ファースト・フレンズ6

 ミリオンに捕まってから、一体どれだけの時間が経ったのだろうか。

 最初は暴れ続け、やがて疲れて動けなくなり、ぐったりしていたら疲れは完全に取れてしまった……それぐらいの時が流れた頃、花中は身体が自由を取り戻したのを感じた。

 取り戻したと言っても、相変わらず視界は黒いまま。ただ、自分の足は地面を踏み締め、身体は真っ直ぐ立たされている感覚がある。手足を動かすのに支障はない。

 此処がどんな場所なのか、視覚以外の感覚で探ってみる。それで分かったのは足元がゴツゴツとした岩場になっている事、その岩場が靴越しでも分かるぐらい湿っている事、周りの空気がねっとりとした湿気と熱を帯びている事、土や石の臭いが非常に濃い事。

「はい、とーちゃーく」

 そして耳に届いた、明るく振る舞っているように聞こえる声から『奴』が近くに居る事。

 刹那、黒かった視界が白くなる。

「うっ……!?」

 花中は思わず目を守るように両手を翳す。そんな無意識の反応で、視界を覆う白さが色ではなく眩い輝きだと気付いた。

 目が慣れるまでじっと耐えてから、花中は恐る恐る目を開ける。

 花中が見たのは、青味掛かった岩の塊。右を見ても左を見ても、下を見ても上を見ても岩しかない。見える範囲は全て岩だ。

 どうやら此処は、何処かの洞窟らしい。二~三メートル先の景色は前後共に闇に飲まれて全く見えず、自分の立ち位置が洞窟のどの辺りなのか、この洞窟が何処まで続いているのかは見当も付かない。だが先の見えない闇は、奈落の底まで続いていそうな『深さ』を感じさせる。

 と、光が一切届かない洞窟内でここまでハッキリと景色が見えている理由は、

「どうかしら? 明る過ぎない?」

 花中の正面で楽しそうに振る舞うミリオンの手が、まるでランタンのように輝いていたからだ。

 ぼうっと照らし出されるミリオンの顔はにやにやと笑っている風で、その顔を見た花中は――――静かに、項垂れた。

「……………」

「うーん。返事ぐらいはしてほしいわねぇ。確かにがあった後だから仕方ないかもだけど」

 ミリオンが何気なく漏らした、あんな事、の一言で花中は身体をビクッと震わせる。

 わざわざ細かく言ってもらわなくとも分かる。あんな事とは、フィアが……『死んだ』時の事だ。

 花中を守ろうとして、フィアは死んだ。死体は見ていないし、破裂したのは水で出来た偽りの身体だから、生還している可能性はある。だが、遠く離れた花中にまで伝わるほどの衝撃を伴う破裂を、無傷で切り抜ける事は不可能だろう。少なくとも動き回れる状態にあるとは思えない。

 それに花中は、フィアを裏切ってしまった。

 ミリオンに捕まった時、大人しく捕まるからフィアには手を出さないでと言えば良かった。そうすれば、もしかしたらフィアは何事もなく解放されたかも知れない。

 だけど怖くて出来なかった。フィアが助けてくれると、甘えてしまった。

 フィアに危ない事を押し付けたのはこれで二度目。一回目で既に嫌われたのに、二度もやったら顔も合わせたくないぐらい嫌われているに決まっている。

 きっと、フィアはもう自分を助けてくれない――――その想いが花中の身体を縛り、動けなくする。

「ま、大人しい分には楽で良いか。さて、それじゃあ私の後ろをついてきてね」

 威圧感のない笑みと共にミリオンはそう言うと、花中の手を引く事もなく歩き出してしまう。道が狭いからか、他のミリオンが現れる気配はない。こっそり逆方向に歩き出せば、案外あっさりと逃げられるかも知れない。

 花中は後ろを振り返り、

「……」

 少し立ち止まった後、結局ミリオンの後を追った。

 湿り気を帯びた足元の岩は滑りやすく、ましてや今履いている学校指定のブーツはこのような地形を想定したものではない。油断すればすぐに足を滑らせ、頭を固い岩にぶつけてしまうだろう。慎重に、一歩一歩踏み締めて歩く。

