とある虫喰いAの一日

「キシャァァァァァァァァァァ」

「チキキキキキキキキキ」

「プワァァァァァァァァァァァン」

「総員撤退!!テッターーーーイ!」

「キシャァァァァァァァァァァ」

「チキキキキキキキキキ」

「プワァァァァァァァァァァァン」


「キシャァァァァァァァァァァ」

「チキキキキキキキキキ」

「プワァァァァァァァァァァァン」


「キシャァァァァァァァァァァ」

「チキキキキキキキキキ」

「プワァァァァァァァァァァァン」


「はーい皆さんお疲れ様でしたー。今日の業務は終了でーす」


「ういーす」

「お疲れ様でしたー」

「プワァァァァァァァァァァァン」


「プワくーん、今日のお仕事は終わりよー」


「えっ、マジ?早くね?」


「うん、終わりよ終わり」


「うげぇー!」


「最近あいつら元気ないのよねー。汚れてない奴沢山いるから、多分人手足りてないのよー」

「大変っすねーアイツらも」


 私の名前はチキと言います。虫喰いです。そうです。あの


「チキキキキキキキキキ」


 と鳴いていたあの虫喰いです。糸人の皆様は僕達に知性があることをお気づきでないご様子です。それもその筈。彼らの前では


「キシャァァァァァァァァァァ」

「チキキキキキキキキキ」

「プワァァァァァァァァァァァン」


しか喋らないので。私達も彼らと同じ言語を用いて会話しています。ので意思疎通は実はとても容易いのです。何故しないのかって?それは私達の考えることではありません。それはとても面倒くさいことですから。


糸人との合戦が一段落して巣へと帰還しました。大部分の虫喰いはくたびれており、体液を垂らしながらなんとか歩くものも居れば、1匹丸ごと呑み込んでやったと周りに言いふらす虫喰いも居ます。


 私は不覚にも足を一本ちょん切られました。私はマツムシの虫喰いなので、翅をやられなければどうということはありません。私の身体には似つかわしくない程に大きく透明で、不凍湖のような、この翅は私の宝物です。


 この翅だけは、傷つけられることは成りません。足の一本なら、日が明く頃には元通りでしょう。


「今日の成果はどうだい?チキの旦那」


 こいつはメメです。よく磨かれた甲殻が図々しく光る、ゲンゴロウの虫喰いです。


「今日もさっぱりだねぇ。あと一歩ってとこで逃げられる。てんでダメだ。」


 事実、ここ数回の私の成果はありません。


「へへ、オイラは腕一本掠めとって来ましたぜ。ほら」


 そう言って彼は、ほら、と腹を投げ出す。いつもの体型とさして変わらないような気もしますが、言われてみれば膨れているような…。


 彼は触覚同士を打ち鳴らして誇らしげにしています。私が大仰に褒めてみせると彼は益々有頂天になっていました。


 そして他の虫喰いにも吹聴して回るのです。そのまま疲れきってすぐに眠ってしまえば良いのですが、私はこのあと彼の武勇伝を延々と聞かされる運命にあります。


 なにせ彼は私のルームメイト、五匹一組の寝床に入る一人なのですから…


後ろから猛烈な羽音が響いてきました。いつ聴いてもこの音には慣れません。やがて私の横に来たかと思うと、


「チキィ!やっぱり生きてたな!」


 まぁデカい声で話し掛けてきます。こいつはブブ、キイロスズメバチです。体長は同じ様なものですが、身体に浮かび上がった雄々しい紋様が彼をよく表しています。


 いつも真っ先に糸人に突っ込んでいくのがブブです。その勇猛さには皆一目置いています。


「まーた坊主かよ。おいおいおいおいおい」


 何なんだこいつは…成果無しなんて毎度のことじゃないか。


「ブブ、もう止してくれ」


 最近は相手側も慎重で、なかなか獲物が引っかからないのです。


「俺ァな、毎回ピカピカの身体で帰ってくるお前が気になってしょうがねぇんだ。怠けてんじゃねえか?」


 馬鹿デカい羽音のせいか、ブブの声は太く、ずんと響いてきます。


「馬鹿言うな。お前が縄に引っかかってんの助けたの俺じゃねえか」


 そういうと彼は周りをチラッと見て、


「それは今関係ないじゃねえか!!」


 といきり立ちます。


「反論になってない。」


 私が諭すように言うと彼は一層羽音を鳴らして


「うるせぇ!!お前がジジを殺したんだぞ!!」


 と、吐き捨てて巣の方へと飛んでいきました。周りの虫喰いがゲラゲラカチャカチャと笑っています。ブブと私の掛け合いが最近名物と化している気がしてならない。彼と同じ部屋で寝なくてはいけないので余計にバツが悪い。一応彼もルームメイトですので…。


