母なる者3
雲一つない青空で、ギラギラとした太陽が耀いていた。
午前にも拘わらず景色が霞むほど強烈な日差しはアスファルトを焼き、地上を際限なく加熱していく。植物は連日の暑さで弱り、本来青々としている筈の葉が黄ばんでいる。これほど暑いと流石に動けないのか、飛び交う虫の姿も見られない。夏の風物詩であるセミの声すらあまり聞こえてこない有り様だ。
八月最後の週を飾るこの暑さ。しかし一週間後に迎える九月になったらすぐ収まるかといえば、気温とはそのようなものでなし。道行く人々も暑さにへばったというよりも、うんざりした様子で肩を落としていた。
そんな大勢の通行人をうだらせる炎天下の中に、今朝の花中は立っていた。
現在地は近所の駅前広間の中心に置かれた、犬を象った銅像の傍。影を作るものは銅像しかなく、その銅像は花中の腰ほどの高さしかない。遮られる事なく降り注ぐ灼熱の光は花中の青白い肌を焙り、じりじりとした痛みを走らせる。今日の花中は半袖のブラウスと膝丈スカートという夏らしい格好でいるが、これほど日差しが厳しいと、直射日光を遮れる長袖長ズボンの方が快適だったかも知れない。肩に掛けたピンク色のポーチを掴む手が、じっとりと汗ばんでいた。
しかし今この瞬間に限れば、花中は暑さに恨み言を言うつもりなどない。むしろ感謝を伝えたいぐらいだ。
何しろこんなに暑いという事は、海に入ればさぞ気持ちいいに違いないのだから。
「いやはや天候に恵まれて良かったですねぇ」
「うんっ!」
隣に立つフィア ― 今日はワイシャツ+ジーパンという、派手好きなフィアとしては珍しくカジュアルな服装だ。端正な顔立ちと相まって凛々しい風貌と化している ― の言葉に、花中は何時も以上に元気な返事をする。普段ならここで自分の行いを恥じるところだが、今回は止まらないワクワクに羞恥心が押し流される。
今日は初めての、友達と一緒に行く海水浴。
先々週晴海達と共に練った『海に行こう』計画は、無事に進行していた。宿題を全くしていなかった事が親にばれた加奈子は、危うく外出禁止になるところだったが……晴海と花中の手伝いもあって、どうにかこうにかお許しが出た。
そうして迎えた当日。花中はフィアと共に家を出て、フィアと一緒に駅前まで来た。あとは待ち合わせをしている友人達が来れば、いよいよ海に出発だ。
「みんな、そろそろ来るかなぁ」
「来ないならそっちの方が私は嬉しいですけどね。花中さんと二人きりで遊びに行けるので」
「もぉー。フィアちゃんは、何時もそー言うんだから」
フィアの奔放な発言に笑みを零しつつ、話題に出した事で友人達の事が気になる花中。スカートのポケットからスマホを取り出して時間を確認する。
今の時刻は午前八時ちょっと過ぎ。集合時間は八時半なのでまだまだ余裕はあるが、待ち合わせている友人の一人は晴海である。真面目な彼女の事だから早めの到着を心掛け、色んな意味で危険因子である加奈子と共に来てくれると思われる。
案外、二人とももう見える場所まで来ているかも。
そんな淡い願望に突き動かされ、花中は辺りを見渡してみる。早朝でも昼頃でもない、外出向きの時間帯故今の駅前広場には人影が多い。車も数多く通っている。それでも友達の姿ならしっかり記憶に刻まれているので、視界に入りさえすればその姿を見逃す事はないだろう。
……まさか本当に見付かるとは思っていなかったのだが。『野生動物』達ほど優れてはいないが、人間の勘も捨てたものではないらしい。
「立花さーん、小田さーん」
花中としては元気な声で、見付けた人影に向かって声を掛けた。花中が見付けた二つの人影は、駆け足で花中達の方に近付いてくる。
「大桐さん、おはよう。フィアも元気そうね」
そして会話をするのに差し支えない距離まで詰めてから、人影の一人である晴海が、
「おはやっほー」
もう一方である加奈子も、明るく挨拶を返してくれた。
晴海はTシャツにジーパンという活発そうな格好をしており、対して加奈子は花柄ワンピースの上にカーディガンを羽織ったとても愛くるしい身形をしている。二人並ぶとまるでカップルのような、息の合ったファッションセンスだ。バックやアクセサリーなどの小物のセンスも良く、『今時』の女子らしい可愛さを存分に発揮している。
友達二人の姿に見惚れる事数秒。名前を呼んだだけでちゃんとした挨拶をしていない事に気付き、花中は慌ててお辞儀した。
