羊毛との出会い

「ここの植生は独特だよね。大きな葉は不規則なようで規則性がある。ぶ厚い曇天みたいな葉の屋根がここらの地表をすっかり隠してる。きっと空からは何も見えないんじゃないかな。でもこっちからは狭間を縫ってそれなりに視界は開けてる。


 仮にここが戦場になったとしようか。戦術的にも戦略的にもここまで土地勘を活かせる地形は無いね。


 奴らは単純だから、姿を認めれば粘液垂らして追いかけてくる。ここらは天然の隘路が沢山あるから、罠も仕掛けやすい。僕らは人間猫じゃらしになって網にかかるのを待つだけ。それで一昼夜持たせられる。空から来る翅持ちには一方的な狙撃が出来る。


 さすがに旅団の本陣だけあってよく考えられてる。対虫喰いに関しては」


 何となく耳を傾けていた。漣のような声色は、少しの間現実にいることを忘れさせた。夢では無いことに気づくまで時間がかかった。


「ぁ…」


 声が掠れた。


「おはよう。…ついさっき言ったと思うんだけど覚えてない?」


「ごめんなさい、全く」


「まぁ、いいや。道で伸びてたから担いで運んでるんだけどまずかった?君も新入生でしょ?」


 どうやら乗ってきた球籠は不時着したらしい。

 道で伸びてた、という表現が少し気になった。間が悪いのか良かったのか…。


 この人も新入生なのか、と少し驚いた。背丈は私と変わらない筈だが同じ年には見えなかった。纏う空気感があさひさんに似ていた。そして私と同じ白い髪。似ているのは色だけで全く別物だった。生物の皺を思わせるそれは綿とは異なり重みがあった。彼は羊毛だった。


「私、遠くからぶん投げられて来たの。だから土地勘とか全く無くって…学校、間に合うのかな」


「そのつもりなら君を置いて走ってるだろうね。僕は元々遅れていくつもりだったから。」


 今更だが彼の背中におぶさりっぱなしになってるのが良くないことに気づいた。


「あの…もう降りた方が」


「うーん。それも良いけど、もう少し乗ってかない?この辺りの地形も飽きて来たし。そろそろ学校戻ろうか」


 そう言って彼は嘆息を洩らし、俯いた。終始退屈そうな様子だった。人差し指で髪を弄ぶ姿はどこか浮世離れしていた。


「あのおかしな籠よりは快適だと思うからさ。危ないからしっかり固定しよう。」


 不意に自分の身体にプスプスプスプスと繊維が入り込んできた。


「ヒッ」

「あっごめん」


 キッと彼を睨んだ。作為的な笑顔がこちらに向けられる。無性に腹が立ったのでやり返すことにした。自分の頭からカブトムシよろしく大きな針を用意、ぐねぐね曲がるそれは悪くない殺傷力だ。そこそこの速さで彼の脳天に突き刺した。


「痛たたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた」


 怯えきった顔がこちらに向けられる。作為的な笑顔で返した。


「えっ嘘でしょ?君そういうタイプだった??マジかょ…おっかしいなぁ」


 本当に困惑してるようだった。余程自分の目に自信があったんだろう。


「分かりづらい奴だとは言われるけど」


「誰かに一生モノの深い傷を負わせたりしなかった?主に心と身体に」


「人体の急所は心得てる。経験的に」


「そっかぁ…」


 彼は幾分落ち着きを取り戻していたが、まだ幾らかの動揺が見られた。私はまたいつも通りの自分に戻った。


「あ!そういえば」

 思い出したように彼は言った。

「名前聞いてなかったね。」


 名前を簡単に教える習慣が無いので少しフリーズしたが教えることにした。


「千宏」


「よろしく、千宏」


 彼に名前を呼ばれるのは少し心が振れた。漣のような声はよく耳に残る。


金鵄きんとびです。」


「キントビ?」


 不思議な名前だ。確かそんな名前の神様がいたような気がする。はっきりとは思い出せないが。


「さて、行こうか。」


 彼の移動は恐ろしく速かった。それは雷のように一切の無駄がなかった。前に飛ばされる繊維は私の目では追えないほど遠くにあり、繊維を巻き取っている間に次の繊維を飛ばし巻き取りを開始するので、空中で身体が遊ぶことが無かった。


 吹き付ける冷気の轟音。彼の声は少し聞き取りづらかった。


「乗り心地は如何?」


「…まぁまぁ」


「それは結構」


 また更に速くなった気がした。


 私への如才無い配慮も忘れなかった。猛スピードで迫ってくる障害物をある時は電光石火で避け、ある時は破壊してバラバラにし、ある時は私の口元にプレゼントした。


「初めて見た。こんな風に動く人。」


「うちの一族は俺達に色々と仕込むんだ。『我らは選ばれた』ってね。俺はそんな事全く思わないけど、連中はそのことをどっか歯牙にかけてる。余裕が無くって、疲れちゃうよ。」


 これが人種の違いか…やれと言われても一生出来る気がしないけど、こんな風に森を駆け回れたら、どれだけ気持ち良いだろう。


 突然、金鵄は一本の樹に向かって、何本もの繊維を巻き付けた。それらの繊維は恐ろしい力で巨大な幹を締め上げる。内側の固い部分がうめく嫌な音がした。


 やがて、雷神のスピードは嘘みたいに殺され、一瞬で静寂に溶け込んだ。空中に浮いた身体を、彼の繊維だけで支え樹に近づいていく。梢の先に腰を落ち着けた彼は、漆黒の瞳を森の一点に注ぎ込んだ。


「なんでこんな所に…」


 彼の視線の先に、ユラユラ揺れる情けない光があった。「何だ、ただの焚火じゃないか。」と思った矢先、その炎はノソノソと動き始めた。


「えっ、動くの」


「あれは生きているんだ。僕達と同じ様に。でも生きているというには余りに卑屈で、退廃的だ。」


 情けない炎は歩くのも覚束無い様子だった。四足歩行のその生き物は、前足、前足、後ろ足、後ろ足、と来て、前足、後ろ足、後ろ足、前足と、とてもぎこち無い。村の誰かが、猫が生まれたといってよく私に自慢して見せていた。あの姿とよく重なる。


「千宏、良いかい。これは見た目よりヤバい事が起きてるんだ。今出来ることは何も無い。これは僕の手に追えるような状況じゃないんだ。僕は葉狗田に行く。行ってこの事を伝えなくてはいけない。一刻の猶予だって無い。


 君の仕事は2つ、あの生物を見失わないこと。そして旅団に位置を告げる烽火になること」


「待って、あの生物は何なの」


「神様だよ。決して触れてはいけない。あぁ、触れていけないのは比喩じゃないから」


「これは君と僕にしか出来ないことなんだ。任せたよ」


 行ってしまった。彼は余りにも速すぎる。金鵄の言ってることは理解出来たが、まだ幾らかの時間が欲しい。


 トテトテと歩くこの生物が…神様?


 ⿻


「また巻き込んでしまった…あぁ、本当にごめん」

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