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「はい。これでおしまい。」
基兄が痛めていたのは右手の爪だけではなく、手首もだった。利き手で不便だとは思うが、湿布を貼り、テーピングで簡易的に保定をし、包帯を巻いて終了。村長さんからお借りした消毒液や包帯などを私は救急箱へとしまっていく。
「驚きました。上手ですね、巫月さん。」
私が施した応急処置をしげしげと眺めながら基兄が言った。
「ああ見えて、県道って、意外と突き指とか手首を痛めたりすることがあるからね。自分や周りが怪我したときに、応急処置できると何かと良いことがあってね。」
怪我をしないことが一番なのだが、不慮の事故というものはどんなことにも付きものなので、備えあってなんとかというやつである。
「先生、すいません……裕太のせいで、こんなことになってしまって……」
私が処置をしている間、その様子を心配そうに見守っていた村長さん。いまは、畳に額を擦り付けるかのような勢いで土下座姿になっている。
「 村長さん、そんなことしないでください。こちらこそご迷惑をかけているのですから、どうか顔を上げてください。これは自業自得ですから、悪いのは僕ですから」
おそらく、これが漫画だったら、焦っていることを表す為に頭の上に飛んでいくマークが書かれていることは間違いないであろう。
しかし、不思議である。いくらフィールドワークを行っているとはいえ、所詮中身は単なる昔話オタクな人である。いくら相手が小学校低学年くらいの少年だったとはいえ、空中で20kg以上はあろう物体の襟元を、それも右手一本で掴み上げ、勢いそのまま背負投の要領で地面に向かって叩きつけるなんて芸当が、まぐれだったとしてもできるのだろうか?
あれこれしばらく考えてみたが、いますぐ解決しなければいけない事ではない。また、家に戻ってからゆっくり考えればいい。と思い、
「さっきの続きなんだけど。『夢見小僧』って、一体全体どんなお話なの?」
と、私は途中で尻切れトンボになっていた昔話の中身に付いて聞くことにした。丁度、村長さんの奥さんがお茶と羊羹を持って来てくれたところで、基兄は、痛めていない左手で湯呑みを受け取り、一口お茶を飲むと私の問いに答えた。
「夢見小僧というお話を、一人の小僧が主人公の物語です。庄屋の主人だったり、お寺の和尚だったりと、話の導入部の人物は違うのですが、話の本筋は同じです。それらの人物が、小僧に、『一月二日の夜に、ありがたい御札を枕の下に入れて眠ると、とてもよい初夢を見ることができる。ただし、それを誰かに言ってはいけない。そうしていれば良いことが起きる』というおまじないを、話すところから始まります。」
「一鷹、二富士、三茄子。みたいなこと?」
「そういう類のものではありません。ごくごく普通に見る夢のことです。さて、その小僧。どうやらおまじないの効果があったようで、とても良い夢を見ることができました。ところが、そのおまじないを教えた人物達は、どうしてもその夢のことが知りたくて堪らなくなります。」
「でも、教えちゃいけないんでしょ?」
基兄は、さらに一口お茶を飲み、話を続ける。
「そうですね。その後に出て来る登場人物達も、夢のことを話せと言い続けます。しかし、何をされても小僧は話すことなかった。結果、夢で見たことが現実になり幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。というような物語です」
「それじゃ、あの子が必死になっている針はどう関係があるの?」
私のこの疑問には村長さんが答える。
「その小僧さんなんですがね、あまりにも喋らないものですから、縛り上げられてしまいます。それでも、喋らないものですから、棺に入れられ、しまいには川に流されてしまうのです。」
「うえぇ!?あんた達が喋るなって言うから、喋らないでいるのに、それってちょっと酷くないですか!?」
私は「あっ……」っと口元に手をやり、顔を赤らめる。目の前にいる村長さんが、目を丸くして、身を仰け反らせて驚く姿が見えたからだ。あまりにも理不尽な展開であったため、思わず大きな声を出してしまったことに恥ずかしさを覚える。
「まぁ、昔話ではよくあることですね。」と、基兄は肩をすくめ苦笑いをし、話しを続ける。
「流されてしまった小僧は、鬼ヶ島へと流れ着いていきます。そこで、鬼に、『どうしてここへ来たんだ?』と聞かれるので、小僧は事の顛末を話していきます。」
その鬼ヶ島は、あの桃太郎が行った鬼ヶ島と一緒なのだろうか?と、一瞬考えてしまったが、冷静に考えてみて、目の前に突然鬼が現れたら、普通、恐怖で話すこともできなくなりそうなものなのだが、事の顛末を鬼に話せる小僧さんのメンタルの強さに只々感心するばかりである。
「しかし、ここでも小僧は夢の内容のことを話そうとはしませんでした。そこで、鬼は、『その初夢を教えてくれたら、鬼の宝をやろう』と提案をもちかけてきます。」
ピンと来た私は、『ポンッ』と一つ手を打つ。
「なるほど。つまり、その宝というのが、あの二本の針ってことか」
基兄は合掌をして、お茶と一緒に出された羊羹に楊枝を入れているところであった。小さく切り分け一口大にしたそれを口の中へと運ぶと、ひと噛みふた噛みして飲み込むと、話を続ける、