ジジは私のルームメイトでした。何の変哲もない、普通のコオロギです。彼は先ほど死にました。少しの不運が重なって、死にました。数人の糸人に囲まれ、押し潰されるようにして死ぬのを、私は遠目から見ていることしか出来ませんでした。


 あの時、私に何か出来ることがあったとすれば、それは彼と共に搾りカスとなることでしょうか。私はそうするべきだったのでしょうか。


巣に帰還した私達は、二つのグループに別れます。戦果が無く、坊主だった者は次の合戦に備え休息を取ります。戦果を挙げ、糸人の繊維を持ち帰ったものは「上納」を行います。


「上納」とは簡単に言えば、私達の敬愛する女神、「女王」に持ち帰った繊維を献上することです。


虫喰いが持ち帰った繊維というのは、虫喰い自身の体液によって溶かされ、保持されています。


その体液を取り出すべく「白蜜虫」と呼ばれる虫喰い(亜種?)が、虫喰いの身体に吸入針を突き刺し、余すこと無く「白蜜」を搾り取ります。


吸われる側の虫喰いは、この吸入針に「女王」の御姿をみて、オーガズムに陶然とするようです。女王の顕現は、この白蜜虫を介してのみ行われるのです。


坊主だった私、チキはそそくさと帰途に着きました。三角錐型の私達の暮らしている巣は、その外側を回廊として徐々にその半径を狭めながらやがて頂点へと繋がります。


私の雑魚寝部屋は少し歩けば到着します。下から数えた方が早い位置にある為、身分の低さがよく分かります。私を含め先の合戦に駆り出されたのは似たり寄ったりの下位グループです。


虫喰いの個体の強さは「出生」で決定してしまいます。糸人に簡単にやられてしまうような下位の虫喰いはいつまでも死の恐怖に怯え、かたや厄災規模の力を持つ虫喰いは生まれ落ちたその時には自らの強さを自覚しています。


上位の虫喰いが妬ましいと思いつつ私は床に入りました。そこには既に先客がいました。全身ライトグリーンで妙に長い体躯。円い部屋を一刀両断してようやく収まるサイズです。彼はショウリョウバッタのカカ。今日もいつものようにしょんみりしています。


「帰ったよ、カカ」


途端、その巨体が波打つ。


「!? あぁ…チキさんか」


 私の数倍はあろう体躯が青ざめた顔でこちらを見やる。彼は病的なまでのビビりなのです。


「ごめんよ、お休みのところ」


 ここまでの一連の流れがデジャヴュであることは自明です。


「だ大丈夫です、っふ」


 私は彼のことが嫌いではありませんでした。逐一の反応が変化に富んでおり、弄り欲を掻き立てるのです。


「帰りましたよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

「ん儀ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」

「あっ」


 部屋にブブとメメが帰ってきました。と、同時にカカが死にました。カカは口から黒とも茶とも似つかない謎の液体を出して果てました。


「ブブの旦那!だから言ったやないですか!!ワイが先に入るべきやって!」


 メメが戸口で喚き立てています。彼は根っからの清潔漢なのです。


「この木偶!何度このくだりやれば気が済むんだ!?おい!」


 メメは悔しそうにカカをゲシゲシと蹴り付けています。私はやにもたまらず、


「メメ、その辺にしてくれ、部屋が汚れる」


「うっ、こんな木偶、うっ、なんでこんな部屋、うっ」


 メメはパッと足を離し、目にも止まらぬ速さで後退しました。そして彼は咽び泣くのでした。


ピカピカの甲殻が虚しく光ります。


「起きろおい!」


「はうっ!?」


 ブブの唐突なモーニングコールは素晴らしい目覚めをカカに齎しました。カカは目覚めた自分と周りの状況を鑑みて瞬時に自分が何をすべきか悟りました。メメの嗚咽が止む頃には部屋は跡形もなく片付けられていました。