 当然その歩みはとてもゆっくりなものだったが、合わせているのかミリオンの歩みもとても遅かった。暗闇に一人取り残される事もないが、中々前へと進まない。ミリオンの手の明かりも辺りを照らす程度しかないため、行く先に何があるのかさっぱり分からない。

 一体この先に何が待ち受け、そして……

「わたしは……どう、なるのでしょうか……」

 花中の口は無意識に、その疑問を呟いていた。

「どうなる、かぁ。その問いに答えるのは簡単なようで難しいわねー……一言で言えば、死ぬ、なんだけど」

 ミリオンはあっさりと、心の籠っていない答えを返す。『死ぬ』という恐ろしい単語はしかと花中の耳にも届いたが、あまりにも無味乾燥に言われたからだろうか。花中はその言葉に、あまり恐怖を抱けなかった。

「死ぬ、の、ですか」

「ええ」

 だから淡々と訊き返し、ミリオンも淡々と肯定した。

 死にたいかどうかで言われたら、死にたくはない。けれども、まるで爆弾の如く打撃力を誇るフィアですら叶わなかった相手から逃れられるとは思えないし……折角出来た友達とこんな簡単に仲違いしてしまうような自分でも、死ねば誰かの役に立てるのなら、それはそれで良いような気がした。

 知りたい事があるとすれば、精々その死によって何が得られるかぐらいなもので。

「……わたしが、死ぬと……あなたには、何か、得るものが、あるの、でしょうか……?」

「そうねぇ。ま、説明ぐらいしてあげないと可愛そうよね。目当ての場所までまだあるし。少し長くなるけど、私の昔話をしてあげる」

 ミリオンの声は懐かしむような、それでいて恥ずかしげ。これから人を殺そうとする者の話し方ではないし、今までミリオンがしていた無感情なはしゃぎ方でもない。

 沸いてきた違和感は好奇の心を刺激する。花中は俯かせていた顔を僅かに上げた。

「私ね、昔、ある人間と暮らしていたの」

「……人間?」

「そう、人間。あの人と会ったのは、今から七十五年と二百七日前。世界がまだ戦争を好み、人々が、自然とは支配するべきものだと信じて疑わなかった時代。そんな時代に生まれたのに、あの人は全ての生き物を愛する心を持っていた」

「……………」

「あの人は生物学者だった。あの人の研究対象は私。人の言葉を話し、その言葉の意味を理解するだけの知性を有する生物とはどんな存在なのかを調べようとしていたわ。だけどね、それは名誉とか、富とか、地位とか……そういうのを求めて研究した訳じゃないの。実際あの人は私の事を世間に発表しなかった。発表したら歴史に名が残る大発見なのにね」

「……じゃあ、なんで研究したの、ですか?」

「君の事をもっと知りたいから……あの人は、そう言ったわ」

 そう言ってミリオンは花中の方へと振り向き――――花中は驚きで、目を丸くする。

 今まで色のない笑みしか浮かべなかったミリオンが、ふにゃりと、今にも蕩けてしまいそうなぐらい愛らしく笑っていたのだから。

「嬉しかった。幸せだった。だから私はあの人に全てを捧げた。身体の一部を切り取られたり、薬品漬けにされたりもしたわ」

「そ、そんな!? 酷い………」

「そうね、確かに酷いかもね。でも私は気にしなかった。失った分の身体はいくらでも代えが効くし、何より、一つ一つでも、あの人が私の事を知ってくれるのが嬉しかったから」