「そういうことです。短い針で一刺しすると、どんなに元気な人でも、鬼でも即座に息絶えてしまう。長い針で一刺しすると、墓場に入っていた人でもまたたく間に蘇る。という、生死を操ることができるお宝です。」
な…なんて非科学的な針だろう。しかし、それが本当なら、あの少年がその針を欲しがる理由は簡単だ。
「つまり、お母さんを助けるために、あの子は針を奪いに来たと」
「おそらくそうでしょうね。」
基兄は残りの羊羹を食べ始める。
「裕太には、何度も何度も言っているのですけどね。昔話は所詮昔話、あんなものは迷信だって……」
おそらく、今日みたいなことがこれまでにも何度かあったのであろう、村長さんは、がっくりうなだれ首を横に振る。その横で、羊羹をすべて食べ終え「ごちそうさま」と再度手を合わせた基兄は、お茶を一口二口飲み、ひとつ咳払いをすると、
「しかし、躊躇なくあの子が針を使うことができるかどうかは、甚だ疑問ではありますけどね。」
などと、不思議な事を言い出した。「どうして?」と、私は首をかしげ尋ねる。
「夢見小僧の中では、実際にその針の効果が実証されている記述があります。
「だったら、なおさら使うに決まってるんじゃない?お母さんは末期癌なんでしょ?短針で癌細胞も殺しちゃえば良いんじゃない?」
「先程も言ったように、癌が完治した状態で母親を蘇らせるには、短針で母親を一刺しする必要性があるわけです。つまり、少年は自身の手で、実の母親を殺さなくてはいけないわけです。長針は死人にしか使えないわけですから、殺してからじゃないと、本当に蘇るかどうかはわからない。そんな一世一代の賭け、あの少年に果たしてできるでしょうか?」
「だったら、短針を使わないで、お母さんが自然死を迎えた後に、長針で蘇るか試せばいいんじゃない?」
「それですと、癌細胞は滅していない状態で蘇る可能性もでてくるわけです。せっかく蘇ったのに、再びもがき苦しむ母親の姿を見て、少年はどう思うでしょうか?もちろん、長針に病の元凶を完治させる能力があるかもしれませんが、どちらにしろ、少年にとってはかなり分の悪い賭けになることには変わりありませんね。」
ここまで説明されて、やっと事の重大さについて理解することができた。
もし、短針で本当に息の根を止める事ができたとしても、長針で蘇ることができるかは、そこで初めてわかる。もしかしたら、蘇らないかもしれない。もちろん、事前に他の小動物で試すことはできるかもしれないが、人間にも効果があるかどうかはこの時点では保証がないわけだ。
少年のために、自らの命を差し出すような寛大な人物がいたとしてもだ、蘇らせることができなかったら、少年は殺人を犯すことになる。
つまり、人間に試すのは、ほぼ一発勝負。
短針を使って死を与えないと、蘇ったときに再び病に苛まれる可能性がある。それを回避するため、自らの手で母親を殺してしまうかもしれないという、プレッシャーと対峙するも、自分の思った通りの結果になる確率はたったの25%……
「先生。今日はもう日が暮れます。このあたりは街灯もないので、村の人間でも峠越えをすると事故を起こすことも少なくありません。もし、明日のご予定がないようでしたら、今晩は、我が家にお泊りください。」
時計に目をやると、丁度17時を回ったところであった。村長さんの提案に基兄は腕を組み「うーん」と、しばし長考にはいると、
「巫月さん、どういたしましょう?」
帰路が危ない道なのはここに来るまでにわかっている。万が一の事が起きた際、利き手を負傷した運転手が、咄嗟のハンドル操作ができるか疑問は残る。
「明日は特に用事があるわけでもないし、親には基兄が負傷したから、明るくなってから帰るから、今晩は泊まっていく。って言っておけば納得すると思うけど。」
なぜかこの人が一緒だと私の親は対応が甘くなる。小さい頃から面倒を見てくれていたことも関係しているのだとは思うが、大概のことはOKという事が多い。歳の離れた実の兄妹だとでも思っているのであろう。
「では、そういうことですので、村長さん、今晩はお世話になります。」
村長さんの前で、基兄は三つ指ついて深々と頭を下げる。それを見るやいなや、手を一つ「パンッ」と打ち鳴らすと、
「では、早速お部屋を用意いたしましょう。」
と、言って、奥の部屋へとかけていった。それを見送った後、私は夢見小僧に関する一つの疑問を基兄に質問する。
「ちなみに、その小僧さんは、鬼の島からどうやって脱出したの?」
この質問に対しては、先程まで険しい顔つきだった基兄も「フフッ」と笑みをこぼして答える。
「小僧は二本の針を持って、「こんなものと交換じゃ、夢を教えるわけにはいかない」と。そうしたところ、鬼達は別の宝物を持ってきました。「二千里走れ」と叫べば二千里走る車と、「一千里走れ」と叫ぶと一千里走る車です。小僧は「本物かわからない」といって、二千里走る車に乗って叫び逃げていきます。逃げられたことに気づいた鬼は後を追うように一千里走る車に乗りますが、追いつくことなど到底できません。小僧はこうやって逃げ帰ったわけです。」
私は心の中で思った。「鬼って……とんでもない天才か、どうしようもないバカしかいないのか……」と
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