神話決戦11
その瞬間が訪れる間際、フィア達が取った行動は歓喜の声を上げる事ではなく、慌ただしく守りを固める事だった。
アナシスが放った超高温火球は異星生命体に直撃するや爆散。内包していたエネルギーのほぼ半分が真上に、反作用として残りの半分が真下へと放出する。プラズマ化した大気は高度千数百キロまで荒々しく立ち昇り、赤色の柱のようになって宇宙の遥か彼方へと飛び出した。先の一撃では付近を通った衛星をも巻き込んだが、今度の被害はそんなものでは済まない。舞い上がった高出力のプラズマは大気の電離層を引っ掻き回し、世界中で使われている短波による遠距離通信機能を機能不全に陥らせてしまった。地球を襲っていた異常事態に各国が連携を取る中、そのために欠かせない通信網が呆気なく崩壊し、人類文明全体を更なる混沌に陥れる。
これでも、被害をもたらしたのはあくまで火球の『余波』である。半分のエネルギーは『敵』にぶつけられ、電離層を直撃したのは残り半分……それも数万分の一にまで薄まったプラズマだ。
ならば着弾地点から僅か数キロしか離れていないフィア達は?
「ぬぐうぅぅぅううううっ!?」
「ばふっ!?」
「ぐ……!」
周囲に広がったほんの僅かな余波を、渾身の力でどうにか耐えてその場に踏み留まっていた。あと少し近付いていたなら、いくら防御を固めても跡形もなく吹き飛ばされていただろう。
フィア達の事などお構いなしの一撃。とはいえ元よりアナシスがこちらを配慮しない事は分かりきっていた。第一誰かを気遣った柔な攻撃ではあの異星生命体は倒せまい。
尤も本気の一撃を与えたからといって、それで倒せる保証もないが。
「……いい加減これでくたばってくれませんかねぇ」
願望をぼやきながら、フィアは守りを解き、正面を見据える。
果たして結果は――――紅蓮の炎が晴れた時、そこには未だ異星生命体の姿があった。
あったが、最早原形を留めていない。異星生命体の身体であった黒い『板』はその大半を喪失。中心で燃えていた火球も、一回り大きさを小さくし、まるで出血のように激しく炎を噴き出していた。下方向に放射されたプラズマによって気化したのか直下の地面には巨大な大穴が空いており、異星生命体はその上を浮遊していたが、その挙動もゆらゆらしていて、何時落ちても不思議ではない。放つ光も弱々しく、辺りには微かだが宵闇が戻ってきていた。
致命傷だ。
一目でフィアの理性はそう判断し、勝利の喜びが全身に満ちる。パッと花咲くように笑みが浮かび、自然と握り拳を作っていた。
だが、歓喜に酔いしれたのはほんの数瞬だけ。すぐに本能が鳴り響かせる警報でその身を強張らせた。
終わっていない。
まだ異星生命体は死んでいない。
それどころか奴は『奥の手』を披露しようとしている。
「流石にこれはないわー……」
「いや、いくらなんでも……」
【これでも足りぬか……化け物め】
フィアと全く同じ気持ちの言葉をミィが、ミリオンが、そしてアナシスが漏らす。
これを合図とするかのように、異星生命体が『変異』を始めた。
今にも消えてしまいそうだった火球が不意に安定性を取り戻した、刹那、肥大化を始めたのだ。火球の膨張はあまりに急激で、自身の周囲を漂っていた数少ない『板』さえも次々と飲み込む。自分の身体を自分で喰らうような異常行動であったが、しかし火球はその勢いを弱めるどころか更に活性化。浮遊するその身は高度を段々と上げ、膨張は留まるところを知らない。
同時に、異星生命体側へ引き寄せるような引力が発生する。
踏ん張らなければフィア達ですら浮かび上がりそうなほど、大きな力だった。フィア達が立つクレーターの内側へ流れ込もうとしていた海水は浮かび上がり、次々と火球に吸い込まれる。海水が取り込まれるほどに火球はどんどんと巨大化していき、併せて引力も増していく。輝きも強くなり、先程までの瀕死ぶりなど何処にも残っていない。
いや、それどころか姿さえも。
最早、異星生命体に『身体』など存在しなかった。そこに存在するのは巨大な火球であり、地上に降臨した核融合炉でしかない。
こんなもの、生物でも機械でもない――――
「……ああ成程。こりゃ手強い上にしぶとい訳です」
脳裏を過ぎった直感的言語。そのワンフレーズによって、フィアはようやく『異星生命体』が何かを知る。