「お、おはよう、ございます」
「お二人ともおはようございます。この通り今日も快調ですよ。私の身は水によって守られているのでこの程度の暑さなどへっちゃらですからね」
「夏の暑さっていうか、二千度ぐらいまでなら耐えられるって、何時だかフィアちゃん言ってたよね? 確かマグマの温度が千五百度だったような気がするんだけど」
「……常々思うけど、アンタ達の力ってどー考えてもオーバースペックよね。地球環境相手にも、人間相手にも」
「ふふん当然でしょう? 地球だろうと人間だろうと私からしたら有象無象も良いところです。何しろ私は最強ですからね」
「おぉー、すっげー」
不遜を通り越した自信満々な物言いに、加奈子は素直な拍手で褒め称え、晴海は呆れるように肩を竦めふ。花中としては聞き慣れた発言だが、だからこそなんだか可愛らしくて、くすりと笑みが零れた。
「……ところでミリきちは? さっきから姿が見えないけど」
そうしてしばし楽しく笑い合っていたが、ふと加奈子がそんな疑問を漏らす。
友達との会話に入れ込んで、うっかり言いそびれていた。失念していた話を思い出そうとする花中だったが、その前に不機嫌そうに唇を尖らせていたフィアが加奈子の疑問に答える。
「ミリオンの奴はまだ来てないですよ」
「来てない? 姿が見えないだけじゃなくて?」
「ええ。なんか大切なものを取りに行くとかなんとか言って今朝早くに家を出ていきました。待ち合わせ場所に直接来るとの話でしたので一緒には来ていません」
「ありゃ、そうなんだ……んー、まだ待ち合わせ時間には余裕があるから、しばらく待つかも」
「なら、此処じゃなくてあっちの日陰で待ちましょ。この暑さの中じゃ五分突っ立ってるのも危ないわ」
晴海は建物から伸びている、大きめの日陰を指差しながら訴える。成程、あそこなら日射しを遮れる分いくらか涼しそうだ――――そう思った途端、花中は急に全身が火照るような感覚に見舞われた。どうやら今まで嬉しさやら楽しさやらで、感覚器が麻痺していたらしい。子供のような体調の変化に、花中は炎天下らしく顔を赤らめた。
かくして花中達は日陰へと移動。熱くなった身体を涼ませる。
その後は適当な ― 例えば「そういやアンタ、淡水魚だけど海とか平気なの?」という晴海の問いに、フィアが「真水と海水を分けるぐらいどうとでも出来ますので」と答えたり ― 世間話をいくらか交わし、ゆっくりとだが時間が流れ……汗も引いてきて、そろそろ時間が気になりだした頃。
広間に一台の、タクシーがやってきた。
タクシーはそこらで見掛ける、ごく普通のデザインの代物だ。車窓から見える乗客は運転手に支払いを行い、会計が済むと自動的にドアが開く。
「ありがと。飛ばしてくれたお陰で間に合ったわ」
そして運転手に礼を言いながら出てきたのは、ミリオンだった。
彼女は今日も……いや、何時も以上にしっかりとした『喪服』姿をしていた。所謂ブラックフォーマルどころか、足首を隠すように丈が長いドレス風の、喪主であるかのような服装。最早ファッションとは思えない格好で、これから葬儀に行こうとしているかのようだ。実際には、遊びに行く予定なのに。
車を降りたミリオンは手を振ってタクシーを見送り、
「待たせてごめんなさい。道が空いてなかったら、危なかったわ」
花中達の方へと振り向いて、まずはとばかりに謝ってきた。
「全くです。我々がどれだけ待たされたか分かっているのですか?」
ミリオンのある意味
「もう、フィアちゃんったら……」
「てきとーに話してたから、時間潰しには困ってないわ」
「それに時間には間に合ってるからねー。それより何処行ってたの?」
「んー、ちょっとした野暮用ね。大したもんじゃないわ」
加奈子からの質問を、ミリオンは軽く躱す。必死な物言いでこそないが、割と分かりやすい誤魔化し方に花中は少なからず興味を持った。
「全員揃ったならそろそろ行きませんか? 私もうワクワクしてて早く行きたくて堪らないのですが」
……持ったが、フィアの我慢が限界を迎えたようだ。相変わらずの『マイペース』である。
とはいえ、最後の待ち人であるミリオンが来たので出発出来るようになったのは確か。此処でのんびりお喋りも悪くはないが、電車に乗り遅れたら本末転倒である。早めの行動をしておくに越した事はない。
それに、ワクワクドキドキしているのは花中とて同じ事。
