神話決戦12

 花中は身体の中に溜まりきっていた『不安』を、ため息という形で一気に吐き出した。

 五分。

 ふと気が緩んだ瞬間に過ぎてしまうようなこの時間、世界ではこれといって何も起こらなかった。それは平時であれば大半の人々がなんの努力もなく享受出来る平穏であるが、しかし今の花中にとっては、焦がれるほどに待ち望んでいた時間だった。

 何故ならこの五分を迎えるまでの一時間、花中が避難している駆逐艦ロックフェラーは、恐怖を煽る激しい揺れに襲われていたのだから。

 『原因』を直接見ていた訳ではない。だけど花中は知っている。その揺れが世界のあまねく場所に及び、災厄を撒き散らしていた事を。もしかすると地球を破壊していたかも知れない事を。二体の超越的存在が、人の手に負えない神々が争っていた事を。

 船を襲っていた揺れは正しく世界の終わりを引き起こすものであり、その揺れが収まったのであれば、喜ばずにいられる筈もなかった。

 無論、このような気持ちを抱けるのは花中が『全て』を知っているからである。花中が今居る一室 ― 恐らく艦内倉庫の一つを開放したものだろう。四方をコンクリートで囲われた、頑丈そうで殺風景な大部屋だ ― にはモサニマノーマから逃げ出した百五十人近い島民と、彼等を見張っている軍人の姿もあったが、誰もがその顔に不安の色を浮かべていた。彼等には何かが変わったのは分かっても、何が変わったのかは想像も付かないのだ。揺れが収まったところで安堵など出来る訳もない。

 唯一花中と同じく安らかな笑みを浮かべたのは、花中と同じく『全て』を知っているサナだけだ。

「……やっと、終わったんだね」

「うん、きっと」

 サナの言葉に花中はこくんと頷く。互いに顔を見合い、にへへと笑い合った。

「花中ちゃん。何か知っているなら、教えてくれないか?」

 そんな花中の姿を見ていた玲二が、真剣な眼差しと共にそう尋ねてきた。

 明らかに、全てを知っているかのような態度を取っていたのだ。玲二が違和感や疑念を抱くのは当然の事。玲二の隣に座るサナの母親も、花中の顔を窺っている。彼等にとって花中は確かに身内であるが、しかし彼等は何よりも前にサナの親だ。娘が関わっている『何か』を知りたいと思うのは当然でだろう。

 話すべきか、隠し通すべきか。

 考える最中、花中はぐっと口を噤む。されど玲二達の眼差しが逸れる事はない。先の言葉こそこちらの気持ちを尊重するかのようであったが、瞳に宿る意志は黙秘を許してくれそうにはなかった。

 実際のところ、一度は全てを話そうとしたのだ。あの時は周りの兵士達に訊かれるのを避けようとして誤魔化したが、この船の『艦長』……アメリカ軍にはフィア達の事がバレていると分かった今、今更必死こいて隠し通す理由もない。全てを打ち明けようと、花中はゆっくりと口を開けた

 刹那、耳が痛くなるほどの警報が船内に響く。

「――――っ!? ……これは……」

 突然の出来事に思わず身を縮こまらせながら、花中はぼやく。玲二達も反射的に耳を塞ぎ、警戒するように辺りを見渡した。

 しばらくして警報が鳴り止むと、今度は艦内放送が始まった。先の警報ほどではないにしろ、こちらも耳をつんざくような大声量。おまけに英語だったため、現地語しか知らないモサニマノーマの人々の間に混乱によるどよめきが起こった。

 されど花中は、英語であれば多少は習得している。スピーカー越しの所為で独特のくぐもった声色に変わっていたし、ネイティブな発音や慌ただしい話し方故にリスニングテストほど聴き取りやすくはなかったが……それでもなんとか大体の意味は理解出来た。

 曰く、約二百キロ先にて巨大生物を確認。当艦に接近中につき厳戒態勢を取れ……との事。

 部屋に居た兵士達は互いの顔を見合わせると、駆け足で部屋から出て行く。軍人達の突然の行動に、英語が分からないモサニマノーマの人々は一層不安の色を強めた。

 しかし分かったところで、内容が内容である。『あの怪物』がまた来たとして、何をどうしたら良いのか、案など浮かぶ筈もない。英語が分かる玲二は緊迫と困惑が顔に滲み、その身を著しく強張らせた。