星をも貫く光線、世界を揺るがすほどの怪力、世界の崩壊にすら耐える防御、
では、その核融合反応をコントロールしているのは『何処』なのか? つまり『本体』は何処にあるのか、だ。常識的に考えれば、板状に分裂した身体以外にあるまい。しかしその身体はアナシスの一撃により大半が消し飛び、ついには火球の巨大化に巻き込まれて消失した。核融合反応は恒星などの高温高圧環境でこそ起こるものであり、地球の常温常圧では勝手に萎んでしまう。板状の身体が制御を担っていた場合、身体が消失したその瞬間に核融合は急速に衰えていく筈だ。されど実際には『板』が全て火球に飲み込まれても、火球は衰えるどころか活性化している。板状の身体は核融合の維持に関わっていないと考えるのが妥当だ。
ならば遠隔操作か? 本体は遥か遠方に居て、こそこそと『異星生命体』を操作している可能性は? これもない。アナシスとの戦闘において、異星生命体は瞬時に、臨機応変な対応を見せている。遠距離から操っていてはタイムラグが生じ、自動操縦では戦術が単純になる。それではミュータントの戦闘には対応出来ない。奴の『本体』は間違いなく間近で戦闘を観測し、身体に指示を飛ばしている。しかし付近の海水はフィアが能力で操っているため、そこに隠れ潜む事など出来ない。
板状の身体ではない。遠くには居ないし、近くに隠れてもいない。ならば、本体の候補は残り一つ。
あの燃え盛る火球――――核融合を行っているあの場所こそが、核融合を維持している本体なのだ。
まるで因果関係がひっくり返ったかのような、おかしな結論であった。花中だったなら今頃首を横に振り、そんな訳がない、もっと違う理由がある筈だと、思考の大海原に旅立っていただろう。如何に論理的でも、人間としての常識が理解を阻んだに違いない。されどフィアはこうした論理を用いず、本能的に『なんとなく』この結論を導き出していた。故にすんなりと、思ったままに目の前の事象を受け入れる。
即ちアレは意思を有した核融合現象。
生命でなく、物質ですらない。何もかもが溶け合い、エネルギーへと変化していく宇宙最大級の事象……核融合反応そのものが異星生命体の、否、火球の『正体』なのだ。
フィアにここまで論理的な考えはなかったが、直感的に火球が『生命体ではない』事を察した。そして纏っていた肉の身体を捨て、生命ぶった態度を止めたという事は、奴は本当になってしまったのだ。
神の力を内包した生命ではなく、完全なる『神』に。
「ちょ、ちょおーっとこれはヤバくない!? ヤバいよねこれぇ!?」
「ええ、ヤバいわね。あの火の玉単体で核融合が出来るって事は、『身体』の方が担っていたのは反応の促進じゃない。戦闘能力の低い形態ほど火球の露出が低い辺り、むしろ反応の抑制を担っていたんじゃないかしら。つまり……」
「つ、つまり!?」
「今のアイツはリミッター解除、暴走しているわね。地球の水と大気を全部飲み干すまで止まらないんじゃない?」
「つまりあたしら全員死ぬって事じゃん!?」
「水と空気がなくなるだけなら、私は死なないけどね。そもそも生きてないけど……まぁ、『あの人』と一緒に朽ちる夢が叶わなくなるし、なんとかしないとねぇ」
やる気自体は見せるミリオンだが、その言葉はどうにもふわふわしている。何分、何をどうすれば良いのか分からないのだ。『身体』さえもなくした相手に、何が通用すると言うのか。意気込みはあっても考えがない。それはフィアもミィも同じで、火球を見守る事しか出来ない状態だった。
性質の悪い事に時が経つほど火球は巨大化し、そのパワーを増している。『身体』を失い、生産された熱を閉じ込められなくなったのか、火球は周囲に膨大な熱を撒き散らし始めていた。火球の半径数キロ圏内は灼熱に満たされ、海底の砂が溶け出している。並の生物では今頃体液が沸騰し、炭化を通り越して気化しているだろう。フィアやミィですら接近は儘ならない過酷さ、ミリオンでも至近距離に近付くのは危険な環境と化していた。
それでもアナシスは動いた。
「っ!? 何を」
する気なのか。フィアが思わず零した疑問に答えるかのように、アナシスは火球に急接近。熱波などものともせず、今にもキスしそうなほどに肉薄する。
そしておもむろに大顎を開くや、息を吸い込んだ!
