プロローグ3

 彼女はこんな世界の中でも、理屈が通っているかは兎も角、意味のない人殺しはしなかった。

 基準はたった1つだけ。


 ――生きるために必要か。


 生きるための障害となるならば、仕方ない。

 生きるための障害とならないならば、いくらでも利用価値はある。

 それに、いくらこんな世界だって、殺そうとすれば殺される。誰だって死にたくはないのだから。

 無闇に人を殺してたら、命がいくつあっても足りない。ただでさえ、命が1つでは足りない位なのに。


 そんな事を心の中で説いていても、浴びた返り血がなかった事にはならない事を彼女はよく知っている。

 恐らく、この世の誰よりも。


   ◇◆◇◆◇


 ここでの仕事は、酒場にある。

 酒場には色んな人が集まる。当然、現在進行形で困っている人もいる。

 その困っている事が仕事になる。

 しかし、これには2つ問題があった。

 1つ目は、ホントに色々な人がいるせいで、困っている人が誰か判らず、非常に非効率である事。

 2つ目は、依頼したい人が常に酒場にいるわけではないので、依頼をしたり報酬を受け取ったり出来る時間が時間が限られるという事。

 それを解決するために、誰が置いたのか、依頼用コルクボードがある。コルクボードに依頼事や報酬などを書いた紙を貼り付けて、報酬とマスターへのチップを置いていけば、誰かが依頼を達成した時に酒場にいなくても、マスター経由で報酬が支払われるという仕組みだ。

 マスターもそれを承認していて、沢山の人がそれを利用するようになった。

 今や依頼の報酬だけで生計を立てる人もいる程に、ただのコルクボードの信用度は高い。そして、少女もただのコルクボードを信用している1人だった。


 少女は家に帰るかのように、樽を模した扉を開けた。

 最早嗅ぎ飽きた葡萄の香りが彼女の嗅覚をくすぐる。

「よ、リーフィちゃん」

 顔に古傷を付けた厳ついおっさんが、グラスを持っていない左手を軽く上げて挨拶をして来た。

 リーフィという名は、両親から貰った名前ではなく、ここで仕事をする上で自分で付けた仮の名だ。仮の名を付ける事は珍しい事ではなく、自分の身分や出身、そして自分自身を明かさないために付ける事が多い。

「おはよう、アレイ。調子はどう?」

「ぼちぼちだな」

 ここでは上下関係など存在しない。

 年齢、経験、性別、種族、身分などが違えど、同じ扱いを受ける事が習わしとなっている。

 極論を言えば、初めてここに来た人が常連にタメ口を利いたとしてもそれに対する文句は言ってはいけないという事だ。

 まあ、まずそんな事はないが、皆平等という例としては判りやすいだろう。

 そんな訳で、まだまだ未来がある少女が、婚期なんてとっくに過ぎた厳ついおっさんにタメ口で話している所を見ても、誰一人として騒ぎ立てない。

 それがここでの常識で、長生きするために必要な事でもある。

「マスター、いつもの」

「あいよ」

 少女が入って来た時から用意していた特性オレンジジュースと鳥の干し肉を、銀貨2枚と交換する。

 少女はソムリエのようにグラスを弄びながら、肉を齧り、コルクボードへと向かう。

 コルクボードにはいつも通り沢山の依頼が貼られていた。それを1つ1つ吟味していき、手頃な依頼を探していった。

 ふと、彼女の目が1つの紙に留まった。

「暗殺依頼?」

 暗殺依頼自体はそれ程珍しい物ではなかった。しかし、内容が異質だった。

「報酬は言い値とは」

「判らん。異様過ぎて誰も受けようとしないんだ。多分、本当に言い値で渡すのかもしれないが、暗殺対象が、身分も年齢も何もかもが普通の平民らしいんだ。私怨だったら言い値なんて馬鹿な真似はしないだろ。一体何が目的でこんな依頼を……」

 確かに異質だ。まだ竜の討伐の方が可愛げがある。

 だが、少女はその紙をコルクボードから剥いだ。

「リーフィ、正気か!?」

 さっきまでの話を聞いていた誰かが叫ぶ。

「ああ、無用な詮索は不要。ただ、この依頼を達成するだけだ。マスター、よろしく」

 さっきまでわんさか騒いでいた空間が一瞬静まり返る。

 いつも通りにマスターから依頼受理証明書を受け取ると、

「Wooooooooooooo!! 流石リーフィ!! そこに痺れるぅぅぅぅ! 憧れるぜ~~~~~~~~~っ!!!!!」

「かっけ~~!!!! 最早狂っているのすら最高だぜッ!!!!!」

 それぞれが思い思いに叫び立てた。うるせえ。ドラゴンのブレスに焼かれてしまえ。


   ◇◆◇◆◇


 狂人達が喚いている酒場を後にする。

 ――耳が痛い。あいつら、高が依頼1つ受けただけで……。

 痛い耳を抑えながら依頼を再度確認する。


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* 依頼番号 201

* 依頼内容

*  酒場を出て右の通りを歩き、

*  2つ目の十字路を右に曲がった所にある、

*  骨董店から3軒右に行った家の主人の暗殺

* 情報   主人は一人暮らし。身内はいない。

* 報酬   言い値

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 全く何が目的なのか。

 判らなくても、歩く足は止められない。

 依頼のため、そして何より生活のため。

 ――もし本当ならば、生活は一生安泰。

 賭けるだけの価値はあるだろう。

 そう悩みながら、2つ目の十字路を右に曲がる。

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