第2章 夢見小僧 -1-



【一月二日の晩に、枕の下にありがたい御札を入れて眠ると、良い初夢を見ることができるの。ただし、その初夢のことは誰にも喋ってはだめ。ちゃんと約束を守っていると、きっと、良いことが起きるからね】




 ──────────────────────


「もぉ! 遅いよ! 早く早く!」


 つづら折りの上り坂の頂点。少し開けた道の端に設置された柵から身を乗り出すと、眼下に見える人物に向かって私は叫んだ。


 その人物は、自身が愛用しているフィールドワーク用のリュックサックを背負い、胸の前には女性物のボディバッグを身につけ、腰のベルトには、左右一つずつ、フックに吊らされたペットボトルがゆらゆらと揺らしている。登山用のストックを両の手に持ち、一歩一歩それで足元を確かめるようにして登っているのが見えた。


 私の声に気づいたらしく、息も絶え絶えの状態で見上げると、崖上にいる私に向かって、


「私の歩みが遅いと言われるのでしたら……巫月さん……自分の荷物は、自分で持ったらどうでしょうか……」


 と、その人物はじめにいは言うと、私のボディバッグのショルダー部分を握って、これこれ、と、アピールしているのが見える。


 今、私達は、とある山里のちょっとした小山の中ほどにある禅宗のお寺へと向かって歩いている。なんでもそのお寺は、何年も前から管理する住職のいない『無住寺院』となってしまっているお寺なのだそうだ。当初の予定では、車でそこまで行く予定であったのだが、道を尋ね聞いた麓に住む住人の方曰く、一応、道路っぽいものは存在するらしいのだが、アスファルトは剥がれ、ガードレールは錆びて朽ちはて、あろうことか、谷側に傾きその機能を果たしてないのだという。


「車で行って、パンクなどして立ち往生した日には、誰も助けに行くことはできないけど、それでも行きますかね?」


 と、更に追い打ちを掛けられては、さすがに車で向かう度胸などない。村の人も、なにかの用事でそのお寺に向かう際は、徒歩で登っているということなので、私達も歩いてそのお寺に向かうことにしたのだが。


「レディーファストですよぉ〜♪」と、とびっきりの乙女声で、か弱い女子を演じる返事を返す私。


「こういうときだけ……か弱い乙女を演じるのは……反則では、ないでしょうか……」


 その道のりは、私達が想像していた以上に険しいものであった。まず、傾斜角が30度を軽く超えているところ多数あること。さらに、道という道すべてが陥没し、ひび割れ、路肩の草木は伸び放題。地面のむき出した箇所に降り積もった枯れ葉は、腐葉土化し、そこに雨水が溜まったのか、天然の落とし穴のようなものが形成されている。木の陰となり日が当たらない箇所は、濡れて所々苔むし、気をつけていないと足を滑られ谷底へ転がり落ちていってしまいそうである。


話には聞いたことがあるが、これがきっと、世にいうと言うものなのであろう。いや、酷道は車が行き来できる分、もっとマシなのかもしれない。


 さて、それでは、どうして私達がこのようなところにいるのか? と申しますと、一重に、今、ヘロヘロになりながら登ってくる基兄が原因なのである。小さい頃から日本の昔話に異常なまでに興味を示し、親戚中からと言われるくらい昔話に目がない人物であった基兄。今では逆にそれが功を奏して、大学で教鞭をとり、民俗学などを教える講師をし、連休ともなれば研究と称してフィールドワークに出かけ、日本全国色々なところに飛び周り昔話を収集している。


 そんな基兄の元に、この村の村長さんから一通の封書が届いたのだ。なんでも、限界集落化してしまっているこの村は、近い将来、誰も住む人のいない廃村状態になる可能性がでてきているのだという。そこで、村に残る歴史的価値のありそうなものを専門家の方々に見て頂き、後世に残せそうなものや、研究資料になりそうなものがあれば提供したい。と、言うようなことが書かれていたのだという。