ただの呼吸ではない。鳴り響く轟音、揺らぐ大地。気圧は急激に下がり、天候さえも変わっていく。ただ息を吸い続けているだけなのに、天変地異が起ころうとしていた。
否、そんなものは些事である。
アナシスの息の流れに沿って、火球の炎がどんどん吸い込まれている事態に比べれば。
「まさか……吸い尽くすつもり!?」
ミリオンの叫びに呼応するかの如く、アナシスの吸引は勢いを増していく。合わせて火球を構築する炎はどんどんと剥がれ、アナシスの体内へと吸い込まれていた。
吸い込むのに必死で、アナシスはフィア達に見向きもしない。答えてもくれない。だが彼女は行動で自らの意志を示していた。
彼女は喰うつもりなのだ。
巨大な恒星と化した『神』さえも!
【**************!】
神と化した火球もアナシスの意図を察したのか。地響きにも似た異質な雄叫びを上げるや、業火を一層強く輝かせ、更なるパワーを放出し始めた。己の身を包む炎をいくら剥ぎ取られようと、眩さは一向に衰えない。その姿は喰われまいと抗うモノの姿ではない……刃向かってきたモノを喰らわんとする、捕食者の様相だ!
火球は星をも焼き尽くさんばかりに燃え上がり、アナシスは星の全てを飲み干さんばかりに吸い込み続ける。力が拮抗し、破滅のエネルギーは延々と周囲に撒き散らされた。急激に下降する気圧により剥き出しの砂地がボコボコと捲れ上がり、空からは雷や雹が降り注ぐ。立ち込める暗雲が地球の未来を暗示し、震える大地が苦悶の声を代弁していた。
このままでは、星が壊れる。
あらゆる生命が予感し、そして『間違いない』であろう結末へと向かう戦いは、やがて変化を迎えた。
均衡が崩れ始めたのだ――――アナシスが押される形で。
アナシスは自身を滅ぼしかねない力を、吐き出す事も許されず呑み続けている。段々と身体に余剰エネルギーが蓄積し、体調に悪影響を及ぼすのは必然。対する火球は、自らの重力により今も多量の海水 ― 即ち核融合を最も容易に行える燃料である水素 ― を吸い込んでいる。常に活動エネルギーを生産している状態であり、尚且つその過程で発生する余剰熱こそが世界を滅ぼそうとしているのだ。即ち火球は休息と攻撃が一体化している理不尽な有り様。持久戦に持ち込めば負ける道理などない。
アナシスは表情を顰めながらも必死に後れを取り戻そうとするが、一度崩れた均衡は元には戻らない。火球は見る見る巨大化し、小さくなるどころか勢いを止める事すら出来ていなかった。
アナシスの、そして地球の命運もここまで、だっただろう。一対一であったなら。
だが、此処にはまだ三体の生命が存在する。
「最後ぐらいビシッと決めてほしいものですねぇ!」
最初に動いたのはフィア。
海中に潜り込んだ彼女は人の形を取るのすら止め、全ての力を自らの能力に注いだ。半径数十キロ圏内に力を張り巡らせ、暴れる海面を押さえ込んで岩盤の如く堅牢さを持たせる。一億トンの水を操った事はあるが、今回の量はその比ではない。頭が痛い。全身の筋肉が軋む。限界以上の力を行使した事による苦痛でフィアは顔を顰めるが、それでも能力を使うのを止めはしない。
ここまで力を使わねば、火球に吸い込まれる海水を引き留める事が出来ないからだ。
海水の流れが完全に途絶えると、火球は狼狽えるようにぐるりと回る。エネルギーの原材料が途絶えたのだ。際限なく燃え盛る今、補給が滞ればどんどん消耗していく。そうなればアナシスとの形勢が逆転しかねない。
