今川side

第180話 前期日程合格者発表

「お。流花るか

 クッションに顔を埋めていたら、嬉しそうなお姉ちゃんの声が聞こえてきて、がばり、と顔を起こした。


 勉強机に凭れ、スマホをスライドさせたお姉ちゃんは、私と目を合わせてにっこりと笑ってくれる。


「番号あるよ。ほれ」

 印籠のように私に差しかざしたスマホ画面には、「前期日程合格者受験番号一覧」が映し出されていた。


「…………ある………」

 自分の受験番号をそこに見つけ、ほっと息を吐いた。ようやく、しがみついたクッションからも力を抜いて、床にごろん、と寝転がる。


 自信はあったものの……。

 いざ、番号を見ようと思っても、勇気が出なかった。


 お姉ちゃんの部屋に転がり込み、頼み込んで、発表の時間と同時に、ネットを開いてもらったのだけど……。


「よ、よかったああああ………」

 ごろんごろん横転し、私はじんわりと湧き上がる喜びに浸る。


「おめでとー。律くんに連絡したら?」

 お姉ちゃんはスマホを勉強机に放り出し、からかうように笑う。


「……それは、後にする」

 ぐ、と奥歯を噛みしめて私はむくり、と起き上がった。


 そう。

 にゃんに連絡するのは後だ。


 とにかく。

 親に報告に行く。


「ちょっと、お母さん達に伝えてくる」

 立ち上がり、それからひとつ大きく息を吸い込んだ。お姉ちゃんはそんな私をしばらく眺めて、「よし」と、大きくひとつ頷く。


「行ってこい」

 促され、私はお姉ちゃんの部屋を出た。


 階段を降り、リビングにつながる扉を開く。音で気づいたのだろう。ソファに座っていたお父さんとお母さんが、すでにこちらを見ていた。


「どうだった?」

 お母さんが素早くリモコンでテレビを消す。


「受かってた」

 短く伝えると、お父さんが息を吐いて額を撫で、お母さんが「良かった」と両手を合わせて微笑む。


「早速、おじいちゃんやおばあちゃんに連絡しなきゃね」

 言いながらも、すでに手はローテーブルに載ったスマホに伸びていた。お父さんも、「そうだな」と頷きながら、膝の上に載せた雑誌に視線を落とす。やれやれ。そんな気配だった。


 だから。


「あのね」

 私は動きを止めるように、言葉を発した。


「……なに?」

 お母さんはスマホを手にして、中腰のまま、きょとんと私を見る。お父さんもそうだ。ゴルフ雑誌のページを摘まんだまま、私に顔を向けた。


「私を大学に行かせてくれてありがとう。進学の費用を出してくれて、ありがとう」

 私はぺこりと頭を下げた。「どうしたのよ」、「おいおい」と照れたような両親の声が聞こえた。


「親として当然のことをしたまでだよ」

「そうよ。あなたが、小学校の先生になりたい、って言うんだから、その夢を応援するのは親として普通のことよ」


「だけどね」

 私は顔を起こし、二人の顔を交互に見る。


「その、普通のことをできない家庭もあるんだ、って、私は知ったの」

 ぐ、と顎を引き、私は言う。


「奨学金を使って進学する人や、そもそも、親御さんがいなくて、進学できない人が居ることも知った。にゃん……。織田君の学校の先生は、高校を卒業して、自衛隊に入って……。学費を貯めてから教育大に入って、先生になった、って聞いた」


 私は、ゆっくりと。だけど、ずっとクリスマスのあの時から、心の中にわだかまり続けた言葉を吐き出す。


「そのことを教えてくれたのは、黒工の子達だった。私が、普通のことだ、って思っていたことが、実は普通じゃ無いんだ、って教えてくれたのは、織田君たちなの」


 心臓がどきどき鳴り、お母さんが、「流花」ときつく声をかける。だけど、お父さんが目で制した。


「それで?」

 促されて、私はごくり、と空気ごと飲み込んだ。


「県立大附属高校に入学して……。私は、その後のことを何にも考えてなかった。考えてないまま、ただただ、勉強ばっかりして……。だけど、上には上がいることを思い知らされて……。このまま、潰れていくのかとおもったんだけど……」