「そう、だね。えと、そろそろ、行きましょう、か?」
「ん? あー、それもそうね。炎天下でお喋りするより、電車の中の方が心地良いだろうし」
「それでは出発進行ですねっ♪」
晴海の言葉をGOサインと認識したらしく、フィアは意気揚々と駅構内に向けて歩き出した。相変わらずの即断即決、誰もフィアの思考についていけない。
「ちょ、待ちなさいよ!? もぉー!」
「ごーごーごー♪」
慌てて晴海はフィアを追い、加奈子は意気揚々と晴海の後ろに続いていく。
人より鈍い花中はみんなが移動してから、ようやく自分が取り残されている事実に気付いた。このままでははぐれてしまうと、晴海達と同じ道を駆け
「あ、そうそう。はなちゃんにあらかじめ言っときたい事があるのだけど」
ようとしたところを、ミリオンに呼び止められた。つんのめり、危うく転びそうになるもどうにか急停止。驚きで波打つ心臓を抑えながら花中はミリオンの方へと振り返る。
「は、はい。えと、なん、ですか?」
「私、今はあんまり自由に力を使えないから、ピンチになったらさかなちゃん達と一緒に乗り越えてね」
「……へ?」
「まぁ、さかなちゃんが一緒に居るんだから、心配するほどの事じゃないと思うけど」
どういう意味か、と問い質す前に、ミリオンはそそくさとフィア達が行ってしまった方へと進む。我に返った花中も、急ぎ足で皆の下へと戻った。
しかし、心の中に芽生えた疑念は、そう易々とは潰えない。
こう言っては難だが、
そんなミリオンが、自分を守らないなんて。いや、守らないとは言っていない。言っていないが……自由に力を使えないとは、どういう意味だ? まるで力を失っているかのような――――
「(あれ? そういえばミリオンさん……なんでタクシーに乗ってきたんだろう?)」
ミリオンならばらけた状態で飛べば、車よりずっと速く、それでいてお金も使わずに来られるのに。
胸に込み上がる違和感。気持ちの悪い疑問……しかし考え込んではいられない。
「花中さーん切符ってどうやって買うんですかぁ-? なんかボタンがいっぱいでよく分かんないのですがー」
すっかり離れてしまった友達が、大きな声で自分に助けを求めているのだ。急がねばならない……色んな意味で。
溢れる恥ずかしさに押し流されて、疑念は頭の隅へと押しやられる。そうなると残ったのは羞恥と――――海への期待だけ。
「……うんっ。今行くから、ちょっと待っててー」
先程までの疑念はすっかり消え失せ、花中は友達の下へと駆けるのだった。
その後の旅路については、特に語る事もない。
機械音痴のフィアが切符を買うのに手間取ったり、迷子を見付けたり、乗り換えで迷ったり、花中から財布を盗もうとしたスリが超生物二体によってボロ雑巾にされたり……小さなトラブルはそれなりに起こったが、早めに行動したお陰で時間的には予定通りに行程を進める事が出来た。
即ち三人と二匹は電車に乗り、何度かの乗り換えを経て、
「到着ですよ花中さんっ!」
無事、目的の駅に到着したのであった。
真っ先に駅を飛び出したフィアは、目の上に手を当ててお上りさんよろしく辺りを見渡す。フィアの後を追い、続いて駅から出てきた花中はその微笑ましい姿にくすりと笑みを零した。そして自分もまた、初めて訪れた場所を眺める。
駅正面に広がるロータリーには車と人が溢れ、そこから伸びる大通りにはたくさんの商店が建ち並んでいる。ざっとお店を眺めたところお土産店や料理店が多く、如何にも観光地らしい光景だ。人々もたくさんの荷物を抱え、誰もが笑顔を浮かべている。雲一つない青空が、そんな景色の眩さを一層際立たせていた。
そして街並みの向こう側に広がる、大自然の姿。
乱立する建物に遮られて一部しか見えないが間違いない。白い砂浜と、太陽光を反射して輝いているアレこそが目的地。
「フィアちゃん! 海! 海が見えるよ! ほら、あそこ!」
「ほほぉアレが海でしたか。『知識』では知っていましたが実際に見てみるといやはや心躍ります。早く行きましょう!」
興奮気味に花中はフィアの肩を叩き、フィアも興奮を隠さず花中の手を握り締める。
一人と一匹は仲良く手を繋ぎ、痛々しいほどに強烈な日射しの中意気揚々と海を目指して歩み出した
ところ、一人と一匹は頭をぺちんと叩かれた。
「こらこら、あなた達二人っきりで来た訳じゃないでしょーが」
足を止めて振り返れば、ミリオンの呆れ顔とお説教の言葉が花中達を出迎える。