「私、見てくる!」

 故にサナが突然言い出したこの言葉に最も遅く反応し、走り出してしまった愛娘サナを止める事は叶わなかった。

 咄嗟に玲二は手を伸ばすも、あえなく空振り。サナは親の事など見向きもせず、真っ直ぐ部屋の出口である扉目指して駆けていく。

「ま、待て!」

「サナ! アソノダァモ!」

 玲二とサナの母親は慌ててサナの後を追い駆ける。残された花中もまた立ち上がり、三人の後を早歩きで追い駆けた。

 サナが蹴破るようにこじ開け、玲二達が身体がぶつかるのを厭わぬ速さで抜けた扉を通って狭い通路に出れば、何人もの兵士が慌ただしく走り回っている姿が見えた。彼等は花中の姿を見ると一言大声を浴びせるが、それだけするとさっさと去ってしまう。どうやら花中に構っている暇はないらしい。

 花中としても、艦内を練り歩くつもりなどない。目指すは外の景色が見える場所――――甲板だ。狭い通路で頻繁に兵士とすれ違う所為でサナ達の進みは決して速くない。未だ見える彼女達の背中を花中は追い続ける。

 実を言えば、花中の胸の奥底には小さな不安が燻っていた。

 静寂は、確かに戦いの終焉を教えてくれた。だが『勝者』までは伝えてくれない。無論花中も友人達の事は信じているが……『ヒーロー』を信じているサナのような、一片の曇りもない信頼を寄せる事は出来ていなかった。もしもの光景が脳裏にちらつき、心をぐずぐずと蝕もうとする。

 だから外へと通じる扉が見えた時、花中の足取りは僅かながら鈍った。

 されど勝利を信じて疑わないサナは、花中の気持ちの陰りなどお構いなし。勢い良く扉を開けて、躊躇いなく外へと飛び出す。サナを追って玲二達も外に出た。今更、行かない訳にもいかない。花中もサナ達に続いて甲板へと出る。

 外ではもう陽が沈んでおり、星が空を埋め尽くしていた。甲板の上はライトが照らしており、たくさんの軍人達が慌ただしく、いや、半ばパニックのような様相であっちこっちへ走り回っている。喧噪は賑やかさを通り越し、平時であれば五月蝿さを覚えるほどに聞こえただろう。

 しかし今夜は違う。

 何故なら地平線の彼方で噴き上がる巨大な……十数キロに達しそうなほど高く伸びる水柱から、人の声など掻き消してしまうほどの轟音が届いていたのだから。

 そしてその水柱の先頭に見える、異形の怪物。

 蘇った時とはまるで違う姿であったが、一目で『彼女』だと分かるパワー。生物らしい生々しい体躯。そして勝者に相応しい派手な凱旋。全てが、花中達に向けて語り掛けていた。

 異星からの『外来種』は、この星の定着に失敗したのだと。

「~~~~~~~っ! トーテヨー! トーテヨー!」

 その事実を真っ先に理解し、喜んだのはサナ。追い付いた両親達やアメリカ軍兵士が迫り来る『怪物』の姿に恐れ慄く中、何処までも素直に喜ぶ。両手を挙げて飛び跳ね、全身でその喜びを表現していた。

 そんな従姉妹の姿を後ろから見た花中は、静かに笑みを零す。

「……良かった」

 そしてぽつりと安堵の声を漏らしてから、花中も噴き上がる水柱をじっと見つめた。

 世界はこれから大きな変化を起こすだろう。

 生き物達が起こした争いはあまりにも壮大で、地球の隅々まで被害は及んだに違いない。最早政界に居座る人間はおろか、『タヌキ』達でも隠し切る事は不可能だ。人類は自分達が星の支配者でなかった事を、真の頂点が自分達の味方ではない事を理解しただろう。恐るべき生命体が星の外だけでなく内にも潜み、何時暴れ出してもおかしくない恐怖を知った筈である。

 新たな神話の誕生により、世界は一新されたのだ。これより人はこの新たな世界で生きねばならない。この世界は人を愛してくれるのか、それとも愛してくれないのか。世界を滅ぼせる怪物が、その寿命を全うするまで人の安寧を脅かさないでくれるのか。あれほどの怪物が、この星にはあと何体存在するのか――――

