004 オークションハウスになるという生き方

「あの死にそうな奴隷を売ってくれ」


 杏太郎は奴隷商人にそう伝えると、代金を支払った。

 無事に取り引きが終わると、奴隷商人たちは死にかけの少女を一人残して再び移動をはじめた。


 奴隷商人たちが立ち去る前に、俺は死にかけの少女を馬車の荷台から降ろした。

 その際、彼女をお姫様抱っこしたのだけど……。

 軽いっ!

 13歳ということなので、俺のいる世界であれば中学生である。そんな彼女の体重は、想像していた以上に軽かった。

 慢性的まんせいてきな栄養失調状態とか、そういった感じなんだろうか。


 体温が高く、呼吸もずっと荒い。たまに目を開けるのだけど、両目の黄色い瞳からはほとんど生気せいきが感じられない。

 長い青髪や身につけている奴隷服は汗でべっとりしていた。身体からはっぱい臭いがプーンと漂ってくる。

 このまま何も手を打たないと、彼女は本当に死んでしまいそうな気がした。


 金髪の美少年は、自分が身につけていた黒いローブを脱ぐと、草むらの上にレジャーシートのように広げた。


「シュウ、彼女をこの上に」


 俺は死にかけの少女を、そのローブの上にそっと寝かせる。

 ローブを脱いだ美少年の方は、黒いノースリーブにカーキ色のショートパンツという姿になっていた。

 痩せっぽっちで、胸の膨らみはない――まあ、杏太郎は『少女』じゃなくて『少年』だし当然である。

 それでも彼は、少女と言われたらそう信じてしまいそうになるくらい、やはり見た目が女の子のようにも見える美少年だった。


「それで、杏太郎。どうするんだ? この子、助けられるのか?」

「大丈夫だ、心配するな」


 金髪の美少年は俺の質問にそう答えると、死にかけの少女の顔をのぞき込んだ。


「ちょっと待ってろ。今、ボクが薬を出してやる」


 続いて杏太郎は、右手を前にかざした。

 次の瞬間――。何もない空間からアイテムが出現する。ああ……本当にゲームみたいな世界だ。

 出現したのは美しいデザインの青いびんだった。中身は液体のようである。

 杏太郎は寝かせた少女の背中に手を当て、彼女の上体をゆっくりと起こした。


「さあ、薬だ。飲んでくれ」


 美少年は青い瓶の中身を、死にかけの少女に飲ませた。


「もう大丈夫だ。きっとすぐに回復する。もう少しだけ横になっていろ。前の世界のボクみたいに、子どものうちに死ぬなよ」


 再び少女が横になると、俺は杏太郎に尋ねた。


「薬って、いったい何を飲ませたんだ?」

「そうだな。ゲームでたとえるなら『エリクサー』クラスの薬だな」

「はっ!? エリクサー!?」

「ああ。この異世界で最高クラスの回復薬だ。ゲームだったら、HPとMPを全回復ってところかな」

「全回復……」

「ついでに今回の薬は、ほぼすべての状態異常だって回復させる。たいていの病気も、きっと治ると思うぞ」


 もしもその話が本当ならば、なんともファンタスティックな薬である。


「なあ、杏太郎。それって、けっこう貴重なアイテムなんじゃないのか?」

「まあな。あの薬ひとつで、王都おうとに大きな家が建つくらいの値段だ」

「えっ? 家が建つくらいの値段?」


 杏太郎はニヤリと笑った。


「思い出したけど、そういえばシュウはエリクサーをラスボスとの戦闘まで温存して、結局ほとんど使わないままゲームをクリアする人間だったな。今でもそうなのか?」

「いや……俺は社会人になってからは、ほとんどゲームはやっていなくて」

「へえ、そっか。ボクはお前とは違って、エリクサーだろうが、出ししみなく使うタイプだったからな」

「そういえば、そうだったな」


 あれ? この美少年、俺たち兄弟のプレイスタイルの違いを知っている?

 もしかして……本当に俺の兄さん? 

