009 悩める女剣士『ナーヤ・メウェイル』

 現れた赤髪の女剣士は、ポニーテールを弾ませながらこちらを向く。

 そして、自分が描かれた油絵を両手で抱えている俺に気がつくとこう言った。


「はじめまして、競売人きょうばいにん


 絵画から飛び出してきた彼女は、どう見ても本物の人間のようにしか見えなかった。

 赤い衣服に身を包み、銀色の胸当てを装備した20歳前後の――いや、もう少し年上かもしれない。とにかく美しい女性だった。

 身長は170センチ前後といったところ。黒ずきんさんよりも確実に背が高い。

 瞳の色はエメラルドグリーンで、切れ長の目はこちらにクールな印象を与える。


 俺は自分が抱えている油絵をもう一度眺めた。描かれている女剣士と目の前に現れた女剣士とを見比べるが……やはりそっくりである。

 戸惑う俺に対して女剣士は、やわらかな微笑みを向けてくれた。

 敵意は感じらない。好意的な態度だった。


「さて、競売人よ。先に伝えておくが、私は戦うことしかできない女だ。そして、それが最大の悩みでもある」

「はあ……」

「戦い以外のことは何もできぬ。友達も上手くつくれんし、部屋の掃除もできんし、この年齢まで一度も恋をしたことがない。恋愛ってどうやってするのだ?」

「えっ?」


 この美人、出会っていきなり何の話をはじめようとしている?


「競売人よ、聞いてくれ。私には妹が二人いるんだ。そして妹たちはな、私よりも先に結婚した。本当にさっさとな。そのおかげで長女である私は、家族や親戚しんせきなんかともなんとなくギクシャクしておる」


 んっ?


「剣士として私がどれだけ剣の腕を磨いても、家族や親戚は私のことを褒めてくれぬのだ。『剣の腕を磨くより、早く嫁にいけ、結婚しろ! いい加減、いい人を見つけろ!』そればかりなのだよ。私はそういう家庭環境で育ってしまってな……ふふっ」


 女剣士はその美しい顔で苦笑いを浮かべると話を続けた。


「やがて私は、家族や親戚と絶縁した。あたたかい家庭など、クソ食らえだ。もはや戦場が私の生きる場所である。本当にどうして私の人生は戦い以外、何もかも上手くいかんのか。それが私の人生最大の悩みである」

「はあ……」


 俺は、ため息まじりにうなずいた。


「なあ、競売人よ。私だって今よりも若い頃は、恋をしようとがんばったこともあったさ。しかし、恋をするってどんな気持ちなのかな? 人を相手に心がときめいたことがないのだよ。よく斬れそうな剣を武器屋で目にしたとき、心がときめくことがあるが、好きな人に出会うとあんな感じになるのか?」


 いやぁ……この人……初対面なのに最初からめちゃくちゃ喋るなあ。

 しかも、初対面の人に打ち明ける話にしては、なんか重いなあ。

 そして、話し相手の反応なんか気にせず、こちらの返事も待たずに一方的にしゃべり続けるタイプの人だよ……。

 友達がいないのも、わかる気がするわぁ……。


 赤髪の女剣士は片手で頭を抱えながらしゃべり続ける。

 なんとなくだけど、彼女は自分ではじめた話で自分自身がダメージを受けている様子だった。


「今では私は、恋愛のことを考えること自体がもう怖いのだ。そして、恋愛ができない自分の行く末も怖い。明るい未来はあるのか? ああ、おかげで夜も上手く眠れず、慢性的な睡眠不足だ。これから長い付き合いになるかもしれない競売人には、あらかじめそんな私の悩みを伝えておくぞ」


 この異世界の人々は、恋に臆病な人が多いとかそんな話を杏太郎から聞いた気がするけれど……。

 絵の中から召喚された人もそうなの?

 しかしまあ……『悩める女剣士』というタイトル通りの人物が、絵画から出てきたようである。


「競売人よ。私の悩みに関して他に聞いておきたいことはあるか?」

「えっ? い、いえ……今はとりあえずないです」

「そうか」


 女剣士はうなずくと、両手をパンっと打ち鳴らしてからこう言った。


「おお、そうだ。召喚してくれた競売人に名乗るのを忘れていた。私の名前は『ナーヤ・メウェイル』。恋や家族関係や人生に悩みながら戦場で手柄を立て続け、いつからか周囲の人々は私のことを『悩める女剣士』と呼ぶようになった――」


 ナーヤ・メウェイル……?

 んっ?

 ナーヤ・メウェイル……。ナーヤ・メウェイル……。ナヤ・メウェイル……。

 ナヤメウェイル……。ナヤメル……。悩める?


 またこのパターン?

 この異世界、ダジャレネーミング祭りなの?


 それから女剣士『ナーヤ・メウェイル』は、腰に下げていた剣を抜くと、黒ずきんさんの方を向いた。


「さて、競売人よ。とりあえずあの黒ずきんの女がおぬしに敵意むき出しのようなのだが? あれは敵か? 敵を斬り殺すのが命令か? あれを殺せば、私の悩みが少しは解決する可能性があるか? それならば、20秒で斬り殺してみせるが? そもそも、女が一人地上から消えれば、私が恋をするチャンスが一人分増えるかもしれんな、ふふふっ」


 ちょっと心を病んでいるせいか、なかなか物騒なことを口にする美人である。ずっと一人で悩みすぎて、もう心が壊れているのだろうか?