「剣道の試合が近いから……体力づくりのために、ついていきたい……と、言ったのは、誰ですか……」


 曲道の頂点頂点で、崖下にいる基兄の安否を確認するのだが、さっきからブツブツ文句ばかりで言っているようなので、


「そんなこといったら、フィールドワークしてるくせに、体力なさすぎるんじゃないですか〜?」


 と、嫌味を言って、私は先へと進んでいった。


 ── ジャリッ ──


 少し道幅が広まった辺りで足元の感覚が変わった。地面に降り積もった枯れ葉を足で退かしてみると、その下から濡れて湿った玉砂利が姿を表した。目を凝らして見てみると、倒壊した灯籠のようなものの先に、遠目から見ても、手入れがされていないのが一目瞭然なお堂が見える。どうやら目的のお寺の敷地についたようだ。


 辺りを探索するかのように進んでいくと、かなり立派な大木の麓に、かなり破損の激しい小さいお堂のようなものがあることに気づいた。近づいて見てみると、格子状の扉の先に、高さ50cmくらいの苔生した石像が立っているのがわかった。腰を下ろし、注意深く見てみると、長い年月の雨風による風化なのであろう、台座の飾りや背後にある飾りは大きなヒビが入ってしまい、あちこちボロボロと欠け崩れてしまっている。


無宗教の私だが、とりあえずこれがお地蔵さんではないことだけはわかった。なぜなら、根本からボキリと折れてしまっているのだが、どうやら右手に何かを握っていた形跡も見られるからである。


「これは……かなり破損してしまっていますが、お不動さんですかね。」


 「うひゃぁ!!」 と、悲鳴にも似た声を上げ、私は飛び上がるように立ち上がり振り返えると、いつの間にか追いついていた基兄が両腕を組んで立っていた。


「お、お不動さんって、なに!?」


驚き上ずった声で尋ねる私に、基兄は腰に身に着けていたペットボトルホルダーを取り外し、私が飲みかけにしていたお茶を手渡してきた。


「不動明王のことですよ。厄難除災にご利益があるといわれていますので、悩み事などを取り除いてくれるといわれています。折れてしまっていますが、右手には剣が握られているはずで、一般的には大日如来が、悪を滅する時に見せる別の姿だとされていますね。」


ペットボトルのキャップを開け、一口、二口とお茶で喉を潤すと「へ、へぇ〜……」と返事を返した。単なる昔話オタクだと思っていたのだが、こういうことにも精通しているとは思わなかった。


「すべての悪を調伏ちょうぶくする神であることから、武人はその力に肖りたいとして、敬愛する方は多くいるそうですね。」


 なんと!? そんなご利益のある神様だったとは……残念なことに剣は折れてしまっているが、きっとこれも何かの縁であろうと、私は、次の試合で良い成績が得られるようにと、手を合わせた。


「岡田さん。お待ちしておりました。」


 今度は、知らないしゃがれた男性の声が背後から聞こえてきた。振り返ると、年の頃なら、60代後半の中肉中背の人物が立っている。


「これは、村長さん。おまたせして申し訳ありませんでした。」


基兄は、村長と呼ぶその男性の元へと歩いていく。


「こちらこそ、変なお願いをしてしまって申し訳ない。」


 握手を求めにいった基兄の右手を見て、その男性は、自身の右手をズボンの裾でゴシゴシと拭くと握手を交わしたかと思えば、何ともいえない、シュールな光景が目の前で繰り返されている。


その村長さんと言う方は、かなりの低姿勢な性格なのであろう、何を隠そう基兄もかなりの低姿勢な性分なのである。その証拠に、二人共握手を交わしたまま、ずっと際限なくペコペコヘコヘコし続けている。まるで、ゼンマイが切れるまで同じ動作を繰り返すブリキ人形のように。


「オホン! 基お兄様? わたくし、なにがどうなってるかさっぱりわかりませんので、説明していただけますか?」


 そこでやっと我に返る基兄と村長さん。どうやら、二人共握手をし続けていたことにも気づいたらしく、「「すいません」」と言って、サッっと手を離した。


「巫月さん。すみません。こちら、この村に来るきっかけのお手紙を頂いた村長さんの田所さんです。」


 紹介された村長さんは、私の方を向くと、学校のマナー講習のお手本を見ているかのような腰から斜め45度のお辞儀をすると、


「はじめまして。村長の田所です。わざわざこんな田舎までご足労頂きましてありがとうございます。」


 と言った。私も「はじめまして」と言って、自己紹介をしようとすると、


「それにしても、先生もお人が悪い。こんな若くて可愛らしい奥様が一緒にいらっしゃっているだなんて。先に言っていただければ、麓の駐在所でお茶でも頂いてお待ちいただけるように手配しましたのに。」