咎められてようやく浮かれきっていた自分の行動に気付き、花中は茹でダコのように顔を赤らめた。対してフィアは忌々しそうに舌打ち。不機嫌さを露わにした目付きでミリオンを睨む。
しかしミリオンがこの程度で怯む筈もなく、ちょいちょいと自らの背後を指差す。
その指先が正確に示していたのは、大勢の人々と共に駅から出てきた晴海と加奈子だった。
「やっと着いたわねー……」
「おおぉー! 絶景かなー!」
道のりだけで疲れた様子の晴海に対し、収まるどころか活性化した元気さを振りまく加奈子。
先走ってしまったが、これでようやく全員揃った。
いや、正確にはもう一匹来る予定なのだが……
「ミィの奴は、まだみたいね」
キョロキョロと辺りを見渡しながら、晴海がそうぼやく。
そう、ミィがまだ来ていない。
体重数十トンにも及ぶミィは電車に乗れない ― 下手をすると床をぶち抜きかねないので ― からと、彼女には徒歩で現地まで来てもらう手筈になっている。花中達の暮らす町からこの海沿いの町まで、直線距離にして五十キロはあるが……そこは『圧倒的身体能力』という能力を誇るミィ。本人曰く、最高速度で突っ走れば二秒で辿り着けるとか。その速さで駆け抜けられると複数の都市が壊滅しかねないので本気は出さないとしても、数分もあれば余裕で辿り着ける。
予定通りに着いた結果、ミィとの合流時刻まで十分ほどの猶予があった。今から地元を出発しても間に合うのだから、恐らくミィは時間ギリギリを狙ってくるだろう。なら、あと十分は此処で待たねばなるまい。
「そう、ですね。なら、少し休憩でも」
【皆さん! 聞いてくださいっ!】
取りましょうか、と言おうとした花中の言葉を遮るように、大きな音声が辺りに響いた。キンキンと耳に響く、スピーカー越しの声だった。
突然の声に花中達三人と二匹が揃って振り向けば、そこには白いワゴン車と、その前に並ぶ人の姿が見える。数人の野次馬らしき人物を除けば、車の前に立つのは三人。二人は清潔感のある私服姿をした若い女性で、非常にフランクな笑顔を浮かべている。
そしてその二人の間に立つのは細身の老人。牧師のような格好をした男性で、手にはマイクを握っていた。人当たりの良い笑顔を浮かべており、初対面の印象は悪くない。
やがて男性はハッキリとした、聞き取りやすい声で話を始めた。
【昨今、世界にはあまりに悲劇に満ちております。中国やアフリカ、ヨーロッパで起きた大量突然死事件は記憶に新しいでしょう。日本でも、原因不明の突然死が増えております。これは決して誇張や捏造ではなく、厚生労働省のホームページでも確認出来る内容です】
「そうなのですか花中さん?」
男性の言葉を疑問視したフィアから質問が飛んできたが、花中は口を噤んでしまう。
確かに、男性の言う事は正しい。
――――突然死。
大抵の人々は普段意識すらしていなかったこの単語が、今の日本人は、いや、世界中の人々は心の表層に浮かび、日夜震えているだろう。
何故なら七月下旬頃から、世界的に謎の大量突然死が頻発しているのだから。
これは決して都市伝説や噂話の類ではなく、テレビや新聞、インターネットのニュースでしかと報道されている情報だ。各国政府の公式発表もあり、今やこの話を嘘だと断じるのは余程の偏屈か、論理思考が壊れている狂人ぐらいなものだ。
詳細や原因は、発生時期とされている頃から一月が経った今も不明。ほんの数秒ほどの間に数万の人々が急死したアメリカのような事象もあれば、十代~二十代の一日辺りの突然死数が急増している日本のような例もある。中国やインド、アフリカやヨーロッパでも、多様な『突然死』が人々を襲っているらしい。尤もこれらが共通した事象なのかも判明していないが……世界中で死の匂いが強まっているのは間違いない。
もしかすると、先月クラスメートが亡くなったのも――――
脳裏を過ぎった暗い考えを払うように、花中は頭を強く振った。なんにせよ男性の話は事実であり、信頼出来る情報源も提示されている。単なる与太話では終わるまい
【世間では、この死は原因不明となっていますが……事実は違います。全ては、神への不信が招いた事なのです】
……などと思えたのは、ほんの数秒だったが。
【聖書を読まないどころか、神の存在すら疑う不信者が巷に溢れています。堕胎や不貞を許す歪んだ倫理観が幅を利かせている。罪は日々積み重なっています】