 しかし……黒ずきんさんを20秒で倒せるのか? まあ、それだけ剣の腕に自信があるのかもしれない。

 俺はこう答える。


「いや、殺さないでくれ。あまり傷つけずに降参させることはできないだろうか。もしかしたら彼女は、俺たちの仲間になるかもしれないんだ」


 山賊の兄が杏太郎の仲間になったわけだし、妹の方だってこちらの仲間になる可能性はあるだろう。

 赤髪の女剣士は、ポニーテールを揺らしながらうなずいた。


「承知した。私の剣で、あの女を大人しくさせてみせよう。私は恋を知らず、家族とも上手く関係を築けず、部屋の掃除もできないが、戦うことだけは最高に得意なのだ」


 俺が女剣士とそんな会話をしている間に、黒ずきんさんの方は戦闘準備をはじめていたようだ。手にしたシャベルで地面をざっくざっくと掘っていた。

 続いて彼女は、掘り起こした土を自身の周囲にまき散らし、呪文のようなものをぶつぶつと唱える。

 すると――。

 掘り起こされた土が、またたく間に人の形へと変化したのだった。

 杏太郎がつぶやくように言った。


「んっ? 土人形? もしかして彼女の職業は、『ゴーレム使い』か?」


 ゴーレム使い?

 黒ずきんさんの周囲には4体の土人形が現れていた。どれも成人男性くらいの大きさだ。

 山賊の男・シャンズが杏太郎に言った。


「ご主人様、ワシの妹はゴーレム使いです。それと、他にもいくらか魔法が使えます」

「なるほど。得意な魔法の属性は? やはり土属性か? それとも火・水・風?」

「妹はどろ属性です」

「泥属性? そんな属性存在するのか?」

「みたいですね。ワシもあまり詳しくはありませんが、妹本人がそう言っていますので」


 ええ……? 泥属性……?

 聞いたことねえなあ……っていうか、少なくともこれまで俺がやってきたゲームなんかでは泥属性なんて一度もなかった。

 水属性と土属性の中間の属性とか?


 赤髪の女剣士が俺に言う。


「競売人、心配するな。私がすべて倒してやる」


 次の瞬間には、女剣士は黒ずきんさんに向かって飛びかかっていた。

 黒ずきんさんの方は、シャベルを女剣士に向けると叫んだ。


「行け、ゴーレムたち!」


 4体の土人形たちが女剣士の前に立ちはだかる。

 土人形だから、なんとなくのっそりとした動きかと思われたが、人間と同じくらい俊敏しゅんびんに動けるようだ。

 あれならば、女剣士一人で四人の成人男性を相手にするようなものである。

 しかし――。


「ぬるいっ!」


 そう言いながら女剣士は、あっという間に4体の土人形を斬り刻んだ。

 高速の剣技というやつか? 本当に強いみたいである。

 たぶん、1分もかかっていない。


「なっ!?」


 と、黒ずきんさんは驚きの声を上げるが、すぐに女剣士に対してシャベルを向け、なにやら呪文を唱えはじめる。

 しかし、女剣士の剣が黒ずきんさんのシャベルを叩き落とした。

 草原に金属音が響き渡る。


 シャベルが地面に転がると、黒ずきんさんはその場でぺたんと尻もちをついた。おそらく彼女は、近接戦闘はあまり強くないのだろう。

 女剣士は、青い顔をした黒ずきんさんの眼前に剣を向けながら言った。


「これが、恋も家族もすべてを捨ててたどり着いた強さだ!」


 おう……なんて悲しい強さだろうか。


 俺は、悩める女剣士が描かれた油絵を、両手できゅっと抱きしめた。


「はうっ!」


 と、女剣士が急に可愛らしい声を上げる。


「んっ? どうした?」


 俺がそう尋ねると、女剣士は顔を赤らめながら答えた。


「その……競売人。呼び出した競売人が心を込めて絵を抱きしめると、こちらにも抱きしめられた感覚や人のぬくもりなんかが伝わってきてしまうのです」

「えっ?」


 俺はもう一度、絵を抱きしめる。


「はううっ……これが男の人に抱きしめられる感覚……」


 女剣士はさらに顔を赤くし、呼吸を乱す。


「あの……競売人、遊ばないでください。それと、そっちが私の本体なので、次から戦闘中はその絵をしまってくださるとありがたい。どうか、私の本体を大切に扱ってください」

「わかった。ごめん」


 そう言って謝ると、俺はもう一度だけ絵を抱きしめてみた。

 女剣士が悩ましげな吐息を漏らした。


「だ、ダメですよ……競売人。人のぬくもりを知ってしまうと、きっと私は剣の腕が鈍ってしまう……。あと、一人で過ごす夜が、さらに切なくなります……」


 女剣士はそう言うのだけど、その表情はどこか嬉しそうだった。

 そして、俺と女剣士がそんなやり取りをしていると――。

 黒ずきんさんは地面に転がっていたシャベルを拾い上げ、一人で走って逃げていったのだった。

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