 自分が受けた残忍な行為を話す最中もミリオンの語り口は柔らかく、表情に悪意は全くない。それどころか、直接的な単語がなくとも分かるだけの好意に満ち満ちている。

 もしもミリオンがフィアに酷い事をした者でなければ、花中は訊いていただろう。

 ――――その人の事が好きだったのですか、と。

「その研究の中であの人は、私がどんな存在なのか、一つの仮定に辿り着いた」

 訊けなかったがために話はそのまま進み、そして、花中としてはミリオンの生い立ち以上に気になる事が語られた。

「……それって、つまり……」

「さかなちゃんを含む私達のような、奇妙で、異常な生命についてよ。あの人は、その発生の理論を組み立てたの」

 ミリオンは胸を張り、自分の事のように誇る。しかしそこから先を中々話し出そうとしない。流れる沈黙には期待が感じ取れる。

「えっと……一体、何者なのですか……あなたと、フィアちゃん、は」

 恐る恐る、花中は尋ねてみた。

「既存の種から進化した、新生物よ」

 するとミリオンは待ってましたと言わんばかりに『真実』を明かし――――花中は、小さく肩を落とす。

 生物の進化は、今も起きている。

 種が分化するほどの進化には数万年から数十万年が必要だと言われているが、個体群の性質が変化する ― 例えば害虫が殺虫剤への耐性を持つようになったり、魚を乱獲した結果成熟年齢が早くなった個体が数を増やしたり ― 程度の『進化』なら、数十年、数年程度でも起こりうる。そして人類という種が生まれてから……火を用い、文明を築き、自然破壊を始めてから既に数万年の月日が流れた。人類という存在に適応した種が現れるのは、決して不自然な事ではない。

 そうして生まれた存在がフィアだとしたら?

 人の姿を持ち、人の知性を持ち、人を超越する戦闘能力を持つ。人類が数多の生物を絶滅させている今の地球環境に適応した、人類に決して滅ぼされないための力を持った生物だと考えれば……その誕生は、必然と言えるかも知れない。

 とはいえ、ここまで詳細には考えていなかったが、フィアの存在について疑問を持ったあの時――――学校でフィアと再会した際人工生物説を否定した花中は、フィアはであると思っていた。人が作ったのでなければ、自然が生んだ以外にない。ミリオンの話は良く言えば答え合わせであり、悪く言えば今更な内容だった。

「まぁ、正確にはある特徴を持つという変異を起こしたってだけで、種分化を起こすほどの進化はしてないんだけどね」

 この言葉を付け足すまでは。

「……え?」

「私達みたいな超生物、真っ当な進化じゃ何億年掛けても至る訳ないでしょう? つまり真っ当じゃない、裏技的な進化……突然変異を起こしたのよ。だから新種というよりミュータントと呼ぶべきね」

「裏技……?」

「特定の人間と『知識』を共有する、という形質の獲得よ」

 ミリオンはさらりと答え、花中は眉を潜めた。

「知識を、共有……あ、あの、意味が……」

「はなちゃんは、脳波って知ってる?」

「え? あ、えっと……脳が、活動している時に、出す……電流だった、かと……」

「そう、その脳波。一般的にα波やβ波がよく知られているけど、実は人間の脳波には世の中に知られていない、未だ観測もされていない特殊なものがあるの。あの人はその脳波を『伝達脳波』と名付け、存在を予言していた。で、その伝達脳波は個人の脳内に留まらず周囲にまで伝わり、人間が持つ『知識』の情報が詰まっているという仮説を立てたの」

「知識が、詰まって、いる?」

「ええ、ぎっちりと。さかなちゃんや私はその脳波を受信出来るという突然変異が起き、人間と知識を共有しているって訳。知能が高まるのは知識を持つ事で起こる擬似的な現象に過ぎない。さかなちゃんの水を操る能力とかは、突然変異を起こす前から種が持ち合わせていた力を知性によって制御し、極限の大きさで発揮する……実は特殊能力でもなんでもないのよ。ほら、カマキリはその年に積もる雪よりも高い位置に卵を産むって言うでしょ? アレだって超能力っぽいけど、超能力ではない。それと同じね」

「脳波を、受信……共有……」

「何か、気になる?」

 出てきた単語を一つ一つ言葉にして噛みしめる花中に、ミリオンは返答を促すように尋ねてきた。しかし花中はそれに気付かぬまま、記憶を手繰り寄せる。

 知識を共有と言われても普通なら信じられない。けれども花中には『予感』があった。

 『予感』の源は、学校でフィアと出会い、そして一旦別れようとした際に覚えた違和感。フィアが言った「この辺りの事はよく知らない」という言葉。

 少なくともフィアは、晴海が水を掛けられた時間帯である朝のホームルームの前後には学校に着いていた。つまり家の戸締りを終えた後、花中と左程間を開けずに『登校』してきた事になる。足の遅い花中でも走れば十分ほどの道程とはいえ、通行人に道を尋ね、その言葉を思い出しながら慎重に進むだけの時間的猶予はない。即ちフィアは、真っ直ぐ、迷わず、尋ねず、通学のための最短ルートを進んだとしか思えない。