「ち! ちがいます!! お! 奥様なんかじゃありません!!」


私は、全力で否定をする。どういうわけであろう、全身の液体という液体が瞬間湯沸かし器にかけられたのではないかと錯覚してしまうくらい、全身の体温が上昇していることがわかる。


「そうですよ、村長さん。彼女は伴侶なんていいものではありませんよ。学業の面倒を見ている単なる親戚の子です。近く、剣道の試合があるそうなので、その体力作りの一貫のために付いてきただけですから。」


 「そう! そう!」と、顔を真っ赤にして私は頷く。おそらく、”顔から火が出る”という言葉の意味を、生まれて初めて身をもって体験しているかもしれない。


「あれ!? そうでしたか! 私はてっきり奥様とばかり。しかし、こんな可愛いご親戚のお嬢さんがいらっしゃるなんて羨ましいですな。都会の女性はスタイルが良くて、美人さんが多いとは聞きますが、いや〜、本当に可愛いお嬢さんで。」


「わ、わ、私のことはいいですから!! 早く本題に入ってください!!」


 言われ慣れていないため、「可愛い」という言葉に免疫がないため、これ以上連呼されると、それこそ体中の血液が沸騰しかねない。


「どうしたのですか?なにやら先程から照れていらっしゃいますが、いつもはご自身で『可愛い巫月ちゃん』と言っておられるのに。」


 今、この瞬間。私は心に固く誓った。帰ったら、絶対にこいつをぶん殴る。マウントをとって「ごめんなさい」といってもフルボッコにしてやる。と。


「それでは、立ち話もなんですので、どうぞこちらへ。」


 今この場で殴り倒したい衝動をぐっと堪え、少しでも早く、この赤面した顔と体温を元の状態に戻そうと、手団扇で顔を仰ぎながら、二人に少し遅れて後を付いて行く。


 お寺の本堂に繋がる階段は『ギシギシ、ミシミシッ』と怪しげな音を上げていた。それを、一段一段確かめるように登り、薄暗い本堂の中へと入っていく。無住寺院になってからは、村人の方も手入れなどほとんどしていなかったのであろう。堂内は、空き家特有の淀んだ空気の匂いとかび臭い香り、それと線香の香りが充満している。


「御本尊は隣町のお寺にお移り頂いて、お経も上げてもらっておりますのでご安心ください。壁際のテーブルの上には、ここの倉庫の中にあったものを並べてありますので、何かご興味のあるものがありましたら、どうぞご自由にお手にとってください。」


 本尊があったとされる場所は伽藍としているのだが、本尊が置かれた場所とそうでない場所の境目が、日に焼けてくっきりと残っているため、本尊の大まかな姿を映し出している。テーブルの上には、巻物や古書、古い道具と思われる古民具が所狭して並べられている。


「いやはや、色々と興味深そうなものが沢山並んでいますね……」


 そう言うと、並べられた本などを、いつの間にか身につけた白い手袋越しに手に取ると、丁寧に中身を確認したり、古民具をあれこれ触ったりしている。


「なにか面白そうなものはあるの?」


正直、私は、微塵も興味も沸かない分野であり、全く見たことも使い方もわからない道具達ばかりなので、テンションが上がっている基兄が不思議で仕方がない。


「そうですね。知り合いの古民学者に見せたら喜びそうなものもいくつかありますし……おや?これは?」


 そういって基兄が手に取ったのは、【鬼針】と墨で書かれた桐箱だった。中を開けてみると、綿の布団の中央に、長短長さの違う針が一本ずつ入っている。


「あぁ、それですか。それは、昔から村に伝わる昔話の中に出てくる鬼の針ですね。」


しばらく「うーん」と、基兄は思考を巡らすと、


「長さの違う二本の針が出てくる鬼の昔話と言いますと、ですか?」


と、答えた。


「あれ! さすがは先生様だ。よくご存知でいらっしゃる。」


 二人の間で話が完結してしまいそうなので、「夢見小僧? って、なに?」と、一般人の目線から私が尋ねる。


「夢見小僧はですね……」



 と、基兄が説明をし始めると、本堂の階段をすごい勢いで駆け上がってくる足音が聞こる。かとおもえば、それは、基兄が右手に持つ箱目掛け子供が飛びかかった。


「裕太!!」

 