故に火球もされるがままでは終わらない。一瞬更なる輝きを放つや、火球から小さな火球が幾つも分裂。まるで親の周りをちょろちょろしている子供のように、小さな火球は大元の火球の周囲を漂う。
そして小さな火球は、眩い輝きを放ち始める。
その光にフィアは見覚えがあった。ガンマ線バーストの発射予兆だ。海を操るフィアが『小さな』生き物であると見抜いたのか、火球は無数の小火球からガンマ線バーストを撃ち、殲滅するつもりのようだ。能力に力も精神も注いでいる今、放たれた光線を避ける余裕などフィアにはない。
運良く何万と放たれる光の全てが外れるのを祈るしかない――――
「おっと、あたしの事も忘れないでよぉ!」
そんなフィアを見かねて、次に動き出したのはミィ。
とはいえ、ミィの能力は『圧倒的な身体能力』である。得意の肉弾戦をしようにも、火球を殴ろうとすれば触れる前にこちらが溶けてしまいかねない。水を操ったり、ビームを撃ったりも出来ない。
彼女に出来るのは、物を投げ付ける事。
近くにあった海底の大岩を、小火球にぶつけるのが精々だ!
「おんどりゃああああっ!」
大きく振りかぶって投げられた、直径十メートルオーバーの大岩。正確にして高速の巨岩は、吸い込まれるように小さな火球に直撃する。
岩の主成分は珪素だ。水素ほどの有益ではないが、強力な核融合炉の前ではただの燃料に過ぎない。
そして本体から分離した小火球は、例え小さくともガンマ線バーストが可能なほど強力な核融合性能を誇っていた。投げ込まれた岩は一瞬にして餌となり、故に膨大な熱エネルギーを放出。
ガンマ線バーストを放つため臨界寸前まで高まっていた小火球は、予期せぬエネルギーの増大によって自壊・爆散する! 攻撃を妨害されたと知るや、火球は次々と小火球を生み出しガンマ線バーストを放とうとするが……この攻撃よりもミィの方がずっと『早い』。臨界を迎える間際にミィは岩を投げ入れ、その全てを崩壊させていく。
攻撃を潰され、火球は歯ぎしりをするかのような異音を鳴らす。加えて怒りを表すように、自らの炎を勢い付かせた。
すると今度は無数のフレアが噴き出し、鞭のようにしなりながら周囲を切り刻む! プラズマ化した火焔により、接触したものを瞬時に気化させて切断しているのだ。ガンマ線バーストによる攻撃を諦め、まずは周囲を片付ける事にしたのだろう。
「わ、ちょ、うへぇっ!?」
これには今度はミィが狼狽える。肉体操作により人間から見れば非常識なほど高温に強いミィだが、所詮は生身。フィア達と比べれば熱対策は苦手だ。ましてやプラズマほどの高温など、直撃すれば耐える事など絶対に無理である。
ミィは己の反応速度を活かし、迫り来るプラズマを素早く回避。時折チリリと走る肌を焼かれる感触に悲鳴を上げながら、火球の傍をちょこまかと動き回る。
無論、一番簡単な『回避』方法は距離を取る事だ。いくら高出力のプラズマとはいえ、距離を取れば急激に希薄され、無害となるのだから。
しかしそれは出来ない相談である。確かに逃げる分には離れる方が良いのだが……そうなると、小火球からも遠退いてしまう。ミィはガンマ線バーストの発射を妨げるため岩を投げ入れているが、その射出速度があまりにも速いため、長距離を飛ばそうとすると岩自体が耐えられない。かといってゆっくり投げると今度はガンマ線バーストを邪魔出来なくなる。発射寸前の、ほんの僅かな瞬間に岩を投げ入れねばならないのだ。
これ以上は離れられない。だがこんな、プラズマの嵐の中を掻き分けながら反撃するのも難しい。多少無茶でも、やるしかないのか?