 山奥で暮らしていたフィアはどうやって学校への行き方を知ったのか。道順を知っているのに、何故周りの事を知らないのか。何処で日本語を学んだのか。『身体』のモデルは誰なのか……フィアの知識の『入手先』には謎が多過ぎた。

 その謎に対する答えとして、ミリオンの話は最適だ。『誰か』と知識を共有しているのなら入手先も何もあったものではない。知っているものは知っている……それだけの話になるのだ。

「ちなみに、全ての知識を共有している訳じゃないわ。母国語関係はほぼ完全だけど、機械の操作とか科学知識とか、雑学的な知識は個体差が大きいみたいだし……思い出は殆ど共有されない。だから知識を共有している人間の事は何もかもお見通し、とはならないの。当然人格形成にはその生物の本能も関わるから、同じ知識があったとしても同じものの考え方をするとは限らないわ」

 理解を後押しするように話を付け足すミリオン。反論はなく、花中は小さく頷く。

 残る疑問は一つだけ。

「それが……わたしが死ぬ、事と……どう、関係するのでしょうか……」

 すっかり逸れてしまった、本題だけだ。

「……最大の理由は、伝達脳波を発する人間が非常に少ない事ね」

「え? 少ない、の、ですか……?」

「少ないわね。私は伝達脳波を出す人間を求めて三ヶ月ぐらい世界を探し回ったけど、ざっと六十五億人以上をチェックして見つかったのははなちゃん一人だけだった」

「な、六十五億!?」

「カウントは適当だけどね。でもヨーロッパからアフリカ、アジアにかけての地域は虱潰しで探した。残るはアメリカ大陸と大海原に浮かぶ島々、それと辺境の地に潜む住人ぐらいかしら。で、そこまでして私が『あなた』を探していたのは、伝達脳波が途切れると私達は知性を維持出来なくなるから」

 驚く花中に微笑みを返しながら、ミリオンは自身の頭を指でとんとんと叩く。

「完全な状態で維持出来るのは精々一年。五年もすれば完全に元の、本能だけで生きる畜生に身を落としてしまうわ。能力も使えなくなるか、使えたとしても子供騙し程度にまで落ち込むでしょうね……さて、ここで問題です。伝達脳波の『供給』を途切れさせないためにはどうすれば良いでしょう?」

「それ、は……」

 ミリオンのクイズに、花中は言葉を詰まらせる。脳波の供給とはつまり、伝達脳波を発する人間の傍に居る事だろう。しかし人間は何時か死ぬ。死んだら脳波は出なくなるので、その時は新たに伝達脳波を発する人間を探さねばならない。

 とはいえ『世に知られていない特殊な脳波を出す人間』の居場所なんて見当すら付かない。だから愚直なまでの正攻法……足で虱潰しに探すしかないだろうが、ミリオンの話によると伝達脳波を持つ人間は六十五億人中たったの一人。世界人口は現在推定七十数億人であり、今の地球に花中以外伝達脳波を発する人間が居なかったとしてもおかしくない。それどころか花中の死後、ミリオン達が知識を維持出来る五年の間に次の『持ち主』が現れない事も、現実に起こり得る問題だろう。