 村長さんにそうと呼ばれた少年は、私よりもずっと年下に見える。おそらく、小学1年か2年かそのあたりの年齢であろう。


「おっと危ない。」


 慌てるでも、驚くでもなく、冷静さを保つ基兄は、箱を持った右手を自身の頭より上へサッっと上げる。突然目の前から目標物を失った少年は、バランスを崩して床をゴロゴロと転がり壁に衝突。ぶつけた箇所を擦りながらムクリと起き上がると、踵を返すえし、再び襲いかかってくる。


「それをよこせ!!」


さながら猛牛と闘牛士を見ているかのようである。襲い掛かってくる少年から、最小限の足さばきだけで華麗に交わしていく基兄。さっきまで愚痴ばかりこぼして山を登っていた同一人物とはとても思えないような身のこなしである。スタミナがなくなってきたのか、次第に少年の動きから俊敏性が損なわれはじめてきた。


「裕太!おまえは お客様になんてことをするんだ!!」


村長さんの声に耳も傾けず、襲い続ける少年。


「少年。これが一体どんなものなのかご存知か?」


と、紙一重のところで避け続ける基兄が問う。


「知ってるよ! それがあればだから、こっちによこせ!」


自身の背丈の倍以上の高さにある、右手に持たれた箱目掛け、今までで一番高い跳躍を少年が見せる。しかし、それを先読みしていた基兄は、頭の上で、右手で持っていた箱を左手に持ち替え、それと同時に身をかがめると、空いた右手で少年の襟元を掴まえる。それから、どういう動きをしたのか早すぎて全く見えなかったのだが、「ダーン!!」という音を立て、少年は背負投をされたかのような形で地面へと打ち付けられた。


基兄が握っていた右手を襟元から離すと、お堂の外の方には、数人の村人が血相を変えてやってきた。


「そ、村長すまねぇ……ちょっと目を離した隙に逃げられちまって……」


「ゆ、裕太! なんべんもいうが、あれは昔話にすぎねぇ!いい加減あぎらめろ!」


流石にかなりのダメージがあったのであろう、少年はヨロヨロっと立ち上がると、「くそっ!」っと、捨て台詞を吐いて、お堂の外へ勢いよく飛び出していくと、集まっていた村人達もその後を追いかけるようにして走り去っていった。


「先生。変なところをお見せしてしまって申し訳ない。お怪我は……」


基兄は、持っていた箱を机の上に戻すと、着ている服を軽く整えると、


「いえいえ、私は大丈夫ですよ。あまりにも元気がよいので、少し手荒な方法をとってしまいましたので、あの子のほうが心配ですね。それにしても、少し気になることを言ってましたね。お母さんがどうのこうのと」


村長さんは、とても申し訳なさそうに頭を掻きながら話し始める。


「内輪の話で大変恐縮なのですが……実は、一昨年に裕太の母親が体調を崩して、大きな病院で見てもらったところ『癌』と診断されまして。詳しく調べたら、転移も各所に見られるということで余命半年と……」


 「そんな……」私は、思わず声を漏らす。あのくらいの年頃の子なら、一番お母さんに甘えたい時期であろう。それなのに、お母さんが癌で余命半年だなんて……


「なるほど。それで、この針でどうにかしようとしたというわけですね。」


「はい。しかし、所詮、伝説は伝説でございます。迷信でございます。何度も言っているのですが……」


「そうですね。実際、これが本物だとも限りませんしね」


と、村長さんと会話をしている基兄の様子がおかしいことに私は気づいた。執拗に、右手を隠そうとする動作をしている。スキを見てポケットの中にしまおうとしたその右手を私は強引に取り出した。


「いたっ!」という基兄の声に驚き、私は握っていたその手を見ると、人差し指の爪が割れ、かなり出血している。


「バレてしまいましたか……子供とは言え、片腕で投げ飛ばすものではありませんね。やってしまいました……」


私に怒られると思ったのであろう、バツが悪そうに基兄は頭をかいている。


「やや!? これはいけない!早く手当をしないと!!」


村長さんが軽いパニックに陥ったため、私達は、急いで来た道を下山するのであった。

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