 一生懸命考えた言葉が、なかなか巧く出てこない。だけど、お父さんもお母さんも、今度は遮らずに聞いてくれた。


「そんなときに、織田君に文化祭に誘ってもらって……。そこで、みんなの夢を聞いた。こんな大人になりたい。そんな明確な将来を聞いて、初めて自分で考えてみたの。『自分はなにをしたいんだろう』って。そこから……」

 小さく咳き込み、私はだけど、必死に言葉を紡ぐ。


「化学同好会を作って……。小学生対象の科学教室に参加して……。それで、もっと、小さな子に携わりたい、っておもった。誰かの役に立ちたい、って」

 だから、とお父さんとお母さんの顔を見る。


「教育大に進みたい、って思った。高校に入った時は、『どこでもいいから、国公立の大学に進学』って必死に思ってたんだけど。そうじゃなくて、小さな子達の役に立ちたい、と思って、私は教育大に進学したい、ってちゃんと考えた。そのきっかけは……」

 ぎゅ、と拳を握る。


「織田君なの。私の大好きな人が、いろんな世界を見せてくれて、支えてくれて。それで、私は今、こうやって大学生になろうとしてる。もちろん、大学に進学させてくれたお父さんやお母さんに感謝してる。でもね」

 なんだか目が熱くなって、私は握った拳でごしごしと擦った。


「こうやって、感謝する気持ちに気づかせてくれたのも、黒工の子達がいたからなの。織田君がいたからなの。だから」

 私は、しゃくり上げたくなる喉に力を入れる。


「大学生になって、いっぱいいろんなことをして……。お父さんやお母さんから見たら、『なにやってんの』、『そんなことしたら失敗するでしょ』って思うこともすると思う。だけど、黙って見てて欲しいの」


 ぽろり、と一粒涙が頬を伝ったけれど、私はお父さんとお母さんを見つめる。


「お母さんやお父さんから見たら、馬鹿みたいなことをしてるかもしれないけど。黙って見てて欲しい。私は私で、必死に考えて行動している。それを、認めて欲しい。そして、いつか」

 ひゅう、と喉が鳴ったけど、私は構わず続ける。


「織田君に会って欲しい。私が選んで、私が大好きな彼に会って欲しい。きっと、お父さんもお母さんも、にゃん……。織田君のことを、大好きになると思う」


 しゃくりあげたくなる喉を必死で宥め、だけど、涙はボロボロこぼしながら、私は両親に訴えた。


「私の、大好きな人なの」


「……大学に合格したことを、織田君にはもう伝えたのか?」

 お父さんが穏やかな声で尋ねるから、私は無言で首を横に振った。ついでに、全然止まらない涙を拳で拭う。


「じゃあ、まだ、彼に対して優越感があるな」

 お父さんはそう言って、お母さんに笑いかけるけど、お母さんはじっとりと睨み付けたままだ。


「そうだな。お父さんは、お前に対して少し、子ども扱いしていたのかもしれない。これからは、大人に対するように接しようと思う」

 ゆっくりと息を吐きながら、お父さんは私に言った。


「だけど、お前の選んだ男性に会うのは、もう少し後だ。お父さんはお父さんのタイミングで、彼に会いたい。それでもいいかい?」


 尋ねられるから、私は大きく頷く。「それはよかった」。演技がかった仕草でお父さんは笑い、それからゴルフの雑誌に視線を落とす。


「お父さんからは以上だ。大学合格、おめでとう」


 きっぱりとそう言うと、黙ってしまった。

 お母さんは喉に何かを詰めたように小さく呻く。だけど、私の視線を受けると、「おめでとう」と強ばった笑みを浮かべてくれた。


「ありがとう」

 私は再度頭を下げる。


 これまで育ててくれてありがとう。

 そして。

 私を信じてくれてありがとう。

 私の夢に投資してくれて、本当にありがとう。


 そして、いつか。

 私の大好きな人に会って、一緒にご飯を食べて。彼が抱いている夢の話を聞いて下さい。

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