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 ここまで夢で見た通りのことが本当に起きている。1月2日に俺が見た夢が、すべて本当のものになろうとしている。


 いや、すべて同じじゃない。夢と違うところが一箇所。あのオンボロ寺での出来事だ。夢の中では、針を奪い取ろうとしたところで、村長じいさんに羽交い締めにされ、村の奴らが集まってきたのを確認し、一目散に逃げ帰るはずだった。


 


確か、村長じいさんは、昔話の先生だと言っていっけ。風に吹かれた飛んでいってしまいそうなくらいヒョロヒョロで、俺でも倒せそうだと思った。


 しかし、俺は投げ飛ばされた。


 不思議だったのは、あれだけ勢い良く投げ飛ばされたのに、痛みをそれほど感じなかったことだ。学校の雲梯で、うっかり手を滑らして背中から落ちたことがあるが、もしかしたらその時のほうが痛かったかもしれない。そのおかげで、すぐに立ち上がって逃げることができたのだが。


 いったい何者なんだ?本当に昔話の先生なのか?


 今はそんなことを考えている場合じゃない。夢のとおりに針を手に入れることさえできればそれでいいんだ。多少夢と違っていてもきっと問題ない。あの針さえ、あの針さえ手に入れることができれば、お母さんは助かる。


勉強机に内蔵されたデジタル時計に目をやる。時刻は22時を少し回ったところだ。


 焦ってはいけない。今夜、みんなが寝静まる時間。そのタイミングで行けばいい。そうすれば、針を手に入れることができる。


 お母さん、もう少しの辛抱だからね。俺が、病気を治して、元気にしてあげるからね。


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「お風呂ありがとうございました♪」


 台所仕事をしている村長さんの奥さんに、私はお礼を言った。


「どういたしまして。小さいお風呂だから、窮屈じゃなかったかい?」


私は首を横に振って答える。


「剣道の遠征先じゃ、シャワーしか使えないところもあるから、暖かいお湯につかれるだけで幸せです♪しかも、着替えまで用意してもらっちゃって。」


 ちょっぴり丈の長い上下グレーのスゥエットの寝間着。村長さんの高校生の孫娘さんが遊びに来た際にいつも着ていたものらしい。


「あの子も高校生になってからは、すっかり遊びに来なくなっちゃってね。もう捨てようかなと思ってたけど、残しておいてよかったわ。」


 きっと、私とお孫さんを重ねているのであろう。私を見つめる温かい眼差しが、まるで自身のお婆ちゃんと話しているかのような気分にさせる。


「それにしても、基兄。まだ、村長さん達と話してるんです?」


まだしっとりと濡れた髪を、私はバスタオルで包み両手で優しくポンポンと叩き水分を取っていく。


「そうみたいねぇ。近所の人達を呼んできた時はどんちゃん騒ぎでもするのかと思ったら、お酒も飲まないで一体何を話しているのかしらねぇ。」


 奥さんはとても不思議そうな顔をしているのだが、私には、確認などしに行かなくても、手に取るように分かる。十中八九、昔話のことであろう。


 基兄は、文字に起こされ市販された昔話というのは、本質的には本物とは呼べないと常々言っている。標準語にリライトされ、過激な表現は教育上よくないという理由で、大多数のものは消去されるか、置き換えられてしまうケースが多いからだ。親から子へ、子から孫へという口伝の観点から見たら、それは大きな過ちなのだという。その土地で住む人が使う言葉やイントネーション、なによりも、それを語る語り部の感情、そういったすべてのものが揃ったものこそが本物の昔話なのだという。


 今頃、メモを取りながら、一字一句逃すまいとスマホの録音機能等をフル活用して、聞きいっていることであろう。


「それにしても、こんな山奥のちっぽけな村に、よういらっしゃったな。」


明日の朝食の準備でもしているのであろうか、奥さんは、冷蔵庫から何かを取り出すと、ガスコンロの上に置かれた鍋へ注ぎ入れて、火にかける。


「昔話に関する話があったらどこにでも出かけますからね。それこそ、離島だって飛んでいっちゃいますよ。あの人は。」


「いやいや。巫月みつきちゃんのことだよ。」


「ほえ?わたし?」


 晩御飯のお手伝いをしている間、奥さんに「お嬢さん、お嬢さん」と何度も呼ばれた。そういうことが苦手な私は「他人行儀っぽくてしっくりこないから、巫月って呼んでください。」とお願いしたのであった。


「剣道の体力づくりって言ってたけど、本当にそれだけが理由だったのかしら?」


 火を止め、コンロから鍋を下ろすと、食器棚から取り出したコップへその中身を注ぎ入れていく。少し温めすぎたのだろうか。冷蔵庫から先程と同じものを取り出し、コップの中へ少しだけ注ぎ入れ、それを、椅子に腰掛け髪を乾かしていた私の前へと置いた。ゆらゆらと湯気を上げる白い液体のそれは、どうやらホットミルクのようだ。


