地よかった。冬枯れを過ぎ、春が始まっている。梢には小さな葉が数枚揺れていた。サイトウの群れは静寂を乱さないように気を使っているように思えた。


何処かにある目的地に向かって歩を進めている。彼らは今、真剣で神妙な顔をしているだろう。


 金鵄とは別行動となった。「やりたいことが出来た」と早々に何処かへ行ってしまった。


「泉さん、今どういう状況ですか?」


「ん~??調査ですよ~調査~」


 薄々気づいてはいた。これは調査ではなく単なる散歩である、と。


「私のサボr…調査はだいたいこんな感じです。気持ち良s…適当な獣にまたがって探索ないしはフィールドワークです。千宏さんは嫌いですか?こういうの」


 嫌いな訳がない、寧ろ全身全霊を持って歓迎したい。でも、他人がいるとやりたいことが出来ない。


「嫌いではないです」


「この事がバレるのはあまり好ましくないので、内密にお願いしますよ。バラしたら許しませんからね、私。絶対に」


 声のトーンが真剣そのものだった。


「秘密は少ない方なんですけどね。私そもそも嘘つくの苦手だし…」


「そうなんですか」


「その点千宏さんは私とは違いますよね。会った時からしてたんですよ、そんな感覚!」


 何か含みのある意味かと思ったが、恐らく言葉通りの意味だろう。彼女に対しては何故だろう、そんな邪推は全く必要ない筈だった。


「人間関係が苦手なだけですよ」


 つられて明け透けな返事をしてしまった。彼女は足を前後に揺らしている。短い尻尾を振る小動物のようだった。


「真っ直ぐでいいと思います!」


 期待を裏切らない彼女の声は川面によく響いた。森を覗くと鹿のような生き物の影が、彼方に望む光を横切り駆けていった。


「秘密自体は嫌いじゃないですけど秘密を抱えてる人は苦手です!私の感覚で言えば抱えてるって言うよりは隠してる人の事なんですけどね。」


 私は黙って聞いていた。


「秘密なんてものは抱えたその時点から相手に知られていると思って当然です。一緒に居れば分かるじゃないですか?秘密抱えてそうな人って。


下手くそな人は抱え込んで大事にしまって置く人です。輪郭はもうバレてるんだから、包み隠さず見せるべきなんですよ!秘密があることをバラしてしまう事はダメなことなんですかね。


私はそうは思いません。ある事はもう分かってるんですよ。なら開き直るのが良いんです。秘密を隠したまま隠さないこと、つまり嘘をつくな!って事です」


 私はサイトウの毛を指に巻いて弄んでいた。


 巻いてる内に切れてしまう毛はサイトウの毛玉の奥深くに入れた。


「泉さんの考えは美しいです。ですが、抱えることが重要で、隠すことが罰になる人間も居るでしょうね」


 泉が私の顔を確認している。真っ直ぐ凝視され目を逸らしたくなったが、はっきりと視線が交わってからお互いに静止した。


 そして泉は何で、と思うほど大きな笑顔を見せ、暫く会っていなかった友人のように軽い口調で、


「それを見てるのが苦しいんです!」


と言った。


 相容れない。


 泉の「他」との在り方も一つの答えだった。私も彼女のように理解する才能があればその道を辿っていたのかも知れない。だが、私にとって人間とはそんな単純なものでは無い。


だから、隠すことを選んだ。彼女は幼い訳では無い。私たちの規範の下らなさに失望しているだけだ。隠すことによって全ては守られている。


自分の領域が失われることはあっても侵害されることは無いからだ。「他」は見ているだけで決して触れ合わない。だが彼女は違う。私たちが不可侵を信仰していることは紛れもない孤独だった。


「隠す」ことへのシンパシーが私たちを懇意に結びつけていた。


 泉は人間が抱え込んでいるものは全て表に出せと言っている。彼女には秘密の外側はうんざりする程見えているからだ。あるものをひた隠しガラガラと風化していく人間を幾つも見てきたのだろう。彼女にとっての隠匿は慟哭だった。


だが、他の人間はそうではない。表れるものは知覚されなければ景色に過ぎない。そして、何を言わずともそこにある秘密は人々を狼狽させてしまう。それが真実だ。


 話はここで終わった。泉がまた別の話を始めたからだ。私がどんな日々を過ごして来たのか根掘り葉掘り訪ね、そしてまた自分の話を始めるのだった。私は彼女の話にただ頷き、相槌を打っていればそれで良い。


彼女は驚くほど多弁だった。本当によく喋る。しかし、所々に不可解な点を残してはまた違う話題へ移るので、私は適当なところで頷きながら不可解な点について考えざるをえなかった。


彼女の思考回路は度々ぶっ飛んでおり、その度に私の思考回路もぶっ飛ぶことを要求された。けたたましく喋り当然のように異なる常識をぶつけられると全く訳が分からなくなる。


 サイトウの群れが突然足を止めた。私と泉は訝った。


「んー…迷ったんですかね?」


 泉の考えはどうやら間違っている。群れのサイトウ全てが一斉に足を止め、微動だにしない。判断に迷っているとかその類の話ではない。


徐ろに何かの登場を待っている、その気配が何たるかを見極めようとする確固とした意思だった。その注意は表れる物全てに向けられた。けたたましい静寂が私と泉を支配した。


「困るんですよ、ここに来られると」


 何の抑揚もなく、諭すような声色。静寂を毟りとった。私の背後、振り向けば確実に目の前にいる。私と泉は固まった。いつからそこに居たのか、群れが足を止めた時からもう私のすぐ後ろに居たのか。


「あなた方にとっても都合悪いでしょう」


 そう言うと徐ろに私達の眼前に姿を見せた。


 純黒の体毛、不釣り合いに長い手足、緋色の目を湛えた猿だった。

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