エピローグ

第181話 居酒屋1

 創作居酒屋、とLINEには書いてあったが、自動扉をくぐると、なんのことはない。普通の和食居酒屋だった。


「いらっしゃいませっ」

 くすんだ赤色としか表現のしようがない作務衣を着た店員が来るから、「予約してると思うんですが」と伝える。


「黒工様ですね。ありがとうございます!」

 大声で礼を言われた。いや、なんかこう。もっと個人名で予約すればいいんじゃないか、と毎回思う。


「ご予約のお客様ご案内しますっ」、「いらっしゃいませ!」


 そんな声を四方八方で聞きながら、狭い通路を歩く。

 個室というか、襖と暖簾でしきっただけの空間がいくつも並ぶところを、店員に連れられて歩き、かなり奥まったところまで進む。焼き鳥が美味いのか、どこからもタレの匂いがした。


「あ。織田!」

 店員に示された個室の暖簾をくぐると、真っ先に蒲生が手を上げる。


「すまん。遅くなった」

 詫びると、石田がどんどん、と自分の隣を叩く。そこに座れ、ということなのだろう。もう、顔が真っ赤だし、握ったジョッキは残りが少ない。


「店員さん。おれと、こいつで、生中ふたつ!」

 石田はご機嫌にピースサインを作り、店員は「ありがとうごいますっ」と返事をして去って行った。


「仕事帰りか?」

 石田の隣に座り、向かいを向くと、茶道部だ。その隣では蒲生がご機嫌でメニュー表を開き、「何頼むー?」と俺に聞いている。


「そう。非番だったんだけど、ずるずる交番にいて……。気づいたらこんな感じ」

 手つかずのおしぼりで手を拭くついでに腕時計を見たら、二十分ほどの遅刻だ。


「土日休みじゃ無い奴は、気の毒だなぁ」

 どん、と石田がぶつかってくる。うっとうしい酔っ払いだ。逮捕するぞ。


「よせよせ、石田。逮捕されるぞ」

 茶道部が、俺の心を読んで笑う。


「今日、伊達は? いないんだな」

 それとも、俺と同じで遅刻組だろうか。


「あいつも三交代だから。今日は休みじゃ無いんだってさ」

 石田がジョッキの生ビールを飲み干したとき、タイミング良く、店員がジョッキ二つを持ってやって来た。綺麗に盛り上がった泡と、琥珀色の液体を見て、ようやく仕事が終わったことを実感した。


「じゃ。織田が揃ったところで。改めて」

 蒲生が、ぴょこんと立ち上がった。その手には黄緑色をしたチューハイのグラスが握られていた。


「黒工に、かんぱーい!」

 ぐい、とグラスを掴んだ右腕を天井に突き上げる。「かんぱーい」とおざなりに付き合い、俺は周囲のみんなとグラスをかち合わせた。


 結局、あの卒業式の後。

 奇妙な感染症は、日本どころか世界を巻き込み、収まる勢いを見せなかった。


 俺たちが再び顔を合わせたのは、クラス委員が予言した通り、一年後の文化祭だ。同窓会を兼ねた「卒業式後の打ち上げ」は、そこで行われた。


 校内をぶらぶら歩いて、後輩がやっている炊出し程度の出店を巡り、世話になった恩師に挨拶をしたり、同級生に会って近況を報告したりしていたら。


 科を超えて、妙に仲良くなったのが、この五人だ。


 俺、蒲生、石田、茶道部、伊達。


 年に数回、蒲生がLINEグループに連絡をくれて、ファミレスに集合しては、仕事の愚痴や、人間関係の憂さを晴らしていた。


 二十歳を過ぎた去年頃からは、会場はもっぱら居酒屋になり、飲んではくだを巻いている。


「あ。そういえば、お前のYouTubeチャンネル見たぞ。登録もした」

 生ビールを喉に流し込み、俺は笑う。


「俺だけかと思ったら、結構登録数あるんだな」

「馬鹿にするな。知る人ぞ知る、酵母王子だぞ、おれは」

 えっへんと胸を張ると、茶道部は焼き鳥の串に食らい付く。


「なになにー、それ。おれ、知らない」

 ぐい、と石田が上半身ごと話題に割り込んでくる。ええい、うっとうしい奴だ。


「こいつ、醤油をメインにしたメーカーの分析科にいるんだけどさ」

 蒲生が枝豆を口に放り込みながら、石田に説明する。


「ほら、醤油だから酵母とかこうじを扱うんだよ。で、それを使った料理とか、ちっちゃな化学実験とかを録画して、YouTubeにアップしてんの」

 顔も良いし、声も良いし。意外に説明もうまいから、あれは受けると思う。


「醤油って、酵母使うの? 糀ってなに」

 石田が俺に顔を近づける。ああ、臭い。酒臭い。お前が放っているそれも、酵母のひとつだ。たった二十分遅れただけなのに、なんでこんなに飲んでんだ、こいつは。


「一回見てみろ、とにかく。『酵母王子』で検索だ。あとでLINEで送る」

 俺は言い、ぐい、と突き放す。「つれないなぁ、もう」。石田は言うなり、タックルのように抱きついてきた。こぼすっ! 生ビールをこぼすっ!


「相変わらず、剣道部は仲良いなぁ」

 蒲生がにこにこ笑っているが、仲など良くない。「だろう?」。石田はご機嫌で応えている。しばきたい。


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