「それ以外?ないですよ。基兄が仕事をしている間に、排気ガスとかで汚れてない空気を吸いながらランニングして、田舎の自然の風景で目の保養するつもりでしたもん。山登りになることがわかってたら、もう少し靴とか服装とか考えてきたんですけどね。」


「はいはい、そういうことにしておいてあげるよ。」


 対面のテーブルの椅子に座ると、奥さんは自分の湯呑みに急須からお茶を注ぎ入れ、お煎餅をパリポリと食べ始めた。


 あらかた髪を乾かし終えた私は、「いただきます」といって、コップを手に取る。表面に薄っすらと膜を張らせ、湯気を立ち上らせるホットミルクを「フゥフゥ」と冷まし飲んでいく。


「!? なにこれ、すごく美味しい。」


その反応があまりにも嬉しかったのであろう。「そうだろう。そうだろう」と奥さんは言う。


「その牛乳は、隣で酪農家やってるみっちゃんのところで、今朝絞って、すぐに殺菌したものだからね。街の牛乳とは鮮度がちがうよ。」


 稽古の後、プロテインの代わりとして、それなりに良い牛乳を飲んでいたつもりであったが、まったく比べ物にならない。まるで、とても濃厚なバニラアイスを食べているかのような、鼻を抜ける甘い香りと舌の上に広がるコク。こんな美味しい牛乳を飲んでしまったら、明日から、この牛乳と味を比べてしまって、それなりに美味しいものでも物足りなくなってしまうのではないだろうか。それくらい、罪深い牛乳だとおもう。


「それにしても、本当にあの人達いつまで喋ってるのかね?そろそろ日が変わるよ。」


 二度と飲めないかもしれないと思い、おいしい牛乳を堪能している私は、コップを持つ手そのままに、上目遣いで壁にかかる時計へと目をやる。長針と短針が、頂点で合流しようとしているところだ。基兄には悪いが、先に布団の中に入って休ませて貰おう。


「ごちそうさまでした」と、過ごし名残惜しくもあるがホットミルクを飲み干し、用意して貰った二階の部屋へ上がるため階段の方へ歩いていくと、なにやら座敷の方から聞こえる声が、今までのそれと明らかに変わったのがわかった。


「なにかあったのかな?」


「どちらかのお宅で、誰か倒れでもしたかしらね?年寄りばかりだから、たまにあるんだけど」


 奥さんが腰掛けていた椅子から立ち上がるのが早いか、居間と台所を繋ぐ扉が勢いよく開き、血相を変えた村長さんが現れた。


「た、大変だ!!裕太がいなくなった!!」


一瞬、どういうことかと、二人して思考停止してしまったが、どうやらそれを理解したの奥さんのほうが早かったようだ。


「い、いなくなったって、どういうことだい!?あんた!」


「そんなこと、わかんねぇよ!裕太の父親から、今、電話があって、仕事から家帰ってきたらどこにもいねぇって!!」


 慌てふためく村長さんの奥から、相変わらず飄々とした様子で基兄が姿を表した。


「集まっていただいていた皆さんは、今、手分けして捜索に行かれました。」


「あぁ……先生……ほんと申し訳ない……裕太のせいで、色々変なことに巻き込んでしまって……」


 基兄は首を横に振り答える。


「そんなことありません。それに、裕太君の居場所はだいたい想像がつきますから、我々も行きましょう。」


「「「え?」」」


 その場にいた全員が、その言葉に、まったく同じ反応を示した。


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 オンボロ寺に続く道も、やっと半分ぐらいまで来た。


 村のやつらにバレないよう、スマートフォンの簡易照明だけを頼りに歩いてきているとはいえ、思っている以上にペースが遅い。


 ここらへんは、街灯など皆無に等しいから、頼りになるのは月明かりだけだというのに、雲に隠れてその形すら見ることができない。


 そろそろ父ちゃんが帰ってくる時間。村の奴らが騒ぎ出す頃だ。夢の中では、それまでに針を手に入れて下山するところだった。


 夢のとおりに行っていたはずなのに。あの先生がやってくるまでは夢で見ていたとおりだったのに。やっぱり、あの話は迷信だったのか?そんなはずはない、今まで夢の中で、何日も何日も過ごしたことなんて一度もなかった。しかもそれが最近になって正夢になることなんて今の今までなかった。これは迷信なんかじゃないんだ。


 村が一望できる場所に出た。


 崖下を見ると、家の明かりとは別に、畑や田圃に隣接する畦道などのある辺りに、幾つもの小さな明かりがあちらこちらに見える。どうやら居なくなったことがバレたようだ。


 寺へと続く一本道の方角へ目をやると、こちらに向かって数台の車のものと思える明かりが近づいてきているのが確認できた。


「ちっ!」


 あれだけ騒いでいたんだ。俺が行きそうな場所など、爺さんたちの頭でも簡単に気づくとは思っていたが、想像以上に早い。


 こんなところで捕まるわけには行かない。


 リュックの中から懐中電灯を取り出し点灯させ、俺は残りの道を駆け足で登り始めた。

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