「ごめんなさい…メメさん」


 メメは憔悴しきった目でカカを見やり、カカの巨体に渾身の蹴りを入れて、やっと横になるのでした。


「皆さん!ただいまです!」


 チキ、ブブ、メメ、カカ。四匹は一斉に戸口を見ました。メメは首がねじ切れんばかりに振り返ります。


そこには、冬眠から今帰ってきたと言わんばかりの精力に満ちた虫喰いが居ました。身体の割に大きな腹部と強靭な後ろ足、そして愛嬌のある小さな顔。


コオロギのジジです。


「またカカ君のこと虐めてるんですか」


脈絡なくジジが言いました。


「俺が喋っただけでこのザマよ!どないしろっちゅうねん!!」


ブブが怒鳴り立てます。するとカカは、


「もう喋らないでください…」


「おっ!言ったな?よし分かった。たまにはお前らのことも労ってやらんとな。今日は覇道のブブ、武勇伝の第二十節までで手打ちじゃ。」


 カカの顔から生気が失われるのが見て取れました。


「ブブの旦那、俺にも喋らせてくだせぇ!メメの華々しい活躍、そして勲功、英傑奇譚や!」


 メメが調子よくそれに乗っかると、ジジは、目を輝かせて、


「マジですか!!」


 早く聞かせてくれ、と二匹に急かします。そうして二匹は調子づき、毎夜の終わらない宴が始まるのです。毎夜毎夜、これが繰り返されるのです。そうして私を含めた五匹はいつもの時間へと身を預けるのでした。




「ちょっと外見てくる」


 横になっていた私はすっと立ち上がり、戸口へと歩いて行きました。その脇では、ブブ、メメ、ジジの三匹がゲラゲラと武勇伝に興じています。するとジジが、


「いってらっしゃい!」


 と快活な声で送り出します。私は彼に微笑みかけ、部屋を後にしました。




巣から幾らか歩いたところには、小さな川が流れています。足で土を落とせば止まってしまいそうな、弱々しい川です。私はよくここに来ます。誰も知らない、私だけの川です。


「クソっ…」


 私は気がおかしくなりそうでした。今日の合戦で死んだジジが、私の目の前で潰されて死んだジジが、またいつもの五匹にいるのです。まるで彼が死んだことすら無かったことのように、そこはかとなく同じ空間にいるのです。


私は分かっていました。他の虫喰いと私が全く違うことを。彼らは一度死んだところで死んだことにはならないのです。一度死んだ彼らは、女王によって全く同じ生物として、また生まれてくるのです。


生まれ落ちた虫喰いは、他の虫喰いのことを知っています。それは記憶が引き継がれているからではありません。生まれ落ちたその時から、あらゆる情報が既にインプットされているからです。彼らは生まれ落ちたその日には虫喰いのコミュニティに組み込まれています。彼らが意思疎通を図る上で、何の支障も無いようにインプットされているのです。


 だから、先ほどのジジのように、いままで通りの五匹として稼働することが可能です。それらはジジが死んだという情報の上で、英雄奇譚やら武勇伝に興じているのです。


私は死ぬのが怖い。


私は私自身に死なれて欲しくないのです。今の私が死んだとして、次に生まれてくる私は私なのでしょうか。私は死んだことが無いので分かりません。寧ろ、他の虫喰いを見ている限り私が死んでしまっても何も変わらないのではないかとさえ思われます。


 ですが、私はそこに盲目的に身を投げるのは出来ませんでした。やはり私は怖いのです。


ジジの顔を一瞥した時、私は「いつもの彼だ」と感覚的に受け取りました。緩やかな円を描く目と雰囲気はジジそのものでした。


 しかし、「彼はさっき死んだじゃないか」と思い起こすと、謂れのない恐怖が去来し、私を支配するのです。さっき生まれたばかりのジジが平然と輪に加わって宴に興じる。私はやにもたまらず部屋を後にしました。


 部屋の全てが狂っている、あの時の私は気が触れていました。


小さな川は余りに細く、消え入りそうな程ですが、脈々と流れる川筋が止まることはありません。翅を広げ、鳴きました。寂しいものが沢山ありました。

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