「分かりやすいカルトねぇ……」
ボソリとミリオンがぼやく。誰も、その言葉を否定しない。花中もつい、俯くように頷いてしまう。
ここ最近、宗教界の活動が活性化しているらしい。理由は簡単で、入信しそうな人が増えたから。先程あの男が演説していたように、大量突然死の発生自体は事実であり、にも拘わらず未だ原因不明。未知というのは非常に大きな恐怖だ。その未知を神への信心で和らげられるとなれば、不安を覚える人々が救済を求めるのは分からなくもない話である。
とはいえクラスメートが『突然死』により亡くなっている花中からすれば、そのクラスメートが罪人呼ばわりされているようであまり愉快な気持ちではない。フィアとミリオンは無関心な様子だが、加奈子と晴海は眉間に皺を寄せている。
「最近多いよね、あーいうの」
「実際突然死が増えてるのは、事実みたいだからね……ま、神様の仕業だなんて、あたしはこれっぽっちも思わないけど」
「だよねぇ……」
いよいよ我慢ならないとばかりに加奈子達二人は不平を漏らしたが、遠くで語る男の耳には届かない。男は変わらず持論を語り、稀に足を止めて耳を傾ける人が居たが、大半の人々は足早に素通りしている。花中達としても立ち去りたいのは山々だが、生憎ミィとの待ち合わせ場所が駅前なので離れる訳にはいかない。
【おまけに進化論という神の御業を否定する愚かな考えを、この国では学校で教えているのです! 全ての生命は神によって創造されたものであり、人間は他の動物とは異なる、神の寵愛を受けた存在だと言うのに! 進化論はあなた達貴い人々が、汚らわしい獣と等しいと述べている! あなたの赤子を、下等な生物と侮辱しているのです! 子供達には、あなた達は尊い存在であると教えるべきではないでしょうか!?】
男性の話はやがて教育関連に移る。今までとは力の入れようが違う。どうやらこれが、あの男の主張の『本題』なのだろう。別段創造論に思うところはないが……『突然死』が話のダシに使われたのは、流石に花中も頭に血が上るのを感じる。
「おっはよー」
いよいよ我慢が限度を迎えそうになったが――――しかし呑気な乙女の声により花中は我を取り戻した。友人達もハッとしたようで、全員揃って声がした方を見遣る。
何時の間にやってきたのか。現地集合の約束をしたミィがそこに居た。夏の暑さ故か、今日のミィの私服は中々大胆。胸元を大きく開けた洋服に、下着が見えてしまいそうなほど丈の短いズボンという身形だ。花中と大差ない小柄ながら、健康的で艶やかな四肢により、かなり色っぽく見える。小さなバッグを肩から掛けているが、水着などの荷物は全てそこに収まっているのだろう。
「あ、ミィさん……えと、おはよう、ございます」
「おはよ。なんかみんな、さっき固まってたけどどしたの?」
「アレのご講演があんまりにも素晴らしいから、聞き惚れてたのよ」
ミィの疑問に嫌味たっぷりな言い回しで答えた晴海は、未だ演説を行っている男を指差す。
最初は割とウキウキした様子で男の話に耳を傾けたミィだったが、一分と経たずに顰め面になっていた。
「……何、アレ」
「さぁ? 私にはよく分かりませんけど人間が一番偉いって思ってる人みたいです」
「ふーん……ぶん殴っちゃおうかなぁ」
フィアが煽るように付け足した一言で、ミィは自らの指をポキポキと鳴らし始めた。フィアやミリオンと違い比較的人間に好意的なミィであるが、彼女は猫である。猫をけなすような物言いは、逆鱗に触れるようなものだろう。
……果たして彼女が本気で怒って暴れたなら、神様はどちらに味方をするのか。
その状況に遭遇した男の姿を想像したら、ちょっとだけ花中は溜飲が下がった。本当に生き物を創造した神様がいたとしても、その神様は人間を特別だとは思っていないだろう。人間の知識を力に変えながら、人間の制限を一切受けない生命を創ってしまうぐらいなのだから。人間が今も平穏に暮らせるのは、彼女達の気まぐれに過ぎない。
その事実を知っている優越感を以て、あの男への怒りを鎮めるとしよう。
「気にしても、仕方ないですよ。それより、みんな揃ったのですから、そろそろ、海に行きませんか?」
「賛成。わざわざ不愉快な話を聞く必要もないし」
「さっさと行こー」
花中の提案に、晴海と加奈子も乗ってぞろぞろとみんなで歩き出す。ただ、やはり先の雰囲気を引きずっていて、いまいち機嫌が良くない。