否である。
「全く、世話が焼けるわねぇ」
まだ此処にはもう一体、『怪物』が潜んでいるのだから。
ミィに迫る一本のプラズマが唐突に薄れ、消滅する。
なんだ、とミィが疑問を抱いた次の瞬間、彼女の傍にミリオンが現れた。チラリと目線を向けたミィに、ミリオンはにこやかに微笑み返す。
ミリオンには大岩を高速で投げ入れるほどの力はない。水を操る事だって出来ない。
だが、彼女には熱を自在に操る力がある。火球の発する恒星級の熱を受け止める事は出来ずとも、そこから放たれる『余熱』ぐらいなら扱える。『火の粉を払う』のは、ミリオンにとって
「さぁ、早いとこ片付けてちょうだいよ? 私達じゃコイツを抑えるのですら精いっぱいなんだから」
ミリオンはアナシスに向けて、そう頼み込む。話し掛ける程度の小声であり、千数百メートルも離れた位置に居るアナシスには届くまい。
尤も、届いたところで答えは変わらないだろう。
【承知している】――――そう言うに決まっているアナシスは、一層力強く火球を吸い込んだ!
エネルギー源はフィアが絶った。
フィアへの攻撃はミィが防ぎ、ミィに襲い掛かる熱はミリオンがいなす。
そしてアナシスが、火球を喰らう。
完全なるコンビネーション。されど彼女達は誰かを「助けよう」と思ってこの行動に出たのではない。自分に出来る事、自分のやりたい事を探し、実践し、それが偶々他者にとっても利益となっただけ。
正しくそれは『生態系』と同じ姿。
地球外からの来訪者という『外来種』に、地球の生態系が拒絶の意思を突き付けていた。火球は目前の矮小な存在からの妨害に戸惑うかの如くぐるぐると回るが、地球生命体はその手を弛めない。段々と小さくなっていく火球。地球の生命達は、そんな部外者の『命』を奪わんと更に力を振り絞り……
火球が一気に収縮
したとフィア達が認識したのも束の間、火球は再度急激に膨れ上がった。
直後、得体の知れない波動がフィア達の身体を駆け巡る。
「は? ――――ごぼふっ!?」
違和感を覚えていられたのは、人間の瞬きほどにも達しない刹那。間髪入れずフィア達に襲い掛かったのは未体験のダメージ! フィアだけではない。ミィも、ミリオンも、アナシスも……周りの海水や砂地までもが、等しくその身に強烈な衝撃を受ける!