 普通の方法では脳波が途切れるのを止められない。なら、ミリオンの問いの答えは普通じゃない、異常な方法となる。

 普通の人間である花中には異常な発想なんて浮かばず、降参を表すため首を横に振る。

 ミリオンは降参した花中に、すぐ答えを教えてくれた。

「正解は、伝達脳波を出す人間を作る、でしたー♪」

 普通じゃない――――普通じゃなさ過ぎて、花中が愕然としてしまう答えを。

 人間を作る。

 寒気がするその言葉の意味を考えたくなくて、花中は真意を問う事も出来なかった。しかしミリオンは花中の気持ちなどお構いなしに、心底嬉しそうに語り出す。

「伝達脳波を受信するという性質が突然変異で発生するように、伝達脳波を出すという性質も突然変異、つまり遺伝子が関わっているに違いない。だったら伝達脳波を発する人間と、同じ遺伝子を持った人間を作れば、そいつもきっと伝達脳波を発する筈。そうは思わない?」

「そ、それは……で、でも、人を作るなんて、どうやって……」

「クローン」

 突拍子もない事をあまりにも普通に伝えられ、花中は言葉を失う。

 両親の影響もあり、花中は割と科学者寄りの思想を持っている。倫理観から外れているマッドサイエンティスト的な発想も、否定しても部分的になら賛同してしまう事も間々ある。

 その思想の上で考えても、ミリオンのやろうとしている事は受け入れられない。人間を作るなんて神への冒涜だ、とは言わないが……やって良い事ではない。愛の形以外で人間を産み出すなんて、論じるまでもなく倫理から外れている。

「クローンって……そんな……ど、どうやって……」

「私は体細胞から遺伝子を抜き取り、他の細胞に埋め込む方法を知っている。勿論適当な細胞に遺伝子を組み込んでもクローンは作れないけど、でも受精卵さえ手に入れば、そこからならクローンを作り出せる。実際犬のクローンはなんとか作れたもの。人間はまだやってないけど、哺乳類同士なんだから大した違いはないでしょーし」

「で、でも、その……だったら、なんでわたしは、死ぬ事に……クローンを作るのに、わたしの生死は、か、関係、ない、です、し……フィアちゃんと、争う必要も……」

「私が未熟なせいで、クローン生成の成功率はそんなに高くなくてね。それに元となる細胞からDNAを抜き取る際の失敗も多い……というか殆ど失敗しちゃうの。経過観察もしたいから、作りたいクローンは最低でも三体。で、ざっと計算したところ、三体のクローンを作るには、はなちゃんの体内にあるDNAの七割を頂く必要があったの。七割も奪われたら、多分はなちゃん死んじゃうわよねぇ?」

 ひょっとしたら死なないなんて思ってもいない癖に、わざわざ訊いてくるミリオンに花中は嫌悪にも似た寒気を覚え――――そして眉を顰めた。

 伝達脳波を出すという花中の体質が遺伝によるものなら、クローンで脳波を持つ人間の量産は可能になるだろう。安定的に『生産』すれば脳波が途絶える事はなくなり、ミリオンは知識を失う心配がなくなる。倫理的には最低でも理論上は最高の方法、に見える。

 けれども、見えるだけ。花中が考える限り、この方法は『最悪』だ。

 理由はいくつかある。クローンを産むための母胎をどうやって手に入れるのか、受精卵はどうやって入手するのか、弄った受精卵を母体が素直に産んでくれるのか、遺伝子は環境次第で発現しないものもあるのでクローンが伝達脳波を出すとは限らないのは……等々。花中から遺伝子を取り出した後も問題は山積みだ。

 何より一番の問題は、花中を今殺してしまう点。

 命乞い云々抜きに、花中は貴重な、世界で唯一かも知れない『サンプル』だ。いくらクローン作製が最終目的だとしても、上手くいくか分からない実験で殺すなんて、あまりにもリスクが大きい。しかも得られるのは最大でもたった三体の、目当ての形質が出るか分からない個体だけ。賭けに出るには、あまりにも分が悪い。

 確かに、特殊な脳波を出すと言っても花中はただの人間なのだから、些細な事で命を落とす可能性は否定出来ない。死体から取り出すより、生きている状態で取り出した遺伝子の方が劣化していないのも事実。しかし、だったら今殺そう、なんて発想は短絡的過ぎる。もしもに怯え過ぎて計画を破綻させては元も子もない――――