 考えれば考えるほど、不安と恐怖はいくらでも浮かんでくる。人の世の行く末に安堵は出来ず、未来はどす黒く塗り潰されているとしか思えない。

 だけど、人一倍臆病である筈の花中は、無邪気に笑っていた。

「花中さーん勝ちましたよー! 今日はお祝いをしましょー!」

 何キロも彼方に居る筈なのに、花中の耳元にまで届く友達フィアの声。

 今頃その大声を間近で聞かされたミリオンとミィが文句を言って、ケンカになっているだろう。彼女達の姿は人間である花中の目にはまだ見えないが……脳裏にはハッキリと浮かんでくる。

 それはきっと、とても『楽しい』光景。

 友達が心から楽しんでいる『今』の世界が悪いものだとは、花中には到底思えなかった。



























 地球より三十八万キロ彼方――――そこに、巨大な『大岩』が浮いていた。

 この地に空気はない。液体の水もないし、潤沢な有機物も存在しない。荒涼とした景色が延々と続き、文字通り妨げるものが何一つない空には宇宙の色がそのまま広がっていた。太陽に照らされた大地は百度以上に加熱され、逆に陽の当たらぬ場所はマイナス百度以下にまで下がっている。

 形容するならば、地獄以外のなにものでもない世界。

 されど『彼女』にとって、この程度の環境は遊惰なものであった。

 彼女はその身に、一兆度を超える炎を宿している。重力を支配し、時の加速も、減速さえも思うがまま。そしてその身を包み込む『殻』は、自らの力に耐えるだけの強度を誇る。

 彼女は、この地より三十八万キロ離れた星に暮らす生き物が『異星生命体』と名付けた存在と、同種の個体であった。ただし彼女は地球に降り立った子等の『母』……成体であり、子供達の十倍はあろうかという巨躯の持ち主だったが。

 彼女は虚空の彼方に浮かぶ、青き星を眺めながら考える。

 産み落とした子は、

 その全てが活動停止し殺された。別段、子を殺されたからと怒りに震えはしない。そのような感性は、宇宙を旅する妨げとなるため遥か昔の祖先が捨てた。問題視しているのは、あの星には『無力』な幼体を殺せるモノが存在するという点。つまり天敵がいるという事だ。それも強大な。

 子供達だけではあの星での生育は難しいだろう。しかし繁殖の本能により、彼女はどうにか次代を残したい。

 さて、どうする?

 子供達だけでの生活が難しいのなら、自らが降り立つのも手か? あのようなちっぽけな星、やろうと思えば地表を引っ剥がす事も難しくない。母の手で邪魔者を全て排除するのだ。いや、いっそ粉微塵に破壊し、星間物質に還してしまうべきか? 摂食効率は悪くなるが、外敵の完全排除を目的とすればこれが最適解である。自身の大出力ガンマ線バーストであれば、この地からあの青い惑星を貫き、内核を気化させた事による膨張圧で爆散させるなど造作もない。

 さて、どうするか。彼女はしばし考え、そして結論を出した。

 、と。

 彼女は見ていた。二体の子供達が、何か、恐ろしい『存在』に一瞬で喰われる瞬間を。一体の子供を打ち倒した怪物はおろか、大人となった自分でも抗えそうにない異形。あれは星を壊したところで止まるとは思えない。むしろ下手な怒りを買えば、こちらが滅ぼされかねない。アレは、そういった類の存在だ。

 故に彼女は、目の前の青き星への進出を諦めた。惜しい気持ちはあるが、星を見逃す事のデメリットは有限でも、自身の身の破滅は無限のデメリットである。天秤に乗せれば選択は明白だ。幸いにしてこの『星』にも、質の良い核融合の燃料が埋蔵されている。この地でも繁殖は可能だ。

 新たな方針を決め、彼女は彼方の星を眺めるのを止めた。彼女の執着は長続きしない。宇宙を旅するのに、手に入らぬものへの想いなど無駄なのだから。

 されど最後に、ふと彼女は考える。

 ……何故アレは自分の子らを襲った?

 アレは確かに自分達を喰った。だが、獲物として襲ったようには思えない。繊細に、傷を付けないように……熱源が消えたので活動停止しているのは間違いないが、単に喰うためならそこまで丁寧に扱う理由はない。

 何かがおかしい。

 何故アレは自分の子を喰った。

 星々を渡れる自分達を、なんのために――――

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