耐えよう、抗おう。そんな意志を持つ暇もなく訪れた衝撃で、フィア達全員が吹き飛ばされる。アナシスですらその巨体をよろめかせ、体勢を崩していた。一体何が起きたのか、何をされたのか、どうすれば良いのか……フィアには何一つ思い付かない。
それは、星の力だった。
恒星であっても死の間際にしか生じない高温と強力なガンマ線……その力は核融合の最終生成物である鉄原子を分解してしまう。これを光崩壊と呼び、この反応によって中心部は空洞化。今まで核融合による高熱と反発力により抑えられていた周辺原子が、一気に中心目掛けて流れ込んでくる。
この時起きる原子同士の衝突により衝撃波が発生。これがニュートリノによって増幅されると、巨大な恒星を一瞬で破壊するほどの大爆発が引き起こされる。
火球は爆発時、衝撃波だけでなく多量のニュートリノも放出していた。透過性が極めて高いニュートリノは、どんな物質にも浸透する。当然フィア達もこのニュートリノを浴び、そして十分に浸透した……即ち、超新星爆発の衝撃波を増幅する存在が全身に万遍なく存在する事と等しい。
これがフィア達を吹き飛ばした攻撃の正体。
フィア達まで伝わった衝撃は、そのフィア達の体内で増幅され、襲い掛かったのだ。否、フィア達どころか、衝撃は地球内部まで浸透し地殻のマグマを刺激。世界中の火山を噴火させ、地震を誘発し、大地を崩落させる。あとほんの少し出力が強ければ、地球環境に再起不能なダメージが加わったに違いない。自分の周囲に存在する高密度の海水がニュートリノの浸透をいくらか妨げてくれなかったら、体密度以上の身体能力を有していなければ、まともな臓器を持った生命だったなら……フィア達はここで全滅していただろう。
そうでなくともダメージは大きく、吹き飛ばされたフィア達は海水のみならず砂さえも全て引っ剥がされ、ひび割れた岩だけが広がる海底へと落ちた後、誰一匹として動こうとしなかった。
「……正直何が起きたか分からない上に全身が痛くて堪らないため動けないのですがあなた方はどうですか」
人間の形を失ってフナの姿を晒し、口を動かす度に走る痛みを堪えながら、なんとか呼吸用の水球を作って生き長らえるフィア。
「駄目。あたしも痛くて腕一本動かせない……というか今ので骨折れたかも」
ミィは突っ伏したまま、か細い声を出すので精いっぱい。
「私も無理。全個体が変形しちゃってる。急いで修復しているけど、三十分はまともに動けないわね」
真っ直ぐ動かしているつもりなのか、伸ばした自分の腕がぐにゃぐにゃと曲がるのを見ながら、ミリオンも情けない実情を打ち明ける。
誰もがダメージの大きさから動けない。アナシスだけは今も火球に喰らい付いていたが、最早フィア達によるフォローは受けられない状況だ。フィアが妨げていた海水の流入も起きており、火球は失った分を取り戻さんと言わんばかりに激しく燃えている。
最早これまで。自分に出来る事はもうないとばかりに、フナの姿のままヒレを竦めるフィア。
そして彼女は何もかも諦めたかのように
「まぁ良くやったと言うべきでしょう……時間稼ぎは十分にしましたから」
その言葉をハッキリと告げた。
――――バギンッ、と、何かが折れるような音がした。
音は十数キロ彼方にも届くほどの轟音だった。音は一度ならず二度三度と鳴り、存在感を示す。音色は生々しく、金属や岩ではない、『生物』が奏でたものだと一瞬で理解出来るものだ。
その異音は、火球にも間違いなく届いた筈である。されど火球はぴくりとも動かない。否、動かない、というのはきっと間違いなのだろう……動けないのだ。
火球は気付いたに違いない。アナシスに、最早苦悶の表情がない事に。
火球は気付いたに違いない。アナシスの身体が、ほんの僅かながら数瞬前よりも大きくなった事に。
成長に必要なのは、時間と栄養だ。
火球の肥大化を抑えられなかった時、フィア達が助けなければアナシスの身は呆気なく焼き払われていただろう。あの時はまだ、身体の『芯』が出来ていなかった。設計図は頭の中にあったが、そのための土台が存在しなていなかったのだ。無理に『能力』を用いても、自壊していたに違いない。