 いやいや。こんな会話で断定するにはまだ早い。


 地面に敷かれたローブの上で横になっていた青髪の少女だが、やがて上半身をむくりと起こした。

 少し前まで死にそうな状態だったのが信じられない。すっかり回復している様子である。

 あのエリクサーみたいなアイテム……本当にすげえな。


 奴隷の少女は、なんだか昼寝から目でも覚ましたくらいの雰囲気を漂わせながら立ち上がった。

 顔色もよく、呼吸も乱れていない。元気そうで、病み上がりといった感じではなかった。

 彼女は黒いローブを地面から拾い上げると、丁寧に草や土を払ってから杏太郎に差し出した。


「あ、ありがとうございます。あの……新しいご主人様。ご主人様は神様……ですか?」


 杏太郎は首を横に振った。


「いや。神様じゃない。お兄ちゃんだ」


 神様じゃなくて、お兄ちゃん……。

 この美少年、自分がお兄ちゃんであることへの執着しゅうちゃくが、半端ないッス。

 青髪の少女が、ぼそりとつぶやいた。


「神様じゃなくて、お兄ちゃん……」

「そうだ。ボクはこいつのお兄ちゃんだ」


 杏太郎は俺を指差す。

 青髪の少女は、両目の黄色い瞳で俺を見つめながらこう言った。


「新しいご主人様は、こいつのお兄ちゃん……」


 あのぉ……この少女、話の流れでナチュラルに俺のことを『こいつ』って呼んでいるんですけど。

 ま、まあいいんですけどね。

 俺は苦笑いを浮かべる。


 杏太郎は、奴隷の少女から黒いローブを受け取った。

 そして、袖を通しながら話を続ける。


「それとお前さあ、神様なんかいるわけないだろ? たとえいたとしても、自分が助けてほしいタイミングで都合よく助けてくれるわけがねえって。だから、今後の人生で神様なんか当てにするなよ。神様よりもお金の方がまだ信用できるぜ?」

「はい……わかりました」

「まあ、いいや。なあ、お前。お腹すいているだろ」


 金髪の美少年は右手を前にかざすと、先ほどのように何もない空間から再びアイテムを出現させた。


「ああ、すまんな。今ちょっと、水とキャビアしか持ってねえや」


 水とキャビアしか持っていないっ!?

 わお! むしろ、どうしてキャビアを持っている? 水はともかく……。


 杏太郎は瓶に入ったキャビアの蓋を開けると少女に渡した。そのあと、おそらく水が入っていると思われる木の筒を出してそれも手渡す。


「町に着いたら、なんかお腹いっぱい食わせてやるよ。だから、それまでキャビアで我慢してくれ。全部食べていいから」

「ありがとうございます。わたし、いつもお腹ペコペコでした。あと、いつも死にかけていました。早速いただきます」


 青髪の少女は、キャビアの瓶に口を直接つけて食べようとした。


「ああ、待ってくれ。今、スプーンを出すから」


 そう言うと杏太郎は、やはり何もない空間からスプーンを出して少女に渡した。

 彼はそれから俺の方を向く。


「なあ、シュウ。お前も水を飲みたくなったら遠慮なく言ってくれ。お前はボクにとって可愛い弟だから、特別にエリクサーを水の代わりにがぶがぶ飲ませてやるよ、ふふっ」


 たぶん冗談だ。なんとなくだが……この美少年は、お金持ちなのだろう。きっと金持ちの冗談である。

 青髪の少女が水を飲み、キャビアを食べ終えるのを見届けた後、杏太郎が質問した。


「お前、名前は?」

「コンチータです」

「よし、コンチータ。お前はもう自由だ。奴隷から解放してやる」


 少女は両目を見開いて驚いていた。彼女の黄色い瞳が、金髪の美少年を見つめる。

 そりゃそうだ。死にかけていた自分を助けてくれたと思ったら、特に理由もなく自由にしてくれたのだから。

 杏太郎が少女に言った。


「コンチータ。もしもこんなところで放り出されて困るというのなら、近くの町まできちんと連れていってやる。そこでしばらく暮らせるくらいの金もボクがやろう」

「やはり、ご主人様は神様なんですか?」

「違う。だから、ボクは神様じゃない。さっきも言ったが、こいつのお兄ちゃんだ」


 杏太郎は、俺を指差す。

 少女がつぶやく。


「神様じゃなくて……こいつのお兄ちゃん」


 おう……? この少女、また俺のことを「こいつ」って呼びましたね!

 まあ、いいんですけどね!


 杏太郎はニコッと笑うと、話を続ける。


「なあ、コンチータ。もしよかったら、お前もボクのことをお兄ちゃんと呼んでくれ」


 お前もって……俺は、この少年のことを『お兄ちゃん』と呼んでいないんですけど?

 青髪の少女はこくりとうなずく。


「では、ご主人様のことは『お兄ちゃん様』とお呼びすればいいのですね」

「そうだ」


 美少年は真顔でうなずいた。お兄ちゃんと呼ばれることに、少しの迷いもない様子である。

 それから杏太郎は、こんな提案をした。


「そして、コンチータ。お前には自由になる以外にも、もうひとつ別の選択肢がある。それは――」


 杏太郎は俺の肩をポンポンと叩くと言った。


「お前は、こいつのオークションハウスになって、ボクたちといっしょに冒険の旅をする。今ならそういう生き方も選べるぞ」


 少女は両目をぱちくりさせながら不思議そうな表情を浮かべた後、俺の方を向いてこうつぶやく。


「わたしが、こいつのオークションハウスに……」


 んっ? 彼女、またまた俺のことを『こいつ』って言ったねっ!

 まあ、気にしないけどねっ!


 しかし、この青髪の少女はオークションハウスになるってことが、どういうことなのか理解しているのだろうか?

 人間がオークションハウスになるって意味が、俺にはさっぱりわからない。


 俺が首をかしげる横で、コンチータは杏太郎にこう質問した。


「あの、お兄ちゃん様」

「んっ?」

「すみません。オークションハウスってなんでしょうか?」


 どうやら彼女も、オークションハウスのことを理解していないようだった。

 さてさて。

 この子が俺のオークションハウスになるって、本当にどういうことなんだ?

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