「(……あっ……)」

 花中は、目を見開く。

 そう。普通なら花中が予想した通り、ミリオンは花中を殺すなんて選択は取らない。だからその選択を取らざるを得なかった、何かしらの原因があると考えるべき。

 他人の意図を察するのは花中の苦手分野であるが、今回は例外だ。目的のためなら他者の命を奪えるほどの覚悟を持っておきながら、ゴールが見えた途端全てのリスクが目に入らなくなり、ゴール目指して暴走する……

 焦っている事は、火を見るよりも明らかだった。

「(知識の保持だけが目的なら、こんな焦り方はしない……何か、ある。まだ何か、ミリオンさんが話していない事が……)」

 訊きたい。知りたい。

 でも、

「さぁ、着いたわよ」

 話は唐突に終わってしまった。

「え? あ……」

 足を止めたミリオンに驚き、慌てて花中も立ち止まる。ミリオンはそんな花中の方へと振り返り、愉悦に歪んだ笑顔を見せると、すぐに正面を向き直した。

 そしてミリオンは手から放っている、今のままでも十分洞窟を歩ける光をより強く輝かせ――――広範囲を照らし出す。

 花中は、自分達が開けた場所に辿り着いていたのだと知った。

 正確な面積は測りかねるが、草野球程度なら出来そうな広さがある空間だった。天井も高く、小さなドーム球場のよう。あちこちに人一人は通れそうな穴が開いていて、何かが出てきそうな、異様な雰囲気を漂わせている。そして地面は真っ平ら。整地されているかのようで、中心部には綺麗な四角い台……『祭壇』と呼びたくなる物体が自己主張していた。

 この空洞自体は自然現象で出来たのだろうが、何かしら『人』の手が加わっているのを花中は感じ取る。無論、手を加えた者は一人しか思い当たらない。

「ここ、は……」

「私の秘密基地」

 花中の独り言に答えるとミリオンは歩き出し、『祭壇』に上がる。

 ミリオンはそこで舞うようにくるりと一回転。

「お喋りはここまで。そろそろはなちゃんには、私のために死んでもらうわね♪」

 踊り終えたミリオンは、殺意の言葉と共に両腕を広げた。

 それは、花中に自らの意思でこちらに来いと主張しているのだろうか。

 今でも死にたくはない。でも自分に抗う力はない。なら誰かに助けを求めるしかない。両親は助けを求めればきっと助けようとしてくれるだろうし、晴海も、もしかしたら助けようとしてくれるかも知れない……当てはいくらか思い付く。最後に一言伝えたいと駄々を捏ねれば、一瞬でも彼等の下に行くチャンスを掴めるかも知れない。『最善』を尽くせばまだまだ死を遠ざけられる。

 しかし、花中はそうしようとは思わない。

 もう、巻きこみたくない。折角友達になってくれた人を傷付けてしまうような自分に、守ってもらうだけの価値なんてない。こんな自分のために、もう誰も傷付いてほしくない。

 だからこのまま、黙って消えてしまうのがみんなにとって一番良い筈。

 だから花中はミリオンの胸に抱かれようと思った。

 ――――思うのに、胸がチクリと痛んだ。

「……っ」

 胸を抑える花中の脳裏に過ぎるのは……フィアの顔。

 最後まで自分を助けようとしてくれて、最後は水飛沫と共に姿を消した『友達だった子』。絶交の言葉を聞きたくないから逃げて、その後ミリオンとの戦いになって……だから、花中は彼女に謝っていない。

 謝ったところで何も変わらないだろう。命懸けの行為を無下にするような事を言って、許してもらえる筈がない。

 だけど、だから仕方ないと言って諦めたら、今までと何も変わらない。

 変わりたい。何も出来ない、そう卑屈になって何もやらない自分を変えたい。友達を傷付けたままさよならをしてしまうような、卑怯な自分のまま死にたくない。

 そして変わりたいと思って変われるのは、これが本当に最後のチャンス。

「あ、あの……」

「んー? なぁに? あ、遺言とかそういうのかな? 良いよ良いよーなんでも聞いてあげるし伝えてもあげちゃうわよー」

 ぼそりと呟く花中に、ミリオンは楽しそうに振る舞いながらそう答える。花中を捕まえられた事が嬉しくて堪らない反面、早く花中を『殺したい』という想いもあるのだろう。止まってしまった話の続きをしつこく促してくる。