ここは一つ、大きな掛け声で以て気持ちを切り替えよう。
珍しくポジティブな考えが浮かんだ花中は立ち止まり、一回、二回……三回、深呼吸。昂ぶりと強張りの両方に見舞われていた心を落ち着かせる。
それから大きく口を開けて、
「よ、よーし……う、海に向かって、しゅっぱ、どべっ!?」
友達との間に出来た距離を埋めるべく走りながら声を上げようとして、足がもつれて転んでしまった。顔が、痛い。
「花中さん大丈夫ですか?」
「う、うん。平気……」
フィアに呼び掛けられ、花中は顔を摩りながら答える。
顔を上げてみれば、フィアが自分の傍まで戻ってきていた。離れた位置では他の友人達が足を止め、自分をじっと見ている。
友達の視線に悪意はなく、むしろ心配してくれている。
それはハッキリと分かるのだが、自分の醜態を見られていると思うと恥ずかしく、花中は全身が燃えるように熱くなった。あまりに恥ずかしくて炎天下の道路の上で縮こまってしまうほど。日向のコンクリートは燃えるように熱かったが、身が火照っている花中には大した温度に思えなかった。
「もう。仕方ありませんね」
そんな花中の姿に何を思ったのか。フィアは花中の手を掴むや、力強く引っ張り上げた。
人外の怪力の前に、花中の華奢な身体など羽根のようなもの。軽々と身体を起こされ、花中はフィアの隣に立たされる。しかしフィアは花中の手を放さず、触感を楽しむように優しく何度も握り返してくる。
「これならもう転びませんよ」
やがて確信と自信を臭わせながら、フィアは胸を張って断言した。
一瞬なんの事か分からず、キョトンとなる花中。だけどすぐに理解して、思わず笑みが溢れてしまう。
「……うん。そうだねっ」
開けた口から出たのは同意の言葉。花中とフィアは合図も何もなく、自然と同時に歩き出す。待ってくれている友人達も何時の間にか、呆れるようでありながら楽しそうに笑っていた。
もう、さっきまでの事など忘れてしまった。足取りはスキップ交じり。胸の中には楽しみしかない。
ビルとビルの隙間から見える、光り輝く浜辺を目指して花中達は爛々と進んだのであった――――
生命は、海から生まれたと言われている。
哺乳類の祖先が陸に上がってからかれこれ数億年。人間は水中に適応した類人猿から進化した、という説もあるらしいが、現在主流な考え方ではないので脇に置くと、人類は祖先も含めて数億年は陸上で生活していた事になる。つまり歴史的に海の事など忘却の彼方にある筈なのだが、目の前にすると心がどうしようもなくざわめくのは、生まれ故郷に帰ってきた事を本能が理解しているからなのだろうか。或いは羊水と成分的に似ているとされる海水の香りが、母胎への回帰願望を掻き立てるのか。
いいや、小難しい話は抜きにしよう。
綺麗だから。楽しみだから。それだけで十分ではないか。頭を使って疲れるなんて勿体ない。どうせ疲れるなら、大はしゃぎをして全身くたくたの方が楽しいに決まっている。
だったらもう、躊躇う理由なんてない!
心の衝動に従って花中は駆け出し、
「ついに来たようぼうふっ!?」
ピョンッと跳ねながら昂ぶりを声に出した――――瞬間、恰幅の良いおばちゃんが横切り、呆気なく吹っ飛ばされた。花中は顔面から砂浜に着地し、蹴られたボールの如くごろんごろんと転がっていく。
「かかかか花中さぁーんっ!? 大丈夫ですか!?」
あまりにもひ弱な花中に、真っ先に駆け寄ったのはフィア。フィアに起こされ、花中は痛む鼻を擦りながらフィアを見る。
フィアの格好は、水着姿だった。
水着といっても水から作られた『ハリボテ』である。しかし首の後ろで紐を結び、胸元と背中が大きく露出している過激なデザインは、セクシーなスタイルを形作っているフィアによく似合う。黒を貴重にした色合いも艶やかさを強調し、元々麗しいフィアの魅力を一層引き立てる。異性ならば、きっと見ただけでメロメロになってしまうだろう。
かくいう花中も水着だ。フリルを付けたピンク色の、ワンピースタイプの代物。水着とはいえ肌を見せるのに抵抗があるので布面積の大きなもの選んだのだが、デザインが可愛いので気に入っている。
普段なら他人に見せるのも憚られるセクシュアルな格好は、この場においては正装である。花中は足下の砂を無意味に踏み締め、潮風の香りを取り込もうと鼻をすんすん鳴らしてしまう。
そう。自分達は今、海に来ているのだ!