だが、フィア達は火球を抑え付けてくれた。
アナシスは彼女らに感謝などしない。しかし与えられたチャンスを無下にもしない。『芯』は出来上がった。成長に欠かせないもう一つの要素である『栄養』は、既に吐きたくなるぐらい溜まっている。急速な成長はエネルギーの消耗も激しいが、そのエネルギーは『獲物』から際限なく供給されたのだ。足りないものは、もう何もない。
ギチギチと生々しい音を轟かせながら、アナシスの身は見る見る太く、大きくなっていく。背中に生えている背ビレも伸び、無数の血管を張り巡らせる事で、余剰熱を放出する器官へと変貌させる。剥げていた部分の鱗が雨水を受けた砂漠の植物のように勢い良く生え、育ち、一層強固な鎧へと進化する。
一キロ近い体長は、その大台をついに超えた。全長は千五百メートルを突破し、それでもまだアナシスの巨大化は止まらない。先とは比較にならない巨体は火球が纏う炎を際限なく吸い込み、奪い取っていく。火球は幾度となく超新星爆発を起こしてアナシスを吹き飛ばそうとするが、もう、今のアナシスには通用しない。煌めくガンマ線の輝きも、放たれる重力崩壊の波動も、アナシスは分け隔てなく飲み干す。
火球は重力を操る能力によって、その能力によって手にした核融合によって、神の玉座に辿り着いた。
対してアナシスは、ただ育っただけ。敵を倒すため、自然を克服するため、食い尽くせないほどのエネルギーを手にするため……目的のために付けた力が、神の領域に達していただけに過ぎない。
火球にとって『神の力』は到達点だ。しかしアナシスにとっては通過点でしかない。故に彼女は神の領域を超えられる。既に彼女は神にあらず。ナニモノをも超越し、当て嵌まる言葉はただ一つしか残らない。
生きている物。
神の手を離れた彼女は、ただの『生物』でしかなかった。
【***!? *********! *****!?】
勝ち目がないと察したのか。顔などなくとも、物質すらなくとも、慌てふためいていると分かる動きで火球はアナシスに『背』を向けた。星をも滅ぼす神が、逃げようとしていた。
それが決定打となった。
神話の決戦は終焉を迎えた。いや、最初から神話の決戦などではなかったのだ。少なくともこの戦いに参加していたモノ達にとっては、『神』など欠片も存在していない。あったのは生きるか死ぬか、喰うか喰われるか、そのシンプルな関係のみ。
即ち星の存亡を賭けたこの戦いも、生き物達にとっては食物連鎖の一環でしかなかった。そして此処でその関係が確定したのだ。とはいえこれだけで戦いが終わりはしない。捕食者は獲物をみすみす逃がしたりしないのだから。
アナシスの長大な身体が、残像すら残さない速さで駆け抜ける。
目視すら許さない捕食者が狙うは、哀れな被食者。成長により巨大化したアナシスは、火球にぐるりと巻き付いた。核融合そのものである火球だが、触れたアナシスの身体は溶けるどころか焦げ付きもしない。火球がいくらのたうってもアナシスはビクともせず、ゆっくりと、堪能するように、大顎をばっくりと百八十度近い角度で開く。
そして一片の容赦もなく火球に喰らい付き、勢い良く吸い上げた!
轟音? 雷鳴? 地響き? 最早既存の言葉ではとても言い表せない音が世界に響く。星が揺れ、大気が暴れ回り、大陸が上下する。火球は必死に抗おうとして燃え上がるが、アナシスの口にどんどん吸い込まれ、見る見るその姿を小さくしていく。
ついには最後の一巻きが解け……火球は全て、アナシスの口に収まる。最後にごくりと喉を鳴らしたアナシスは、満足したかのようなため息を吐いた。
もう、業火の音は聞こえない。
星の煌めききもなければ重力の歪みも感じられない。異星からの来訪者を示すものは何もかもが消え去り、ぽっかりと開いた太平洋上のクレーターに流れ込む海水の、物静かな轟音だけが辺りを満たす。
「……まさかとは思いますけど何もない空間からいきなり現れたりしませんよね?」