 花中はすっと息を吸い、静かに吐き出し……澄ました心で、こう答えた。

「……フィアちゃんに、謝りに行きたい、です」

 花中の言葉で、今度はミリオンがぴくりとその身体を強張らせる。顔は笑顔のままなのに、柔らかさなどない、氷のような硬さと冷たさが滲んでくる。

「……謝りに、行きたい?」

「わたし、このままだと、ダメな、ままだから……せめて、フィアちゃんに、謝りたい……わたしのために、命を懸けて、くれたのに、それを裏切って、ごめんなさいって……も、勿論、もしかしたら、フィアちゃん、死んじゃって、いるかも知れませんけど、でも、それでも……」

 顔を上げ、真っ直ぐミリオンを見つめながら花中は懇願する。

 勿論、ミリオンにとって花中はようやく手にした貴重なサンプルであり、万が一にも逃げられては堪ったものではない。もしも花中の期待通りフィアが生きていた場合、再び戦いになる恐れだってある。そうしたリスクを踏まえれば、ミリオンが願いを訊いてくれる可能性は限りなく低い。

 それでも、何度断られても、今回だけはそう簡単には引き下がらない。これが最後のチャンスなのだから、もう何も恐れない――――つもりだった。

 だが。

「そんなの、絶対に許さない」

 あらゆる感情を、無感情な笑みさえも消して拒絶されるのは想像もしておらず、花中は食い下がるどころか言葉一つ出せなかった。

「……っ!?」

「許さない。これ以上待つなんて出来ない」

「あ、あ、の、にげ、逃げる、つもりなんて、なくて、ただ一言……」

「もう耐えられない。もう我慢なんて出来ない」

 慄き一方的に退こうとする理性をどうにか押し留め、もう一度お願いしようとする花中だったが、ミリオンの淡々とした、それでいて洪水の如く言葉の羅列に押し込まれてしまう。

 まるでスイッチが切り替わったかのように、ミリオンの態度が一変している。これが怒り狂った様子ならまだ納得出来た。立ち向かう事も出来ただろう。ところが言葉こそ一方的だが、静かに佇む様から怒りは感じられない。けれども冷静かと言えば、そうだとは寸分も思えない有り様でもある。

 分からない。ミリオンが今何を想っているのか、欠片たりとも分からない。

 正体不明の感情は、達観していた花中の心に恐怖という名の色を塗りたくる。頭の中が真っ白になり、血が冷たくなるのを感じ、寒空に放り出されたかのように身体が震えだす。

 そんな花中にミリオンはにじり寄る。人を迎え入れるように両手を広げながら、笑顔一つ浮かべずに。

 いよいよ恐怖が臨界に達した花中はきゅっと目を閉じ、迫りくる恐怖から

 その時だった。

「やっと見つけましたぁっ!」

 底なしに明るい声が、洞窟内に響いたのは。

「っ!?」

 花中の間近にまで迫っていたミリオンはその瞬間表情を醜く歪ませ、跳ねるように声がした方へと振り向く。花中もまた驚いた拍子に閉じていた目を開いてしまい、ミリオンと同じ場所を、自分がこの広間に来るために通った『穴』を見た。

 そして花中は恐怖を忘れ、己の目を疑う。

 風のない洞窟内で何故か靡いている金色の長髪も、岩だらけの洞窟内を歩くには徹底的に向いていない華美なドレスも、凛々しい顔に浮かべる誇らしげな笑みも……全て覚えている。『あの瞬間』と何も変わらない姿だと断言出来る。

 でも納得出来ない。

 だって自分は彼女に酷い事を言ってしまったから。彼女の命懸けの行為を踏み躙ったから。彼女が自分にしてくれた事を、自分は彼女にしてあげられなかったから。

 だから、こんなのはあり得ない。

「なん、で……!?」

 あり得ない事を前にして、花中は否定を言葉にしていた。

 洞窟の入り口に立つ――――フィアともだちの姿を、呆然と見つめながら……

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