第168話 オープンハイスクール2
「この前、警察の一次を受けたところ。今はその結果待ち」
そっか、と蒲生はほう、と息を吐き、いきなり両手を合わせた。ぎょっと驚く俺の前で、「受かれ、受かれ、受かれ」と念仏のように唱え始めるから、思わず吹き出す。
「ご利益があるのか、それ」
ぎっ、と睨み上げられた。
「受かった人間が祈ってるんだから、あるよ。もっとありがたがってほしいよ」
はいはい、と受け流していると、体育館の方角からたくさんの足音が聞こえてきた。
「受付ーっ。中学生たち、そろそろ来るぞー」
声が上から降ってきて、蒲生と二人で見上げる。
工業化学棟の二階の窓から、軽音楽部が俺たちを見ていた。階上からは体育館の様子がよく見えるらしい。
やつは製鉄会社の分析に内定が決まっている。本人曰く、「鉄を引っ張って、ちぎれないかどうか検査する仕事」なのだそうだ。だいぶん、馬鹿っぽい説明だが、大丈夫か、やつは。
「茶道部はー?」
蒲生が大声を張る。
「野球部と一緒に、そっちに向かったー」
軽音楽部の声のあと、二列にきれいに並んだ中学生たちの姿が見える。
先頭を歩くのは「工業化学」と書かれたプラカードを持つ白衣の生徒だ。ただ、三年ではない。二年だ。その後ろには、いろんな学校の制服を着た生徒が見える。
「みんな、ほっそいなぁ」
蒲生が思わず笑いだす。こいつらが、三年間の部活と体育で鍛え上げられるんだから、不思議なもんだ。
プラカードを持った二年生が俺たちの前で足を止め、ぴん、と背中を伸ばした。
「オープンハイスクール参加生徒一同、連れてきましたっ!」
明らかに作られた大声だが、俺たちも「よしっ」とそれに倣う。ま。オープンハイスクールなんて、演劇みたいなもんだ。
「中学生のみなさん。保護者の皆さん」
プラカードの二年生が立ち去ると、蒲生はそう呼びかけ、それから大きく息を吸い込む。俺もタイミングを合わせ、胸を膨らませる。
「「こんにちはっ!!!!」」
大音声で言い放つと、引きつったようなたくさんの「こんにちはっ!」が返ってくる。おおいいぞ。良い声だ。
「ここからは、各科の見学になります。こちらは、工業化学棟。主に、実習をします」
蒲生はつらつらと説明をし、それから「では、中をご紹介します」と右手を上げた。
「ついてきてください」
そう言って、建物内に入っていく。それに続くのは、興味深そうな顔をした保護者と生徒たちだ。このところ景気がいいから、実業高校に進学する生徒は少ないと聞く。だけどまぁ、盛況だな、と目の前を通り過ぎる参加者を俺は眺めていた。
「織田」
声をかけられ、振り返ると、白衣を着た野球部と茶道部。それに、バスケ部もいる。
ちなみに、茶道部は先日、クラスで一番に内定を決めた。醤油を主目的に作る食品製造メーカーで、その分析に決まったらしい。
「よかった。四人いればなんとかなるだろ」
俺が答えると、三人は顔を見合わせ、肩を竦める。「ちょっと不安だけどな」。それは俺も同じだ。
「じゃあ、お母さんはここにいるから」
ふ、とそんな声が聞こえ、じゃり、とタイヤが砂を噛む音が聞こえて、俺は慌てる。
「あ。すいません」
声をかけると、不思議そうにこちらに目線を向けたのは、車いすの保護者だ。ハンドリムに手をかけたまま、こちらを見ている。その隣には学ランを着た中学生男子がいて、不安そうに何度もまばたきを繰り返していた。
「す、すいません。すぐ行きます」
中学生は蒲生が引率している参加者の方に向かおうとするが、茶道部が、「待て待て」と止める。
「お母さんと一緒について来てくれ。おれたちだけじゃ不安だから」
怯える中学生に、茶道部が苦笑する。まぁ、そりゃそうだよな。いかつい高校生男子四人に囲まれ、「待て」と言われたら、俺だってカツアゲかと思う。
「見学……、できますか? どこかにエレベーターがあるんですかね」
車いすの保護者が、ほっとしたように俺たちの顔を順番に見回した。
「すいません。エレベーターは、どの棟にもないんです」
場を代表する形で俺が答える。中学生はあからさまに落胆したが、保護者の方は「そうですか」とあっさりしたものだ。どこか諦めているように、にこりと笑った。
「オープンハイスクールに申し込んだ時も、そう言われましたので。私はここで待ってます」
言うなり、中学生を見上げた。「早くいっておいで」。そう声をかけるのを、「いや、あの」と野球部が止めた。
「科長から、お母さんも参加いただくように申しつかってますので。俺たちで、三階まで運びます」
「「…………え………?」」
訝し気に問うたのは、保護者だけではなく、中学生の息子もだった。
「エレベーターはありませんが、人手はありますので」
野球部がおどけて力こぶを作って見せ、ついでにバスケ部もボディービルダーのようにポーズを決める。
「実業高校は、実習棟にいろんな設備がありますから。保護者さんも一緒に見ていただいて、高校選びの参考になさってください」
ポーズしたままの、あほ二人は放っておいて、俺は保護者に声をかける。ついでに中学生を手招いた。
「階段下までは押してくれ。あとは、俺たちで三階まで持ち上げるから」
それでも、中学生は戸惑っている。保護者の方も、「いや、そんな」と首を横に振るから、俺は再度伝えた。
「県内にもたくさん工業高校はあります。ただ、設備が全然違うんです。うちは基幹高校ですので、器具や機材は整ってます。他校から、実習のために、わざわざやってくることもあります。ただ、こんな風にバリアフリーは整っていませんし、校舎も割と古い。なので、その良し悪しをしっかりと、子どもさんだけではなく、保護者の方にも見ていただきたいんです。これは、科長の意見でもあり、俺達の意見でもあります」
校舎の新しさや、校風で他校を選び、結局自分のしたい実習のために、うちに通っている他校の生徒は何人もいる。『これなら、黒工に入ればよかった』。そんな意見も聞いたりした。
だからこそ、入学する前に、ちゃんと知っておくことが必要だ。
ハンデがあるから、情報が入らなかった。
そんなことは、フェアじゃない。
俺がそう説明をすると、他の三人が同意するように大きくうなずいた。
「そして、うちを選んでください」
茶道部が、そう締めくくる。まったくその通りだ。
「……じゃあ、お願いします」
保護者は、笑顔を見せて、頭を下げた。それに続いたのは、中学生だ。
「よろしくお願いします」
そう言う彼の肩を、ばしり、と茶道部が叩いた。
「だったら、ちゃっちゃとしろ。押せ、押せ。車いすを。でないと、実習始まっちまうぞ」
「やめろ。中学生を怖がらせるな」
俺が言うと、バスケ部と野球部が工業化学棟の扉を全開にするため、走った。
「今日は、炎色反応とキレート滴定の演習が見れるぞ」
茶道部が車いすを押す中学生に話しかけている。「へぇ」と彼の顔が輝いた。保護者も嬉しそうだ。
来年。
彼がこの高校に入学できるよう、俺も願ってやろう。
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