「えへへへへー。フィアちゃん、水着だぁ。わたしも水着だよぉ」
「……花中さんフレンドリーな事が好き過ぎるあまりついに頭がおかしく……何時かはこうなるのではと思っていたのですが」
「おい」
中々失礼な事を独りごちるフィアを窘めたのは晴海。彼女もまた水着だ。オレンジ色のビキニで、可愛らしさと色香を両立させている。
「いやはや来ましたなぁ」
「来たねぇ……」
後からやってきた加奈子とミィも水着だ。サングラスを掛けている加奈子はビキニの上にパレオを巻いた、風変わりながら艶やかな格好をしており、ミィは何処で手に入れたのか競泳水着を着ている。
友達みんなが水着を着ている。先程吹っ飛ばされた痛みで、これが夢でない事は明らかだ。
今更ながら、だけどとても強く、花中は意識する。
「海に、来たんだぁ……!」
感極まり、花中は今度こそ想いの昂ぶりを声に出した。
「ぶっちゃけ全然見えませんけどね海」
途端、冷めたようにぼやいたのはフィア。
その言葉で一気に気持ちを現実に引き戻され、花中はぴくりと笑みを引き攣らせた。
友達みんなで海に来た。これは間違いない。二匹と三人は確かに、数キロメートルに渡って続く砂浜の一部に立っている。
しかし見渡せど見渡せど、見えるのは行き交う人々の姿ばかり。人と人の隙間を奥の人が埋め、残った僅かな隙間も更に奥の人が埋める。パラソルやらなんやら、人工物もぎっちりだ。砂浜に押し寄せる波の音の代わりに、ぎゃーぎゃーわーわーとした賑やかな騒ぎ声が耳を満たす。香りも、よくよく嗅ぐとソースや醤油の匂いが混ざっていた。
ぶっちゃけ、人と物しか見えない。音も聞こえない。磯の香りが食べ物臭い。
冷静になると、喜びはすっかり静まり返ってしまった。
「いやー、やっぱり激混みだね。予想通り」
「夏だし、人気の海水浴場だからねぇ……」
ケラケラ笑う加奈子に対し、晴海は呆れたように肩を竦める。これではとてもじゃないが泳げない、と言いたいのだろう。
真っ盛りの暑さに、しかも夏休み真っ只中。海水浴場が人でごった返すのは必然と言えた。花中もいくらかの混雑は予想していたが……しかしまさかこれほどとは。
それになんというか、誰もが色々とパワーに満ち溢れているように見える。基本脆弱な花中にはあの人混みを掻き分ける力などない。果たして生きて海まで辿り着けるかどうか。
だが海まで行かねば、なんのために此処まで来たのか分からない。いや、みんなでお出掛けという時点で割と花中は幸せいっぱいなのだが、どうせならもっと幸せを堪能したい。それに肌を露出したまま真夏の太陽に焙られるのは危険である。何もせず突っ立っている訳にはいくまい。
「うーん。どうしよっか、フィアちゃん……あれ?」
これからの事を相談しようと、花中はフィアを呼ぼうとした――――ところフィアの姿がない事にふと気付く。
何処に行ったのだろう? 居場所を尋ねようと人間の友達の方を見れば、晴海と加奈子はある場所を指差す。促されるまま、花中はその指先が示す方向を見遣った。
「へーい彼女ぉ、俺達と遊ばない?」
「穴場知ってるからさぁ、一緒に行こうぜー」
「ほほう穴場ですかそれは良い話ですねぇ」
そこには、若い男二人と仲良く話すフィアの姿があった。
そこには、若い男二人と仲良く話すフィアの姿があった。
そこには、若い男二人と仲良く話すフィアの姿があった。
瞬きをして何度も網膜の映像をリセットしたが、花中の眼に映る光景に変化は起こらなかった。
「って、ナンパされてるぅぅぅぅぅぅぅ!?」
「中身はゲテモノ系だけど、外面は良いからねぇ……」
「というか、アレって露骨に人気のない場所に連れ込もうとしてるよね。フィアちゃんなら何処に連れてかれてもケロッと帰還するだろうけど」
「多少ボコボコにされるかもだけど、まぁ、女の敵っぽいからどーでも良いけど」
「だね。不埒じゃないなら無事で済むし、ほっとこうか」
「!?」
何を暢気しているのか。そう思う花中であるが、されど晴海達は動かない。あの男達がフィアの機嫌を損ねたところで、大事には至らないと思っているのだろうか。
花中とて、フィアがあの男達に無闇に危害を加えるとは思っていない。確かにあの男性達、発言からして色々怪しいとは思う。浮かべている笑顔も、こう言っては難だが下心を感じさせる。恐らく人気のない場所にか弱い女性を連れ込み、集団で『暴行』するつもりなのだろう……邪推に過ぎないとはいえ、強い恐怖と、同じぐらいの怒りを覚える。
されどフィアは『フナ』である。自分の産んだ卵を見ず知らずの雄が受精させるという繁殖方法の彼女に、婦女暴行の何がいけないのかなど理解出来る筈もない。男達に絡まれても殺すほどの憎悪は抱かず、鬱陶しい蝿を払い除けるが如く適当に蹴散らすだけだろう。