「重力を操れるみたいだから、空間圧縮型のワープは使えそうだし、宇宙を旅していたなら使えると考えた方が妥当だけど……流石に、今回は大丈夫じゃないかしら。アイツのお腹に収まっちゃった訳だし」
「つー事は……勝った?」
あまりにも唐突で、あまりにも呆気なく訪れた静寂に、一部始終を見ていたフィア達も半信半疑な様子。されど本能はしっかりと理解していた。
丸呑み。
それは、確かに『神』の最期には似付かわしくないものだろう。されど『生命』に喰われるモノの最期としては、割と有り触れた終わり方である。
例え神の力を持とうと、星の力を持とうと――――それさえも凌駕する『生命』の前では、一介の餌に過ぎなかったのだ。
「「「……ぶはぁ~」」」
ようやく『勝利』したのだと分かり、フィア達は揃って深々と息を吐いた。次いで星明かりに照らされる三匹の顔には自然と笑みが浮かび、朗らかな笑い声が口から漏れ出る。
その笑い声は辺りに満ちる、海水が雪崩れ込む際に立てている轟音の中に溶けていき
「って、暢気してる場合じゃないでしょこれぇっ!? フィア助けてぇ!?」
「いやいやいや無理です正直自分の身を守るので精いっぱいですから!」
フィアとミィが悲鳴を上げた。満身創痍なのに、これから迫り来る数十億トンの海水をやり過ごさねばならないので。
「あたし怪我してるんだよ!? 溺れるよ!? さっき助けてあげたんだから今度はあたしの事助けてよ!」
「はんっ! お断りですね! あなたが勝手に私を助けただけでしょう! 自分の助けた命が無事苦難を乗り越えるところを水底からしっかり見届ける事です!」
「アンタどんだけ酷い奴なの!? ちょっとは自責の念とか引け目とか感じないの!?」
「感じる訳がないでしょう! ってちょなんであなたこっちに高速で這いずって来るんですか!? 無理です正直自分の身を守るのも危ういですからあなたに構ってる余裕なんてないんですけど!?」
「こうなったら自分だけで死ぬもんかぁ! 意地でもアンタに張り付いてやる! 死ぬ時は一緒だ!」
「うぎぎぎぃ! 離れなさいぃぃぃ……!」
「生き物ってほんと醜いわねぇ……あ、私はしばらく休んでるわ。普通の水圧ぐらいなら耐えられるし、海水も酸欠も私にとってはなんの害にもならないから、身体が癒えるまでじっくりとね」
「「このエセ生物がぁぁぁぁぁ!」」
わいわいぎゃーぎゃー。フィアが展開している小さな水球に両手でしがみつくミィ、そのミィの頭を能力で作った水の鈍器で殴るフィア、そんな二匹を冷めた目で見つめるミリオン……先程までの緊張感と一致団結ぶりは何処へやら。あっさりと仲間割れして、互いの足を引っ張り合う。結局のところこれが彼女達の本性。所詮は畜生(一体はそれ未満)である。
【……喧しいわ、小虫共が】
ついには見かねたアナシスが会話に割り込む。
数十メートルもの顔が地響きを伴いながら近付いてきて、フィア達はびくりと身体を震わせる。とはいえ、慌てて逃げようとは思わない。彼女に敵意がない事は、野生生物であるフィア達にはハッキリと伝わっているのだから。
尤も、べろんと口から出した舌を自分の方へと伸ばされた時には、流石に全員顔を引き攣らせたが。
アナシスは伸ばした舌でフィア達を掬い上げると、口の中には運ばず、自身の頭の上で乱雑に解放する。掬われた際岩やらなんやらも一緒に抉り取ったのでさながら土砂崩れ真っ只中のような状況に置かれたが、これぐらいならいくら満身創痍でもフィア達ならやり過ごせる。大岩と共に頭の上に乗せられたフィア達は、互いの顔を見遣った後に揃って一息吐いた。
「一時はどうなるかと思いましたがようやく片が付きましたね」
「だねー」
「はぁ……もうしばらくは戦いなんてしたくないわ。しばらくは『あの人』と添い寝して、引きこもってようかしら」
すっかりリラックスムードのフィア達が駄弁る中、アナシスは動き出す。押し寄せる数億トンの海水を易々と掻き分ける彼女は行き先を告げない。フィア達も尋ねない。
どうせ帰る場所は、皆同じなのだから。
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