問題は、彼女の適当が『適切な』という意味ではなく、いい加減な、の方である事。
人間への悪意はないが、好意もないのだ。その上フィアは人間よりも圧倒的に強い。あまりにムカついたので力加減を忘れてしまいうっかり頭部粉砕、なんて展開になったら……
「ねー、花中ぁー」
「あ、あの、ちょっと待っ……」
死人が出るかも知れない事態に右往左往する中、ふとミィが暢気に呼び掛けてくる。目の前の状況への対応すら纏まっていない今、少しだけ待ってもらおうと花中はミィの方を振り向き、
下半身が砂にずっぽり埋もれているミィを見て、頭が真っ白になった。
目をパチクリさせながら凝視したが、ミィの下半身は砂にずっぽり埋もれたままだった。
「……………え?」
「なんかどんどん沈んでくんだけど、どうしよう?」
「し、沈んでるぅぅぅぅぅぅぅぅ!?」
どうやら砂浜では、ミィの重量を支えられなかったようだ。
考えれば分かった筈の事態に、うっかり失念していた花中は更に戸惑う。沈んでいる当人は割と平然としているのでいざとなったら脱出は容易なのだろうが、動揺する花中はそこまで考えが至らない。
「うーん。大桐さん、どうしよっか?」
「どーしたら良いかなー?」
更には晴海や加奈子までもが意見を求めてくる始末。恐らくミュータントについては花中の方が詳しいので、『専門家』に意見を窺おうという合理的判断の結果だろう。が、生憎現在の花中は絶賛パニック状態。まともな案など浮かばない。
「花中、どうする? 力尽くで脱出すると、辺り数十メートルが余波で吹き飛ぶと思うんだけど……」
「花中さぁーん親切な人達が穴場とやらを教えてくれましたよ! 一緒に行きましょー!」
「つーか暑くて死にそう……長引きそうなら日陰に行くけど」
「私は早く泳ぎたーい」
されど現実はどんどん前へと進んでいく。
ああ、いっそ気絶したら楽かなぁ……などと思えば、花中はすっと意識が遠退くのを覚えた。
「やれやれ。ちょっと目を離したらこの有り様って……幼稚園児でももうちょっと統率力があるんじゃないかしら」
が、それを引き留める聞き慣れた声。
ポンッと肩を掴まれた刺激で我を取り戻し、花中は背中側へと飛び付くように振り返る。
海まで来たのに相変わらず喪服姿の、ミリオンが居た。
「み、ミリオンさぁん……!」
「もう、泣きそうな顔しないでよ。私が虐めてるみたいじゃない」
困ったようにぼやきながら、ミリオンは花中の頭をポンッと一撫で。花中の横を通ってミィの下へと向かい、埋もれる彼女の手を掴むや力強く引っ張る。人間ならばビクともしない超重量だが、ずるずると、ミィの身体は少しずつだが上がっていく。
そのまま順調に引っこ抜いて、ミリオンはミィの穏便な救出に成功した。ミィは身体に付いた砂をはたき落とし、元気な姿で伸びをする。
「いやー、流石ミリオンだね。助かったよ」
「いらない手間掛けさせないでよね。あとさかなちゃん。あの連中は色々怪しいから断ってきなさい」
「? 怪しいのですか? でも穴場が……」
「穴場は私も見付けたから大丈夫よ。大体はなちゃんが苦手な男の人を引き連れてどうすんのよ。嫌われるわよ?」
「むぅ……ふんっ。私が花中さんに嫌われるなどあり得ませんしあなたに従うのも癪ですが花中さんが嫌がる事をしても仕方ありません。断るとしましょう」
反抗心を剥き出しにした態度で、それでいて子供のように素直にミリオンの意見を受け入れたフィアは先程の男達の下へと向かう。しばらくして複数の野太い悲鳴が上がったので、話し合いは問題なく進んだようだ。
「ほら、二人には日傘を上げる。一本しかないけど、二人なら入るでしょう。それでもうちょっと我慢なさい」
「あ、ありがと。助かったわ」
「さっすがミリきちだー」
そして暑がる人間達には、何処からか取り出した日傘を手渡した。晴海と加奈子を身を寄せ合い、一本の傘の下に収まる。密着しては暑いだろうが、日射しのシャワーよりはマシなのだろう。二人の表情がいくらか和らいでいた。
右往左往していたとはいえ、花中が考えていた時間よりも素早く、ミリオンは全ての問題を解決してしまった。あまりにも見事な手際に、花中は一瞬ボケッとし、それからすぐに尊敬の眼差しを向ける。
「あ、ありがとう、ございます! わたし、どうしたら良いか、分からなくて……」
「このぐらいお礼を言われるほどの事でもないわよ。それより、行きましょうか」
「? 行くって?」
キョトンと首を傾げる花中を見て、ミリオンはおどけるように肩を竦める。
「さっきさかなちゃんに言った通りよ――――穴場、見付けてあるから、みんなで行きましょ」
それからウィンク混じりの愛らしい笑みを浮かべて、自慢気に答えるのだった。
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